17.共に生きていく sideジーニアス
「……おーい。ジーニアス?」
何も反応できずにいると、今度は控えめに呼び掛けられた。
だけど僕の頭は混乱を極め、応じることができない。
(え……え……? 本当に、兄さんが僕の体を動かしてるの……? だけどなんで? 兄さんは消えたはずじゃ……? ていうか、本当に兄さんが僕の身体を動かしてるのだとして、なんで僕の意識は残ったままなんだ? いつもなら僕の意識は入れ替わった時点でなくなっているはずなのに……)
「おい……おい! ジーニアス! 聞こえてんだろうが! さっさと返事しろっての!」
(あ、はい!)
苛立つ怒号が頭の中を打ち鳴らし、反射的に返事をした。
「お、やっと返事しやがったな? ったく……俺を一人で喋る痛い奴にすんじゃねぇよ……。つっても、お前の声が聞こえるのは俺だけだろうから、どのみち周りから見れば痛い奴に違いねぇんだろうけど」
上方向へ固定されていた視界が動き、護衛二人の顔が映し出される。
二人は困惑するような顔でこちらを見ていた。
兄さんの言う通り、傍から見れば僕が一人で誰かと会話しているように見えるのなら、二人の反応も当然だろう。
「おっと。これ以上は死んじまうな」
視線が下降し、僕の腕の中で項垂れる騎士が現れた。
首元で組んでいた腕を解くと、騎士はガシャンと音を立ててその場に倒れる。
一応、生きてはいるようだ。
(本当に、兄さん……なの……?)
未だに信じられない。
兄さんと体を共有するようになってからの七年間、こんな風に僕たちが直接会話をできたことなんて一度もなかった。
それこそ夢の中で兄さんと対話したのが最初で最後だった。
「ああ、俺だ。……なんだよ。まだ信じられねぇのかよ」
呆れたように兄さんが言う。
(だって……今までこんなことって……)
「そうだな。昔からお前は疑り深い奴だったよな。俺が双子の兄だって言った時もなかなか信じてくれなかったしよ。そのくせ俺がお菓子を持っていった時にはあっさり食べてたよな。それでようやく俺が兄だってことも信じてくれたんだっけな。……そういやお前、母さんの時も食べ物で……」
(いいよ! もういいから! 兄さんだって、ちゃんと信じたから!)
まるで僕が、餌付けされて相手を信用する人間だと言われているようで、ものすごく恥ずかしい。
だけど、会話をしている相手が間違いなく兄さんだということはよく分かった。
(本当に、兄さんなんだね……)
実感が湧いた途端に目頭が熱くなり、じわりと視界が滲む。
今の僕に実体はないはずなのに、感情に結びついた身体的な感覚はあるらしい。
フッと、兄さんが小さく笑う。
「やっぱり思った通りだったな。今なら、お前と話ができそうだって思ってたんだ」
(……やっぱり?)
思わず首を傾げる。
「ああ。俺が内側から話しかけた時、俺の声がお前に聞こえてたみてぇだしな」
(え? それっていつの話……あ……)
思い出した。
確か、僕が母さんからの手紙を読んだ時、もういっそのこと全部を放り出して母さんの所へ帰ってしまおうかと思った。
すると、『それでいいのか?』って、兄さんの声が聞こえた気がした。
あの時は気のせいだと思っていたのだけど……。
(もしかして……あれって、本当に兄さんの声だったの?)
「ああ、そういうことだ」
深く頷くように視界が上下する。
兄さんはそれで説明を終えたつもりらしいけど、僕としては「そうだったんだ」で済ませることはできない。
だって、それってつまり、兄さんは僕に別れを告げておきながら、ずっと僕の中から様子をうかがっていたということだ。
(……兄さん、居なくなったんじゃなかったの?)
ぎくり、という兄さんの動揺が僕にまで伝わった。
前に兄さんが言っていたように、内側にいる時は相手の感情まで伝わってくる、というのはこういうことらしい。
瞬きの回数が多くなり、視線が泳いでいるのも僕の視界に顕著に表れている。
「いや、いなくなったっつうか……。まあ、いなくなったふりはしてたけどな」
兄さんが頬をかきながら軽口を叩く。
(僕を騙したの⁉)
「ち……ちげぇよ! 確かに、結果的にはそうなっちまったけど……。最初から騙すつもりだったわけじゃなくて、本当にあの時は消える覚悟でいたんだよ。……でもよ、やっぱり諦めきれなかったんだろな」
首筋をさすりながら、兄さんはバツが悪そうに言う。
――そうだ。兄さんは、一度は僕の体で生きようとしていた。
兄さんには、生きてやりたい事がたくさんあった。
だけど、僕の人生を奪うことはできないという理由から、全てを諦めた。自分が生きるよりも、僕を生かすことを優先したのだ。
それでもこうして兄さんが現れたということは、生きたいという気持ちが強かったからなのだろう。
きっと、僕よりもずっと……。
「でも、勘違いすんなよ? 俺ひとりだけが生きていたって意味がねえんだ。俺が諦めきれなかったのは、お前と一緒に生きる未来だ」
(……僕と、一緒に……?)
僕自身、それを何度願ったか分からない。
だけど、叶うはずのない願いだった。
僕の体の中に兄さんがいると知ってから、僕は兄さんと共に生きているつもりではいた。
だけど、兄さんが表に現れている間は僕の意識はない状態だったし、直接会話をすることもできなかった。
だから、一緒に生きているつもりではいるのに、常に孤独だった。
兄さんと会話ができる周りの人間を妬んだりもした。
僕の知らない兄さんの話を聞くのが嫌だった。
いつか兄さんに、僕よりも大切に想える人ができて、僕のことなんてどうでもよくなってしまうんじゃないかって……怖かった。
でも、今はこうして兄さんと会話ができる。
兄さんの視界を通して、僕も同じ景色を見ることができる。
前よりもずっと近い場所で、兄さんの存在を感じられる。
「どうだ? ジーニアス。これなら今までよりもずっと、一緒に生きてるって感じじゃねえか!」
嬉々とした声を上げる兄さんとは裏腹に、僕はまだ、今の状況を素直に喜ぶことができない。
後に傷つくのが怖くて、期待しては駄目だと、どうしても慎重に構えてしまう。
(確かに今みたいに、ずっと兄さんと会話ができる状態なら、一緒に生きるという意味でも理想的だと思う。だけど、どうして急に会話ができるようになったのか分からないし、この状態がいつまで続くのかも……。もしかしたら、また前のように戻るかもしれないし……)
「いや、それはないと思うぜ」
(え?)
きっぱりとした否定が返ってきたので、思わず声が上ずった。
兄さんがフッと笑う。
「お前はずっと、俺を生かすことばかり考えて、自分が生きようなんて思っていなかっただろ。でも今のお前は、ちゃんと自分で生きようとしている。生きたいっていう強固な意志を持って生きているじゃねぇか。だからこうして俺が表に出ても、お前は自分の存在を保てている。理屈はよく分かんねぇけど、ま、そういうことなんじゃねぇの?」
(あ……)
兄さんの言う通りだ。
僕はこれまで、この体を兄さんに譲って、僕の代わりに兄さんが生きればいいと思っていた。
それが叶うなら、僕の存在は消えても構わないと。
つまり、これまで兄さんが表に出ている間に僕の意識が無くなっていたのは、僕自身がそれを望んでいたからなのかもしれない。
だけど、今の僕はもう、自分が消えるべきだなんて考えていない。
僕自身が、生きたいと強く望んでいるのだから。
(じゃあ、本当に……これからは、兄さんとずっと一緒にいられるの……?)
抑え込んでいた期待が、途端に大きく膨れ上がる。
「お前が生きることを諦めなければな」
兄さんの手が胸に触れる。
その感触が僕の胸の辺りにも伝わり、まるで兄さんに触れられているような感覚になった。
(うん……。僕は生きたい。この世界で生きるって決めたんだ)
「んじゃ、大丈夫だろ!」
ししっと兄さんが嬉しそうに笑っているのが分かる。
それに釣られて僕も笑った。
――二人で一緒に生きたかった――
その願いが、本当に叶えられたのかはよく分からない。
ここに辿り着くまで、ずいぶんと遠回りしてしまったし、二人で一つの体を共有する僕たちの関係を歪と捉える者もいるかもしれない。
それでも、これでいいんだ。
僕たちは双子だ。
もともとは一つの個体であって、それが二つに分かれて、再び一つに戻った。
ただそれだけのこと。
同じ景色を見て、互いの言葉を交わして、誰かと出会って、その時に感じた気持ちを共有して……。
そうやって一緒に生きていくことができるだけでも、僕たちはきっと幸せを噛みしめられる。
「その前に、やることはやらねえとな!」
兄さんの声に、浮足立っていた意識が現実へと引き戻される。
そうだ。
僕たちが共に生きる未来のためにも、今は目の前のことを片付けなければならない。
視界が大きく動き、そこに映し出されたのは、玉座に腰掛ける皇帝の姿。
途端に怒涛の如く様々な感情が頭の中に流れ込む。
――これは、兄さんの感情……?
どこか懐かしいような感覚と、何かを切望する気持ちが胸を強く締め付ける。
自分を見てほしい。
認めてほしい。
愛してほしい。
父親からの愛情を、求めて、求めて、諦めて……それでもまた求めて、もがいて……兄さんはずっと、苦しんでいたのだ。
――僕の前では、そんな素振り一切見せなかったのに……。
ふいに視界が暗転し、皇帝の姿が消えた。
兄さんが目を瞑ったのだ。
(兄さん……)
「なんだよ。せっかく話ができるようになったってのに、そんな暗い声出すんじゃねぇよ。こっちまで暗くなるじゃねぇか」
(でも……)
僕の知らなかった兄さんの一面に触れ、不安が過る。
――兄さんは本当に、皇帝を……自分の父親を殺せるの……?
その時、視界の端でこちらへ斬りかかる騎士の姿が見えた。
(兄さん!)
僕が叫んだ時には、兄さんはすでに相手の剣筋を見切っていた。
振り向きざまに剣の柄で相手の襟首を叩くと、騎士は顔面から地に倒れ、動かなくなる。
気を失ってはいるが、やはり死んではいないようだ。
この戦いでは、極力相手を殺さないようにと念を押されている。
僕たちの敵はあくまでも皇帝であり、帝国騎士団ではない。
後のことを考えれば、騎士団へのダメージは少ない方がいい。
それを僕の内側で兄さんも聞いていたのだろう。
だけど、そうはいっても相手は本気で僕たちを殺そうと向かってくる。
そんな相手に致命傷を与えず戦闘不能にさせるのは至難の業だ。
それを容易にやってしまう兄さんはやっぱりすごい。
僕ではとても相手にならなかったけど、兄さんなら帝国の騎士とも十分に戦える。
これまで僕の体でいくつもの死線を潜り抜けてきた兄さんだからこそ……絶対に負けない。
そう確信すると、「任せとけ」と、兄さんが不敵に笑った。
「とりあえず、もうちょい近くであいつの顔を拝まねぇとな」
しなやかな動きで空気を切った剣先は、皇帝の顔へと向けられている。
「なっ……瞳の色が……変わった⁉」
「まさか本当に、五番目の皇子が存在していた……?」
周囲では、僕の瞳の色が変わったことに気付いた一部の騎士が騒めきだしていた。




