16.開戦 sideジーニアス
周囲では、帝国騎士団とウィルフォード騎士団との熾烈な戦いが始まっていた。
厳かな雰囲気を纏う謁見の間に相応しくない喧騒にまみれながら、僕は状況を確認する。
アレクシアが率いるウィルフォード騎士団の実力は、帝国騎士団にも匹敵すると言われている。
その実力さながら入口に固まっていた帝国軍の騎士たちが次々と倒れていく。
謁見の間に足を踏み入れると、左側の壁際に帝国軍の騎士たちが固まっていた。
どうやらそこでアレクシアとガイゼンが戦っているらしい。
たった二人に対し、十数名といる帝国軍の騎士が右往左往している。
一見すると、こちらの方が優勢に見える――が。
「増援が来たぞ!」
後方から声が上がる。
振り返ると、廊下の奥から帝国騎士団の騎士たちがこちらへ駆けてくるのが見えた。
数十はいるが、まだこれで全員ではないはず。
この調子で増援が来てしまうと、いずれは数の差で押されてしまう。
長期戦になればこちらが不利だ。
――そうなる前に、あの男を殺さないと……!
僕が見据える先にいる人物は、兄さんの殺害を命じた男――僕の父親だ。
とはいえ、父親に対する情なんて微塵もない。
会話も交わしたことがないし、きっと向こうは僕の存在すら覚えていないだろう。
僕にとっても、あの男は憎悪の対象であり、兄の仇でしかないのだから。
――よくも兄さんを……。
経験したことのない強烈な怒りが腹の底から込み上げる。
激しく脈打つ鼓動が耳の奥で反響する。
これまで、あの男への復讐を考えたことはなかった。
復讐できるような相手ではなかったし、何よりもそれを果たしたところで兄さんが生き返るわけじゃない。
だから、復讐なんて意味がないと考えていた。
だけど、兄の仇を目の当たりにして、これまで眠っていた怨恨が呼び起こされたのだろうか。
ただただ憎い。
憎くて仕方がない。
あの男のせいで、兄さんは殺された。
――あの男さえいなければ……!
「皇太子殿下!」
その声にハッと我に返ると同時に、僕の前に護衛が滑り込んだ。
すぐ頭上で甲高い金属音が弾ける。
思わず身を竦めた僕のすぐ横にもう一人の護衛が駆け付け、こちらに放たれた斬撃を剣で防ぐ。
どちらも僕を狙った攻撃だった。
それなのに、僕自身は全く対応できなかった。
二人が守ってくれなかった場合を想像し、思わず身震いする。
だけど、おかげで冷静さを取り戻した。
改めて周囲を見回すと、帝国側の騎士の数が更に増していた。
続々と増援が到着し始めたのだろう。
僕を囲うように配置されていた騎士の壁が少しずつ剥がされていく。
想定はしていたものの、やはり数の差で押され始めている。
この状況を打開するためには、一刻も早く皇帝を討ち取らなければならない。
だけど、これではとても前へ進めない。
視線を巡らせていると、こちらに向かってくる帝国軍の騎士が視界に入った。
その視線は明らかに僕を狙っている。
だが、僕の護衛は目の前の敵を相手にするので手一杯の状態だ。
『いざという時には、自分の身は自分で守れ』
アレクシアに告げられた言葉が耳の奥で蘇る。
僕は剣を握り直し、近付いてくる騎士を睨みつけた。
案の定、騎士は僕に向けて剣を振り被った。
咄嗟に剣を構えると、ガギィッという耳障りな音と共に強い衝撃を手に受けた。
危うく剣を弾かれそうになったものの、渾身の力を振り絞ってなんとか耐える。
攻撃を防いだことに安堵の息を吐いたのも束の間、再び手に衝撃が走った。
角度を変えて繰り出された斬撃に、僕が握っていた剣はあっさりと弾かれてしまう。
――しまった!
完全に丸腰状態となった僕の前に、三度目の斬撃が迫る。
刹那、横から誰かに突き飛ばされた。
すぐ目の前を横切った剣先は、僕の服を僅かにかすった。
床に手をつきながら見上げると、僕の護衛の一人が僕を攻撃した騎士と交戦中だった。
どちらの剣技も凄まじく、斬撃が目で追えない。
相手も相当な手練れのようで、僕が敵うような相手ではないのが一目瞭然だ。
剣を弾かれた手がまだ痺れている。
いや、震えているのかもしれない。
今も、護衛に守られていなければ無事ではすまなかった。
歴然とした力の差を目の当たりにして、昂っていた気持ちが沈んでいく。
――兄さんがいてくれたら……。
そんな考えまで頭を過ぎり、咄嗟に頭を振った。
――違う。そうじゃない。僕がやるんだ……!
すぐに兄に頼ろうとする甘えた思考を振り払う。
皇族の証を持たない僕が新たな皇帝として認められるためには、それに代わるもので威厳を見せつける必要がある。
そのためには、僕が先陣を切ってあの男を討たなければならないのだ。
――甘えるな……今すぐ動け!
どうにか自分を奮い立たせ、弾かれた剣を取りに走る。
背後で何か声が聞こえた気がするけど、喧騒に混じって内容までは聞き取れなかった。
混戦状態の隙間をどうにか潜り抜け、剣が弾かれた場所へと辿り着く。
床に横たわる剣を拾おうとした時、
「ジーニアス! 護衛から離れすぎるな!」
どこからか、アレクシアの叱責が飛んできた。
咄嗟に振り返ると、僕にあてがわれた護衛とはずいぶんと距離が離れてしまっていた。
「あ……」と、思わず声が出た。
さっき聞こえていた声は、僕を呼び止める護衛の声だったのだろう。
自分の剣を取りに行くことばかりに気が向いて、状況を把握できていなかった。
サーッと全身の血の気が引いていく。
今、僕を守ってくれる味方の騎士は近くにいない。
「皇太子殿下!」
また別の方向から叫び声がした。
顔を上げると、すぐ目前に帝国軍の騎士がいた。
剣を高々と振り被ったまま、その視線は完全に僕を捉えている。
――避けないと……!
頭ではそう思うのに、体が動いてくれない。
恐怖でコントロールを失った僕の体とは裏腹に、騎士の動きだけはこの目ではっきりと視認できた。
シャンデリアが放つ神々しい光を受け、煌めく剣先が真っすぐ僕に振り下ろされる瞬間も。
「……!」
思わず目を瞑る。
途端、フッと意識が後ろへ引っ張られるような感覚に陥った。
――え……?
その感覚は初めてではなかった。
兄さんとの入れ替わりが発生する直前、全く同じような感覚に陥っていた。
だけど、いつもならそこで意識が途切れるのに、今の僕は意識がはっきりと残っている。
――何これ……? どうなって……って、それよりも……!
つい今しがた、自分が斬りかかられたことを思い出し、瞬時に目を見開いた。
すぐ目前に、その騎士がいた。
――……‼
咄嗟に後ろへ引こうとしたものの、やはり体が動かない。
だけど、さっきとは異なる違和感があった。
動かないと思っていた体が、動いているのだ。
僕の意思とは関係なく、勝手に。
――え……?
視界に映る僕の手には、拾った覚えのない自分の剣が握られている。
僕の剣は、振り下ろされた相手の剣をしっかりと受け止めていた。
ギリギリと刃先が擦れ合い、互いの力が拮抗している。
いや……少しずつではあるけど、僕の握る剣が相手の剣を押し返している。
信じられない。
力勝負で、僕の方が相手の騎士を上回るなんて……。
「おらよ!」
混乱する僕をよそに、僕の口から一段と気合の入った声が放たれた。
キンッという小気味よい音と共に、僕が振り上げた剣が相手の剣を上空へと弾く。
それを追うように天を仰ぐ騎士に一瞬の隙が生まれた。
すかさず僕の体が動き、騎士の首に腕を滑りこませる。
そのまま後ろへ回り込むと、完璧な絞め技を仕掛けた。
当然、僕がそんな器用に動けるはずがなく、僕は視界の中で展開される光景を見ているだけにすぎない。
すると、左腕を掴まれるような感覚に襲われた。
見れば、騎士の手が僕の腕を掴み、首に回された腕を外そうと必死に抵抗していた。
――痛い……!
思わず顔をしかめる。
このままではちぎられるのではないかと思うほど強い力だ。
僕が体を動かせたなら、痛みに耐えられず、腕を外していただろう。
だけど僕の腕は騎士の首を締め上げたまま力を緩める気配はない。
腕を引きちぎられるような激しい痛みに耐えるだけでも、僕の方がどうにかなりそうだ。
やがて力尽きたのか、僕の腕を掴んでいた騎士の手から力が抜け、だらんと垂れ下がる。
痛みから解放され、僕は胸を撫で下ろした。
ズキズキとした痛みの余韻はまだ残っている。
離れていた場所で戦っていた護衛二人が慌てた様子でこちらに駆けつけてくる。
二人は僕が無事だったことに安堵したように表情を緩ませ、直後、僕の顔を見て目を剥いた。
「ルディオス皇子殿下⁉」
(え⁉)
多分、今の僕に顔があったなら、目の前の護衛と同じ顔をしていたと思う。
その反応から察するに、今の僕は瞳が赤い状態なのだろう。
(もしかして……兄さんが今、僕の身体を動かしているの……?)
なんとなく、そんな気はしていたが、まだ確信は持てない。
だけど……もしも本当にそうだとすれば、今の僕の状態にも説明がつく。
今の僕は、自分の身体の中に意識だけがあるような状態だ。
それでいて、目に映る視界を通して目の前の光景を見ることができている。
身体に生じる痛みも同じように感じていた。
夢の中で兄さんが教えてくれた、僕の中に居た時の兄さんの状態と、今の僕の状態はよく似ている気がする。
「よお! ジーニアス!」
(え⁉)
突如、自分の口から呼び掛けられ、僕の思考は急停止した。




