09.儀式の間の鍵 sideジーニアス
「なっ……ウィルフォード卿……⁉」
宰相は椅子を蹴倒して立ち上がると、机の端に置かれている呼び鈴に手を伸ばす。
宰相がそれを掴むより早く、地を蹴ったアレクシアが机を飛び越え、宰相の口を塞いで後ろの壁へと叩きつけた。
ガタンッと、倒れていた椅子が宰相の足にぶつかり大きな音が鳴る。
僕は咄嗟に扉を閉めると、宰相を抑え込むアレクシアのところへ駆け出した。
さすがに暴走しすぎだ。
「少し落ち着いてよ。外に聞こえたら――」
急いた足のつま先が床に引っかかった。
あ……と声が出た時には、すでに目前まで床が迫っていた。
ガシャンッ! と派手な音を響かせて正面から倒れる。
顔面を床に叩きつけた衝撃で兜が半分ほど脱げた。
「うるさい。静かにしろ」
床に突っ伏す僕の頭上から冷ややかな声が投げかけられた。
「……あなたにだけは言われたくない」
そもそも甲冑のサイズが合っていなくて動き辛かった。
そんな言い訳を頭の中で呟きながら重たい体をどうにか起こした。
甲冑のせいで起き上がるだけでも体力を使う。
そのせいで兜が脱げたことを気にする余裕もなかった。
「う⁉ ううううううう⁉」
突然、妙な唸り声がアレクシアの方から聞こえ、思わず肩が跳ねた。
見れば、アレクシアに口を塞がれている宰相が、信じられないものでも目にするかのように、大きく目を見開きながら僕を見ていた。
「貴様も静かにしろ」
アレクシアに睨まれても、宰相は依然として僕を凝視し続けている。
――まさか、僕が誰なのか分かった……?
だけど、グレイソンは父親に僕のことを話していないと言っていたし、皇帝もまだ僕の情報を掴んでいないはずだ。
それなのに、一目見ただけで……?
はらりと、僕の頭上から髪が垂れ落ちる。
目の前にぶら下がる白銀色の髪を見て、ああ……と納得した。
――この髪の色で察したのか……。
赤い瞳は持っていないけど、僕の白銀色の髪も皇族特有のものと言われている。
第五皇子の存在を知る人物であれば、僕の姿を見れば第五皇子だと結びつくのかもしれない。
自分の正体を知られたことに、緊張で体が強張るのが分かった。
自分が皇帝になると決めたからには、自分の正体を明かすのは当然だ。
その覚悟もしていた。だけど、皇宮に居ると、嫌でも過去の記憶を引きずり出される。
思い出したくもないその記憶は、一瞬で僕の意識を過去へと追いやった。
――皆から存在を否定された僕が、本当に、皇帝になんてなれるのかな……。
抑え込んでいた不安が再び膨れ上がる。
ギュッと目を瞑り、劣等感にまみれた過去の自分を必死に振り払う。
――いや、なるって決めたんだ。
しっかりと目を見開き、僕は宰相と向き合った。
そこで思わずギョッとした。
僕を見つめる宰相の瞳から涙が流れていたからだ。
「え……?」
反射的に身を引いた。
訳が分からなくて、ちょっと不気味に思えた。
宰相の涙で濡れた自分の手を見て、アレクシアは嫌そうに顔をしかめると、宰相の口から手を離した。
宰相はしばらく呆然としたまま僕を見つめ、やがて足を引きずりながら僕の前まで歩み寄ると、崩れ落ちるようにして跪いた。
「よくぞご無事でおられました……。ジーニアス皇子殿下」
感極まった声を震わせながら、宰相は粛々と告げた。
その姿に、ふと既視感を覚える。
――そういえば、初めて会った時のグレイソンも、僕の前でこんな風に跪いていたっけ……。
宰相が僕に向ける眼差しもあの時のグレイソンと同じ、僕に対して畏敬の念でも抱いているかのような眼差しだ。
でも、グレイソンの時とは明らかに違う、妙な不快感が僕の胸をざわつかせた。
――なんでだろう。グレイソンから宰相が味方につくはずだと聞かされた時には、こんな感情抱かなかったのに……。
「白々しい……」
そんな言葉が僕の口をついて出た。
考えてみればそうなのだ。
だってこの人は、僕が産まれた時からここにいた。
この人もまた、僕の存在を無視していたうちの一人なのだから。
それなのに、なんで……。
ふつふつと湧き上がる苛立ちが、僕の口から恨み節を吐き出させる。
「どうして今更、皇子殿下なんて僕を持ち上げるの? あなただって、他の人間と同様に僕の存在を無視していたじゃないか」
もし一度でも話しかけられていたなら、きっと記憶の片隅に残っていたはずだ。
でも僕は、この人の顔を知らない。
皇子殿下なんて敬称をつけながら、この人は離塔に隔離された僕に一度も会いに来なかった。
宰相はハッとしたように顔を上げ、「それは……」と口ごもる。
跪いたまま胸の前で手を交差させ、宰相は更に深く首を垂れた。
「おっしゃる通りでございます。ジーニアス皇子殿下に対する数々のご無礼を、心よりお詫び申し上げます」
足元で縮こまる宰相を、僕はただ見下ろすことしかできなかった。
もっと弁明したり、許しを請うような態度を見せられていたなら、こちらも強く責め立てていただろう。
だけど、この人はすでに自分の罪を認めている。
そのうえで自分の過ちを悔い、真摯に謝罪をしているのだ。
ずるいと思った。
勝手に自分の中で結論を出して、謝罪だけを差し出してくることが。
そんな相手に、こちらが一方的に怒りをぶつけたところで、きっと何も変わらない。
だけど、僕だって分かっている。この人はただ、皇帝に従うしかなかったのだと。
僕の存在を無かったものとしたのは皇帝の意志だ。
それに逆らえば、ここで生き残ることすらできない。
更には自分の選択や行動が、家族にまで危険を及ぼす可能性だってあるのだ。
「おい」
ふいに苛立つ声が聞こえ、ハッと我に返る。
顔を上げると、アレクシアが剣呑な顔で僕たちを睨んでいた。
その口から地鳴りするような低い声が出た。
「無駄口を叩く時間はない。さっさと鍵をよこせ」
「鍵……?」
「儀式の間の鍵だ」
途端、弾かれたように宰相は顔を上げた。
大きく見開いた目で僕を見つめる。
「まさか……。ジーニアス皇子殿下、貴方は――」
「いいからさっさとしろ」
アレクシアは、何か言いかけていた宰相の襟首を容赦なく掴んで立ち上がらせると、至近距離で凄みを利かせる。
僕は小さく溜息を吐いた。
「とりあえず、今はその人の言う通りにしてほしい。儀式の間の鍵、ここにあるんだよね」
「……はい。確かに。……つまり皇子殿下は……そういうことなのですね」
何かの結論に達したらしい宰相は、しばし眩しそうな眼差しで僕を見つめると、「すぐにご用意いたします」と告げ、執務室の奥の方へと向かう。
「待て」
なのに、急にアレクシアが宰相を呼び止めた。
さっさとしろと急かしたり待てと引き止めたり、本当にこの人は自己中が過ぎる。
人を振り回すのもいい加減にしてほしい。
「何か?」
宰相は、困惑するように首を傾げる。
「お前は掌紋認定士の資格を持っているのか?」
「はい。持っておりますが……」
「ならば、お前がいれば皇太子の儀は問題なく行えるんだな」
「最低限のことであれば……」
「それでいい」
「ちょっと待って」
軽快に交わされた二人の会話に慌てて口を挟んだ。
この流れ、すごく嫌な予感がする。
「まさか、今からマリエーヌさんのところへ行くとか言わないよね」
「マリエーヌのところへは行かない。マリエーヌの近くで待機するだけだ」
「同じだから! 絶対に碌なことにならないから行くのはやめた方がいい」
「問題ない」
あっさりと言い捨てると、アレクシアはこちらに背を向け扉へと向かう。
「待ってって……」
呼び止める僕の声に、アレクシアは振り向きもしない。
それを見送るだけの護衛騎士にも激しく苛立った。
「あなたたちも、突っ立ってないであの人を止めてよ!」
僕の訴えに、二人の護衛騎士は慌てる様子も無くその場に佇んだまま動かない。
ただ、フッと遠い目をする気配がした。
「皇子殿下。お言葉を返すようですが、こうなることは想定しておりました」
「むしろここまでよく我慢されたと感激しております」
引き止めるどころか、ここまで耐えたことに感心している護衛騎士に「なんでだよ!」と叫びたくなる。
どうやらこの二人は最初から計画通りに事が進むとは思っていなかったらしい。
その口ぶりから、普段からあの人の言動にどれだけ振り回されているのかが察せられた。
もはや呆れを通り越して虚無の心地になった。
扉の前でアレクシアは一度振り返り、僕に念を押すように告げた。
「僕のことよりも、お前は自分のことに集中しろ。この計画が成功するかはお前にかかっているんだ」
「そう思うなら行かないでほしいんだけど……」
僕がそれを言い終えるよりも早くパタンッと扉が閉じられる。
アレクシアの姿もすでにない。
「ジーニアス皇子殿下。儀式の間の鍵をご用意いたしましたが……いかがなさいましょうか……?」
気まずそうに宰相が声を掛けてくる。
その手には、ジャラジャラといくつもの鍵がぶら下がっている。
僕は項垂れつつも、重い溜息を吐き出した。
あの人がいなくなったところで、僕たちがやることは変わらない。
「仕方ない。あの人は放っておいて僕たちだけで行こう。あなたも一緒に付いてきてくれるんだよね」
「はい。では、私が儀式の間までご案内いたしますので、ジーニアス皇子殿下と後ろのお二方は騎士を装い私の後ろについて歩いてください」
そこでふと、気になっていたことを思い出した。
「そういえば、ここに来る時は誰とも会わなかったけど……」
僕の言葉に、宰相は苦い笑みを浮かべる。
「皇帝陛下のご命令により、明朝まで謁見の間に近付かないようにと皆に通達しておりますので、皇宮内を歩く者は少ないと思われます。ここは謁見の間からは離れておりますが、思いがけず見てはならないものを見てしまわないよう、予防線を張っているのですよ。皇帝陛下がそういうご命令を下す時は、大概誰かが亡くなる時ですから」
ぐっと喉の奥が詰まる。
まさに今、マリエーヌさんたちは謁見の間で皇帝と対峙している。
そこで皇帝は二人の処刑を実行するつもりだ。
それも正統な処刑ではない。
アレクシアの見解では、皇帝の目的は、アレクシアの手でマリエーヌさんを殺させることだという。
自分を裏切ったアレクシアに対し、死ぬ以上に耐え難い苦痛と後悔を与えるために。
二人の処刑は、あくまでも皇帝の私怨を晴らすため、そして私欲を満たすためだけに行われる処刑なのだ。
恐らく、今回だけに限らず、皇帝による不当な裁きはこれまでも行われてきたのだろう。
それをここに居る人たちは見て見ぬふりを続けてきた、ということだ。
「相変わらずだね、この場所は」
明らかにおかしいことが起きているのに、誰もが思考を停止させ、疑問にさえ思わない。
ここで生き残るためには、きっとそれが一番楽な生き方なのだろう。
「あなたはいいの? 僕たちにつくということは、皇帝を裏切るってことだよ」
僕の問いかけに、宰相は僅かに目を伏せる。
「宰相である私の役目は、レスティエール帝国をより長く存続させることにありますので。貴方が新たな皇帝となり帝国を治めるというのであれば、私は貴方に付き従う所存でございます」
帝国のためと言いながら、結局は自分に都合よく解釈しているようにも聞こえる。
「じゃあ、もし途中で僕が殺されたら、あなたはあっさりと皇帝側に寝返るの?」
「いえ、それはございません」
少しは迷うかと思いきや、きっぱりと否定された。
「この選択は、私なりのケジメでもありますから……」
覚悟はしております……と、神妙な面持ちで告げられる。
よくよく見れば、宰相の目の下にはひどいクマができていて、顔色も相当悪い。
まるで不治の病にでも侵されているかのような様相だ。
疲弊しきったその姿に、僅かばかり同情心が湧いた。
きっとこの人は、皇帝の近くで見たくもないものを見続けてきたのだろう。
少しずつ、自分の心を殺しながら……。
その時、遠くで何かが爆発するような音が聞こえた。
宰相が弾かれたように顔を上げる。
「い、今の音は……?」
顔を強張らせて固まっている宰相とは対照的に、二人の護衛騎士は何の反応も示さない。
僕も同じだ。
誰の仕業かは分かっている。
「やっぱり一分も我慢できなかったみたいだね。こっちも急がないといけないみたいだ。早く行こう」
困惑顔の宰相を促し、僕たちは次の目的地――儀式の間へと向かった。




