08.追跡 sideジーニアス
帝国軍の船を追跡する船には、アレクシア本人と僕、そしてウィルフォード騎士団の騎士十名が乗船した。
いくら貿易船に扮しているとはいえ、接近し過ぎないよう帝国軍の船とはかなり距離を空けての出航となった。
肉眼では米粒くらいの大きさにしか見えないけど、決して見失わないよう四六時中騎士が交代しながら監視することになっている。
――とりあえず、向こうはうまく騙されてくれたみたいだね……。
帝国軍は、連行している男を本物のアレクシアだと信じきっている。
替え玉作戦は、以前にも使ったことのある手だ。
二度も同じ手に引っかかるなんて間抜けだなと思う。
だけど、今回の替え玉のクオリティを見れば騙されるのも納得できる。
僕でも至近距離で見て本物と見分けがつかなかったくらいなのだから。
とはいえ、連行されているマリエーヌさんは紛れもなく本人だ。
アレクシアを警戒する帝国軍の騎士がマリエーヌさんに手を出すとは思えないけど、それでも気が気でない人物がここにいる。
言うまでもなく、アレクシア本人だ。
船首から帝国軍の船を睨みつける男は、今にも海に飛び込んでマリエーヌさんの救出へ向かうのではと思うほど殺気立っている。
更に隣に佇むマリエーヌさんの護衛騎士も、それに続かんとするほど物騒な形相だ。
そんな二人を乗せた船内は常にピリピリしていて、すごく居心地が悪い。
こんな状態がこれから何日も続くのだと思うと、まだ始まったばかりだというのに、ドッと疲れた気分になった。
とりあえず、大きなトラブルなくレスティーエル帝国の港に到着したものの、僕たちにとってはここからが本番だ。
次の目的は、皇宮への潜入。
そのためには帝国軍の騎士として紛れ込む必要があった。
港から皇宮へは、馬車で移動するとなれば四日ほどかかる。
つまり、帝国軍が皇宮へ到着するまでの間が勝負となる。
帝国軍の船には多くの騎士が乗船していて、陸地での移動には何台もの馬車が連ねる大所帯となった。
恐らくは、アレクシアが抵抗することを想定して多くの騎士を用意していたのだろうけど、こちらからすれば人数が多いのは好都合だ。
少人数よりもずっと紛れ込みやすくなる。
一日目の深夜、まずはガイゼンが単独で動き、マリエーヌさんが乗る馬車に同乗していた騎士の一人と擦り替わった。
ガイゼンはもともとアレクシアのカゲとして行動していたらしく、隠密行動にも秀でている。
おまけに帝国軍の騎士としての経験もあるため融通も効く。
アレクシアがマリエーヌさんの護衛騎士に任命するくらいなのだから、相当な手練れなのだろうとは思っていたけど、予想以上の有能ぶりだった。
一方で僕たちはというと、三日後の深夜、アレクシアを筆頭に最後尾の馬車を襲撃。
乗車していた四人の騎士が纏っていた甲冑を奪い、僕とアレクシアと、僕に付けられた二人の護衛騎士がそれを身に付けた。
皇宮へ潜入するのはガイゼンと僕たちの五人のみ。
他のウィルフォード騎士団の面々はレスティエール帝国に残っている仲間と合流することになっている。
縛り上げた四人の帝国軍の騎士は、邪魔になるので彼らが持ち去ってくれた。
こうして僕たちは帝国軍の騎士として紛れ込むことに成功し、騎士に扮した僕たちを乗せた馬車は皇宮を囲う城壁をあっさりと通過した。
普段は厳しく審査する門番も、さすがにこの大部隊を一人一人確認しようとは思わなかったようだ。
馬車から降りると、皇宮の全貌が目の前に姿を現した。
何本もの塔が上空へと聳え立ち、威風堂々とした姿を見せつけるように厳かに佇む皇宮は、幼かった頃に目にした姿のままだ。
まさか、自分がもう一度この場所に戻って来るなんて、レスティエール帝国を脱した時には思いもしなかった。
全身を覆う重たい甲冑。
その内部に熱がこもり、蒸されるような熱さで自然と息が荒くなる。
皇宮を前にして、緊張も少しあるのかもしれない。
全身にのしかかるプレッシャーと不安を必死に振り払いながら、移動する騎士に紛れて前へ進んだ。
皇宮の中に足を踏み入れた瞬間、懐かしい香りが鼻を掠めた。
刹那、ここで過ごしていた頃の様々な記憶が脳内を駆け巡る。
――これは、兄さんの香りだ……。
ぼんやりと、そんなことを思った。
正確には、皇宮内で使用されている香料が兄さんの体に染みついていたのだろう。
けれど、僕にとって皇宮内を漂うこの香りは兄さんを連想させるものだ。
僕の脳裏に、兄さんと一緒に過ごしていた日々が眩しく蘇る。
だけど、兄さんはもう、ここにはいない。
幼い頃に追いかけていた背中を、もう二度と目にすることはできない。
手の平のマメが潰れて硬くなった手で、僕の手を引いてはくれない。
兄さんの声で僕の名前を呼び掛けてもくれない。
兄さんの話を聞くことも、一緒に笑い合うことも、もう……何もできない。
――兄さん……。
ふっと目の前が暗転する。
暗闇の中で、自分が何をしていたのか。
いったいどこへ向かおうとしていたのかも分からなくなる。
方向感覚を失い、急激な孤独感に襲われた僕の目は、自然と兄さんの姿を探してしまう。
探したところでどこにもいないと分かっているのに……。
「ジーニアス」
突然、名前を呼ばれて我に返った。
真っ暗だった視界に色が戻り、皇宮の廊下へと景色が切り替わる。
目を瞬かせる僕の前で、一人の騎士がこちらへ顔を向けていた。
その騎士は僕の方へと顔を寄せ、
「ぼーっとするな。さっさと歩け」
小声でそう言うと、僕の肩を軽く小突く。
アレクシアの声だった。
アレクシアはさっさと踵を返すと、何事もなかったように僕の前を歩く。
その背中を追うようにして、僕も後ろに続いた。
敵地のど真ん中に居るというのに、過去の記憶に引きずられるなんてどうかしている。
――感傷に浸っている場合じゃない。まずは目の前のことに集中しないと。
それに、僕はもう、幼くて何もできなかったあの時の僕じゃない。
成長して大人になったし、強力な味方もできた。
たとえ進む道が分からなくなったとしても、正しい方向へ導いてくれる人がいる。
僕自身も、自分の意思を口にできるようになった。
今、僕がこの場所にいるのも、自分の意思で決めたことだ。
――今度は逃げるんじゃなくて、戦うんだ。兄さんの分も、僕が。
そのためにも、僕が兄さんの代わりに皇帝になる――。
その志を今一度胸に刻み、僕は歩む足に力込めた。
僕が皇帝になる前提として、まずは僕が正式な皇太子として認められなければならない。
そのためには、僕が正統な皇族であることを証明する必要がある。
皇族は皆、出生時に手形を取られ、皇族登録証として保管される。
それが再び日の目を浴びるのは、その人物が皇太子として任命される時と、亡くなった時だけ。
皇族登録証の手形と掌紋を照合し、確実に登録されている本人であるかを証明するためだ。
皇太子となるための条件は、正当な皇族であることと、成人済みであること。
そして、他に皇太子が存在しない、あるいは皇太子となる条件を満たす皇子がいないことである。
現時点で、生き残っている皇子は僕一人だけ。
つまり、僕が第五皇子だと証明された時点で、僕は皇太子としても認められる。
実際には他にも細かい手順がいろいろと必要らしいけど、それは後でどうにでもなるというのだから、どうにかしてもらえばいい。
宰相補佐を務めていたグレイソンの話によると、登録証明書は皇太子の儀を執り行う『儀式の間』に保管されているらしい。
けれど、儀式の間は必要時以外は施錠されていて、その鍵を管理しているのがグレイソンの父親である宰相なのだという。
当初の計画では、グレイソンが父親を説得して鍵を入手する予定だった。
第五皇子が生きていることを知れば、宰相はこちら側に付くはずだとグレイソンは確信していた。
だけど、僕の存在を知るよりも先に、グレイソンの不穏な動きを察した宰相はグレイソンの裏切りを皇帝に告発した。
それによりグレイソンは皇帝が放った刺客に狙われる事態となった。
すんでのところでウィルフォード騎士団がグレイソンを保護し、どうにか事なきを得たものの、当然、グレイソンは皇宮へ出入りすることができなくなった。
つまり、グレイソン抜きで僕たちが宰相と話をつけ、儀式の間の鍵を手に入れなければないのだ。
グレイソンは、僕が第五皇子だと知れば宰相は協力するはずだと言っていたけど、父親に告発された当人がそれを言ったところで説得力に欠ける。
どちらにしろ、アレクシアはどんな手を使ってでも鍵を入手するだろうから、鍵のことはあまり心配していない。
――一番心配なのは、マリエーヌさんの身を案じたこの人が暴走してしまわないかってことなんだけど……。
ガイゼンをマリエーヌさんの護衛として傍に置き、アレクシアが僕たちと行動を共にしているのは、アレクシアが掌紋認定士の資格を所持しているからだ。
二つの掌紋を照合し、それが同一人物か否かを判定できるのは掌紋認定士だけ。
よって、皇太子の儀には必ず掌紋認定士が同席し皇族証明書の掌紋と一致するかを判定する。
後日、複数の掌紋認定士により判定に間違いがなかったかが検証される。
もしも判定に誤りがあった場合、その掌紋認定士は終身刑という重い罰を受けることになるが、これまで判定に誤りがあったという事例はない。
今回、皇族証明書に登録されている手形と、僕本人の掌紋の照合をアレクシアが行うことになっている。
だから、確実に僕が皇太子となるまではこちらに付いていてもらわなければ困るのだ。
――それに、この人がマリエーヌさんの傍に居ると、碌なことにならない気がするんだよね……。
頃合いを見て、僕たちは騎士の集団から外れた。
向かう先は宰相の執務室。
あらかじめ皇宮内の見取り図を入手していたため、宰相の執務室がある場所も正確に把握している。
迷いのない足取りで僕たちは目的地へと向かった。
灯りの灯る廊下は不気味なほど静まり返っていて、一瞬、罠を警戒した。
けれど、特に何かが起きるわけでもなく、僕たちは難なく宰相の執務室へと辿り着いた。
あとは騎士のふりをしてノックを――そう思っているうちに、アレクシアは何の躊躇もなく扉のノブに手を掛けた。
「ちょっ……」
呼び止める間もなく扉を開けて突入したアレクシアを見て、慌てて僕も後に続く。
すぐ目に飛び込んできたのは、驚愕した宰相の顔だった。




