07.ジーニアスの目論見 sideアレクシア
ハレイヤ国にレスティエール帝国軍の船が到着する二日前――。
『レスティエール帝国皇帝より、父上宛てに書状が届いていたようです。どうやらウィルフォード夫妻がこの国に潜んでいるという情報を流した人物がいたようで――』興
ハレイヤ国王太子エヴァンから届いた知らせは、非常に頭の痛い内容であった。
恐らく、僕たちの情報をレスティエール帝国へ流したのは、エヴァンの毒殺を目論んだ人物――国王の義兄で間違いない。
奴は、王位を義弟に奪われたという私怨から王太子の毒殺を企て、その罪を僕に着せようとしていた。
だが計画は失敗に終わり、捕らえられた国王の義兄は罪を認め、今は王城の地下牢に投獄されている。
僕たちの情報は奴が捕らえられるより前に、すでに帝国へ流されていたのだろう。
王太子毒殺の成否に拘わらず、はなから僕たちを帝国へ引き渡すつもりだったようだ。
王太子からの書状によれば、二日後には帝国軍の船がここへ来るという。
――とりあえず、早急にマリエーヌだけでもここから逃がす手筈を整えなければ……。
しかし、マリエーヌは自分だけが逃げることに納得しないだろう。
先日の襲撃でも、人質に取られたジェイクの妻を救うため、自分を守ろうとする護衛騎士を振り払ってまで自分の身を引き渡そうとしたのだ。
自分よりも、目の前にいる人物を優先して守ろうとする、勇敢な彼女らしい行動だ。
だからこそ、マリエーヌだけ逃がすとなれば、いくら周囲の人間が納得しようとも本人は強く反発するはずだ。
――ならば、ジェイクの家族や侍女たちも一緒に逃がす必要があるか……。
そこまで考えたところで扉が開き、思考が中断された。
「ノックもせずに何の用だ?」
「それをあなたが言うの」
不服そうに口を尖らせながら、ジーニアスは無断で執務室に入ってきた。
最近のジーニアスは、ルディオスに引けを取らないほど図々しい。
「おい。扉を閉めろ」という僕の指摘を無視してジーニアスはこちらへとやってくる。
「マリエーヌさんが心配してたよ。朝食の時、あなたの様子が変だったって。何かあったの?」
開口一番でマリエーヌの名前が出たことに、苛立ちに似た焦燥を覚える。
王太子からの書状を読んだのはマリエーヌとの朝食前だった。
内に秘めた動揺を気取られないよう平然を装っていたつもりだが、やはりマリエーヌの観察眼は鋭い。
「お前には関係ない」
「関係あるよ。あなたがマリエーヌさんの前で冷静さを保てないなんて、どうせマリエーヌさん絡みで何かあったんじゃないの? となると当然、この計画もこのままではいかないってことだよね」
「……」
「隠したところで意味ないよ。どんなことであれ、計画に関わる情報なら共有しないと」
言いながら、ジーニアスはこちらに手を差し出す。
僕が握り潰している王太子からの書状をよこせという意味だろう。
短く息を吐き、僕は手にしていた書状を渡した。
ジーニアスは書状の皺を伸ばしながら目を走らせると、意味深にほくそ笑んだ。
「へえ……ちょうどいいじゃん。これで堂々とあの男の所へ行けるね」
「何がちょうどいいだ。僕だけならまだしも、マリエーヌまで捕まるわけにはいかない」
「そのことなんだけど」
ジーニアスは手にしていた書状を執務机の上に載せると、腕を組みながら僕を見下ろす。
「どうしてあなたはマリエーヌさんを連れて行こうとしないの?」
「は?」
急にコイツは何を言い出したのか。
眉を顰める僕に、ジーニアスは呆れ顔をよこす。
「ここ数日、あなたはずっとマリエーヌさんのことばかり考えていたよね。計画の最終確認の時ですら上の空だったし……そんなので本当に大丈夫なの? ていうか、そこまで心配ならもう一緒に行動した方がマシなんじゃないかってさすがに思えてきたよ」
「馬鹿を言うな。危険に決まっている」
「そんなのどこにいても同じでしょ。現に今、帝国軍の船がここに向かっているわけだし。タイミングが少しでも違っていたら、どのみちマリエーヌさんは連れて行かれていたよ。ほんと、運が良いよね。あなたたちは」
運が良い――非常に不本意ではあるが、ジーニアスの言うことも一理あった。
元の予定では僕たちは二日後の明朝にここを発ち、レスティエール帝国へ向かうことになっていた。
もしも王太子からの知らせがなければ、僕たちを乗せた船は帝国軍の船と入れ違いになっていただろう。
だが、それとこれとは別だ。
「マリエーヌには専属の護衛騎士を付けた。いかなる場合であれ、必ずマリエーヌを守り通すよう命じている」
僕はジーニアスから視線を逸らし、これ以上の会話を遮断する。
机の向こうから呆れ果てるような溜息が聞こえた。
「誰からとは言わないけど、あなたはマリエーヌさんのことになると途端にポンコツになるって聞いたよ」
「……」
――リディアか。
不敬な侍女の処遇については後に考えるとして、僕はジーニアスを一瞥する。
青い瞳に似つかわしくない確かな闘志が、眼差しの奥に揺らめいている。
自分の体に宿っていた兄の気配が消え、一時は生きる気力さえ失っていたが、どうにか気持ちを立て直したらしい。
あの日以来、ジーニアスは人が変わったように、この計画に協力的な姿勢を見せるようになった。
全くやる気を見せなかった剣の訓練にも真剣に取り組むようになり、優れた洞察力を遺憾なく発揮し、計画の内容についても何かと口を出すようになった。
ジーニアスの頭脳とルディオスの剣術、両方が揃っていれば、皇帝になる資質は十分にあっただろう。
「とりあえず、まずはマリエーヌさん本人の意見を聞いてみたら?」
「……それは……」
早々に核心を突かれ、返答に詰まる。
どちらにしろ、マリエーヌには事実を話さなければならないとは思っていた。
だが、伝える情報は取捨選択する必要がある。
少なくとも、余計なことを言いかねないこの男を排した場所でなければ……。
「っていうか、もう連れてきたから」
「……なに?」
ジーニアスがスッと横に動くと、開いたままの扉の隙間からマリエーヌが遠慮がちに顔を覗かせた。
「マリエーヌ!」
咄嗟に立ち上がった反動で椅子が勢いよく倒れ、背後で派手な音が鳴った。
だが、そんなものに構う余裕はない。
僕はすぐにマリエーヌのもとへ駆けた。
――まさか……ジーニアスがここに来た時からずっと外にいたのか……?
だとすれば、レスティエール帝国軍の船がここへ向かっているという話も聞かれていたかもしれない。
「マリエーヌ」
「アレクシア様」
不安がっているマリエーヌを安心させようと、穏やかに呼び掛けた僕の声は、力強いマリエーヌの声により搔き消された。
こちらを真っすぐ見据えるマリエーヌの揺るぎない眼差しを受け、僕は僅かに気圧される。
艶のある唇がゆっくりと開き、
「私も、レスティーエル帝国へ連れていってください」
「⁉」
あまりにも唐突な申し出だった。
そんな言葉を彼女の口から聞くのは初めてだ。
それはつまり、マリエーヌも計画の実行部隊の一員として加わりたいという意味なのだろうか。
「マリエーヌ……とりあえず、一旦落ち着いて話をしよう」
僕自身にもそう言い聞かせながら、マリエーヌの両肩に手を添える。
しかし、動揺する僕よりもずっとマリエーヌは冷静に見えた。
「ジーニアス君から聞きました。私がここにいる限り、いつ帝国軍の船が来てもおかしくないと。……実際、もう船はこちらへ向かっているのですよね。私たちを捕えるために……」
「……ああ。その通りだ」
今更、言い逃れができるはずがない。
僕が正直に答えると、マリエーヌは少しだけこちらに身を乗り出した。
「アレクシア様は、私だけを逃がすおつもりなのですか?」
「……いや。君だけではない。リディアや他の侍女、それとジェイクの家族も、安全な場所へ避難させるつもりだ」
平然と告げたものの、まるで言い訳のようだと若干の後ろめたさを覚える。
だが、もう間もなくマリエーヌと離ればなれになるというのに、彼女の不信を買うようなことは絶対に避けたい。
そう思っての言い訳だったのだが、ことのほかマリエーヌの表情は晴れない。
「ジーニアス君の言う通り、皇帝が私のことも狙っているのであれば、本当の意味で安全な場所なんてどこにもありませんよね?」
真っすぐな眼差しで問われ、一瞬だけ言葉に詰まる。
「……だが、それもこの計画が終わるまでだ。全てが終われば――」
「それは、明日の安全が保障されるものではありませんよね。その全てが終わるまで、常に危険に晒されている状況に変わりはありません。私だけでなく、他の皆まで……」
マリエーヌの表情に暗い影が落ちる。
彼女が懸念しているのは、あくまでも自分の周りにいる皆のことなのだろう。
先日の別荘襲撃の経験からも、主として皆を守らなければならないという思いがより一層強くなったのかもしれない。
次の瞬間、マリエーヌの瞳に強い光が兆した。
「ですが、少なくとも……ここにいる皆の安全を確保する方法があります。私がここから離れればいいのです」
「……!」
マリエーヌがその結論に至らないよう、巧みに情報を伏せたり回りくどいやり方をしていたのだが……。
――余計なことを言った奴がいるな……。
反射的にジーニアスを睨みつけた。
当の本人は素知らぬ顔で宙を眺めている。
あくまでも自分は関係ないとしらを切るつもりか。
「アレクシア様」と、宥めるような声でマリエーヌが僕の袖を掴む。
「ジーニアス君は関係ありません。私が考え足らずだったのです。私がここにいるから、一緒にいる皆まで危険に晒されているのですよね。こんな単純なことにどうして今まで気付かなかったのか……」
そこで言葉を詰まらせると、いえ……と、マリエーヌは小さく首を横に振る。
「私が皆と離れたくなくて、今の環境に甘んじていたのです。皆を守りたいと言いながら、私自身が皆を危険に巻き込んでいたのです」
「いや、違う! もとはといえば僕が君を危険に巻き込んだんだ! 君も巻き込まれた側なんだ!」
だからマリエーヌには一切の責任はないのだと必死に訴えれば、彼女は困ったような笑みを見せた。
「それなら、中途半端にしないで最後までちゃんと巻き込んでください」
マリエーヌの柔らかな手が僕の両手を包み込む。
そしてもう一度、僕に柔和な笑顔を向け「私も一緒に連れていってください」と告げた。
「しかし……」
「ねえ。なにビビってんの?」
突如、嘲笑が混ざったジーニアスの声が僕たちの間に割り込んだ。
「マリエーヌさんの護衛騎士にはどんな状況であれ必ず守り通せって言ってるんだよね。それなのに、自分にはできないわけ?」
「は?」
聞き捨てならない発言に、ピキッとこめかみの血管が音を立てる。
ジーニアスは挑発的な笑みを浮かべ、僕と向き合った。
「どうせマリエーヌさんと離れたところで、あなたはマリエーヌさんが気になって計画に集中できないでしょ。マリエーヌさんだって一緒に行きたがってるんだから、もう連れていけばいいよ」
反論しようとしたところで、ぎゅっと両手を握られる。
マリエーヌへ視線を向ければ、彼女は僕を見上げて力強く頷いた。
凛とした眼差しに一切の迷いはない。
流星の下で僕に願いを告げた時と同様に、すでにマリエーヌは決意を固めている。
これ以上、僕が何を言ったところで彼女の決意は揺るがないだろう。
それならば、僕も覚悟を決めるほかない。
「それに、ご親切に迎えの船まで出してくれるっていうんだから、これを利用しない手はないよね」
「は?」
さらりと告げられたジーニアスの言葉に、決めかけていた覚悟が揺らぐ。
「お前……何を企んでいる?」
「あなたなら絶対に考えないことなのは確かだね」
つまり、マリエーヌを利用した何かしらを目論んでいるのだろう。
「まさか……マリエーヌを囮にするつもりか?」
「囮もなにも、すでに向こうはこっちに向かってきているわけだし。それにあなたたちが捕まらなければ、帝国軍はこの国を片っ端から捜索するって言ってるんだよね」
「え?」
マリエーヌはキョトンとした顔をこちらに向ける。
「それって本当なのですか……?」
再三、余計な発言をするジーニアスに苛立ちながらも、僕は曖昧に頷いた。
マリエーヌは小さく息を呑むと、ジーニアスへと視線を戻す。
「逆にあなたたちがすんなりと捕まれば、帝国軍はすぐに船を引き上げる。そしたらこの国も、ここに残る人たちの安全も確保される。皇帝の狙いはあくまでもあなたたち二人なわけだし」
「黙れ……。お前はもう何も喋るな」
それでも流暢に語る奴の口は止まらない。
「ここが安全になるなら、残す騎士の数もだいぶ減らせるよね。それだけ向こうに戦力を集中させることができる。一石二鳥だと思うけど」
「だからといってマリエーヌを囮にする理由にはならない。却下だ!」
「アレクシア様」
だが、またもやマリエーヌの宥めるような声が、爆発寸前の僕の怒りを鎮めた。
「私は囮でもなんでもやります。これ以上、私たちの都合で他の人たち巻き込みたくはありません」
「マリエーヌ……」
真剣に訴えかけてくるマリエーヌの想いを裏切ることはできない。
だが、それが何を意味するのか、考えるだけでも込み上げる怒りで頭がどうにかなりそうだ。
僕は視線を落とし、僕の手を握るマリエーヌの手を見つめた。
「捕まれば、君は罪人として手錠をかけられることになる」
僕の両手は、今も彼女の手の温もりに包まれている。
こんなにも温かいぬくもりを宿す彼女の手が、罪人の証でもある無機質な鉄の塊によって縛られるなんてとても耐えられない。
そんな役回りを彼女に負わせたくない。
嫌だ。
それだけはやめてほしいと、縋りつきたい気持ちに駆られる。
しかし、マリエーヌは僕に向けて悠然と微笑み、
「私は構いません」
そう答えた彼女の声は、凪いだ海の如くどこまでも穏やかだった。
二日後の朝、予告通り帝国軍の船はハレイヤ国の港に到着した。
レスティエール帝国の国旗を掲げた船の到来に、港は一時騒然となった。
中にはレスティエール帝国軍が侵略に来たと騒ぎ立てる者もいたが、国王とエヴァン王太子が現れ、群衆の前で事情を説明したことによりその場は静まった。
帝国軍の船には、全身を甲冑に包んだ騎士が多く搭乗しており、たった二人の人間を連行するにしては物々しい雰囲気を醸し出していた。
それを見れば、帝国軍が侵略に来たと騒ぎ立てる奴の気持ちも分からなくはない。
ハレイヤ国としては一刻も早く僕たちを引き渡し、帝国軍の船を遠ざけたかっただろう。
二人の身柄の引き渡しは難なく行われ、帝国軍の船は間もなくして港を出航した。
僕はそれを見届けると、ハレイヤ国の貿易船に扮した別の船に乗り込み、帝国軍の船の追跡を開始した。




