06.余興 sideアレディオス皇帝
「……私は、父親を殺してはおりません」
抑制されたような声で、アレクシアは父親殺害の容疑を否認する。
こちらとしては、そんなことははなから分かっている。
奴の父親は私がこの手で殺したのだから。
しかし、僅かではあるが、アレクシアが反応を示したことには少々驚いた。
当時、父親が死んだと聞かされた時には何の反応も見せなかったはずだが……。
「そうか。まあいい」
私はアレクシアの言葉をあっさりと受け流し、決定事項だけを述べた。
「どちらにしろ、そなたが私を欺きレスティーエル帝国から逃亡を図ったのは紛れもない事実である。よって、皇族侮辱罪でそなたの死刑は決まっておる」
もとより前公爵殺害の容疑はおまけみたいなものである。
アレクシアを凶悪な殺人犯として仕立て上げ、国際手配するためにはうってつけの罪状であった。
しかし、これを公にしたところ、こともあろうに公爵領の領民からはアレクシアを擁護する声が上がったという。
事実、アレクシアは領民たちを捨てて国外へと逃亡したというのに、アレクシアの無実を訴える声は収まらず、前公爵の死因についての再調査を求める署名活動まで行われているというのだ。
全く訳が分からぬ。
皆から敬遠され、婚約者の一人も見つけることのできなかった奴が、何がどうひっくり返って領民たちから慕われるようになったというのか。
釈然としなかったが、深く考えるのはやめた。
理解できないことを考えたところで疲れるだけだ。
「して、そなたがアレクシアの妻か」
視線を後方へ向けると、女は恭しく首を垂れた。
「はい。お初にお目にかかります。マリエーヌ・ウィルフォードと申します」
凛とした声に、怯えの兆しはない。
私を前にしても取り乱すことなく、気丈に振舞う姿はいつぞやのアレクセイの妻を彷彿とさせた。
――ほう……なかなか肝が据わっているではないか。
マリエーヌに対する評価を改め、私はその顔をじっくりと眺める。
滲み出る緊張を隠しきれてはいないが、しっかりと見開いた双眸からは強い覚悟がうかがえた。
「そなたも不運であったな。愚かな夫の犯した罪により、そなたまで連座の対象となるのだから。さぞ不本意であろう」
「……」
一拍ほど沈黙すると、女は再び首を垂れた。
「夫が罪を犯したのであれば、妻である私も同罪です。夫と共に謹んで処罰をお受けいたします」
愚かな夫を咎めることなく恭順の意を示す女に、私は静かに嘆息した。
「ふむ……大した女ではないか。アレクシアよ。これについてはそなたも異論はないな?」
アレクシアは何も答えず、唇を噛みしめる仕草を見せた。
つい先ほどまで無表情を貫いていた男が見せた内なる感情の濁りに、私は相好を崩しそうになるのをどうにか耐えた。
やがてアレクシアは顔を上げると、真剣な眼差しを私に向けた。
「私の容疑は全て認めます。ですが、妻には何の罪もございません。全ての罰は私が受けますので、どうか妻だけは見逃してはいただけないでしょうか……」
そう懇願するアレクシアに、私は溜息交じりに頭を振り、芝居じみたセリフを口にした。
「アレクシアよ。分かっておらぬな……。人に願いを申し出るのであれば、それなりに誠意を見せてもらわねばなるまい。そんな口先だけで私の気持ちが変わるとでも思っておるのか?」
心外であると、落胆の溜息を吐き出すと、アレクシアは速やかに体勢を変え、両膝を床につけた。
「アレクシア様……」
愛する妻の悲しげな視線を背中に受けて、アレクシアはゆっくりと上体を倒し、前傾姿勢となった。
「どうか妻だけは……皇帝陛下の寛大なお心で、ご慈悲を賜りますようお願い申し上げます」
「……まだ頭が高いようだが?」
私がアレクシアの隣の騎士に目配せすると、騎士は片足を上げ、アレクシアの頭を強く踏みつけた。
「――‼」
アレクシアの妻が声なき悲鳴を上げる。
容赦なく踏みつけられ、額を床に強打したようだが絨毯のおかげでいくらか衝撃は防げたようだ。
今も騎士の足により額を床に押し当てられているが、アレクシアは何の抵抗も見せず、ただひたすらに「どうか妻だけは……」と懇願している。
さすがに我慢の限界であった。
「ふっ……はは‼ なんと無様な姿を晒しておるのだ。仮にも公爵であった人間が、ずいぶんと落ちぶれたものだ」
私は背もたれに体を預けると、没落した元公爵の成れの果てを見下ろした。
「そなたらを見ているとつくづく思う。愛とは、人をこんなにも愚かにさせてしまうのだと」
アレクセイもアレクシアも、愛に狂わされたがゆえに、愛する者と共にここで死ぬことになるのだ。
愛に踊らされ、理性を失い、己を制御することもできず、自滅の道を辿る。
とどのつまり、愛と洗脳は似通ったものなのかもしれない。
制御不能なほどの強い束縛。支配。服従。
その手綱を握るのは、奴の愛する妻であり、生かすも殺すもこの女次第というわけか。
私が握っていたはずの手綱が、いつの間にか他人の手に渡っていたことに甚だ怒りを覚えたが、それも今だけだ。
私は笑みを消し、声を低くして告げた。
「もうよい。そんなもので私の気が変わるなど露ほども思っていないのであろう」
私が軽く手を払うと、アレクシアを踏みつけていた騎士は足を元の位置に戻した。
アレクシアはゆっくりと上体を起こし、力ない眼差しを私に向ける。
床に押し当てられていた額がうっすらと赤く染まっていた。
その間抜けた面の滑稽さに、私は小さく失笑する。
「しかし、私も鬼ではない。そなたがそこまで申すのであれば、情けをかけてやらなくもない」
私の言葉に、アレクシアの瞳が期待に大きく見開かれる。
私は最大限の慈悲を込めて笑いかけた。
「そなたが愛する妻を、せめてそなたの手で葬ってやるのだ」
「――!」
サーッとアレクシアの顔が一瞬で青ざめる。
後方で成り行きを見ていたアレクシアの妻も同じ表情をしていた。
「案ずるな。そなたが妻を殺した後、そなたは私の手で葬ってやろう。これで二人は永遠に一緒でいられると、なにかの演劇で見たことがある。現実に死後の世界があるのであればだが」
親切心からそう言っているのにも拘わらず、二人の表情は更に深く沈んでいく。
――ああ、いい顔だ……。
口角が吊り上がるのを押さえきれず、私は口元に手を添えて笑みを隠した。
今の顔をもっと眺めていたいという欲と、今すぐにでも妻を殺させて果てのない絶望に突き落としたいという欲が私の中でせめぎ合う。
僅かに後者が勝った。
この時を、この瞬間を、私は待ち望んでいたのだ。
奴の表情が絶望に歪む顔を……涙が枯れるほど泣き叫ぶ声を……後悔に打ちひしがれ苦しみもがく姿を……。
それをこの目と耳にしかと焼き付ければ、私を苦しめる耳障りな幻聴も、不快極まりない奴の死に顔も、全てをこの男の絶望で塗りつぶせる。
私はアレクシアの妻を指差し、命じた。
「アレクシア。そなたの妻を殺せ」
私の命令に、二人の体が同時に揺れた。
「うっ……!」
呻き声を上げ、アレクシアは胸を押さえて苦しみだす。
どうやら奴にかけた洗脳は全てが効力を失ったわけではないようだ。
今まさに、私の命令を拒む時に生じる苦痛が奴の体を蝕んでいる。
「アレクシア様!」
駆け寄ろうとした妻を、隣の騎士が手で制する。
自分を殺しかねない男に自ら近寄ろうとするとは、ほとほと愚か者である。
――つまりこの女も、アレクシアを愛しているというわけか……?
途端、ざわりと、神経を逆撫でされるような不快感を覚えた。
「さっさとしろ、アレクシア」
苛立ちが声に滲む。
妻を愛するだけでなく、アレクシアもまた妻から愛されている。
互いに愛し合う二人の関係を、今すぐにでも断ち切ってやりたくなった。
身を屈めて苦しみに震えていたアレクシアの体がピタッと止まる。
「……仰せのままに」
低い声で応じると、アレクシアがスッと立ち上がった。
つい今しがたまで苦しみに顔を歪ませていたのとは打って変わり、その顔は無表情となっていた。
まるで自我を手放したかのように。
アレクシアは振り返ると、マリエーヌを制していた騎士を押しのけ、手錠をかけられた手で妻の首を掴み上げた。
「!」
突然の夫の行動に、マリエーヌは驚きに目を見張っている。
その首にアレクシアはもう片方の手を添え、両手で首を絞め始めた。
苦しげに悶えながらマリエーヌは必死にアレクシアの両腕を掴むが、女の力ではビクともしない。
「……っ」
マリエーヌは喘ぐように口を開け、必死に何かを訴えようとする。
細い首を絞め上げる手は小刻みに震え、上気した顔でマリエーヌは表情を歪ませる。
その目尻には、徐々に涙が溜まっていく。
惜しくも私からはアレクシアの表情を確認することはできないが、アレクシアの動きに一切の躊躇はない。
周囲の騎士たちはアレクシアに警戒しつつも、事の成り行きを窺っている。
間もなくして、マリエーヌの顔からフッと表情が掻き消えた。
事切れたように妻の首がガクッと折れ曲がり、アレクシアの腕を掴んでいた手が滑り落ちる。
力を失った両腕は、だらんと肩から垂れ下がった。
しん……と静まり返る中、その様子を私はしばらく眺め――たまらず盛大に噴き出した。
「ふっ……はははは! なんだその茶番は! そんな下手くそな演技に私が騙されるとでも思っておったのか⁉ そなたら、全く役者には向かぬな! はははっ!」
「……」
アレクシアは無言のまま、掴んでいた妻の首から手を放した。
気を失ったふりをしていたマリエーヌはゆっくりと顔を上げ、不安げな表情でこちらを窺っている。
最初から何かがおかしいとは思っていたが、まさかここで一芝居打ってくるとは予想外であった。
それも騙す気があるのかと問い詰めたくなるほど酷い演技である。
「はぁ……笑わせてくれるな。首を絞められた人間の顔はあんなものではない。もっと醜く歪むものだ。それくらいそなたなら知っておるであろう、アレクシアよ」
未だ込み上げる笑いを堪えながら指摘すると、アレクシアは不服そうに眉をひそめる。
それにしても、実に愉快である。
まさかこの男が、こんなくだらぬ茶番劇を見せてくるとは。
再び笑いが込み上げ、腹を抱えた。
こんなに笑ったのはいつぶりであろうか。
「しかし、なかなか愉しい余興であった。……さて、次はいったい何を見せてくれるのだ? まさかこれで終わりというわけではあるまい。下手くそな演技には目を瞑ってやるから、もっとこちらを楽しませてみせよ。ただし、やるなら半端なことはするでない。首を絞めるなら、せめて死ぬ手前までは本気で絞めるくらいせねばならぬであろう」
私と目が合うと、マリエーヌの表情があからさまに強張った。
その隣で私を睨むアレクシアの表情には微かな焦りの色が滲んでいる。
じりじりと奴を追い詰めている実感を得て、更に気分が高揚する。
それにともない私の口も滑らかに言葉を連ねていく。
「できることならそなたに剣を握らせ、血しぶき舞い散る斬撃ショーでも見せてもらいたかったのだが、いくら手錠をはめているとはいえ、そなたに剣を握らせるのはリスクが高いからな。やはり絞殺が無難ではあるが、ただ絞め殺すだけというのも盛り上がりに欠ける。それならば、やはりすぐには殺さずたっぷりと焦らしながら苦しみに喘ぐ妻の顔を拝めた方がそなたにとっても良いであろう。そなたがまだ見たことのない妻の姿を見れるのだぞ。愛する妻ならば、どのような姿でも見てみたいとは思わぬか?」
問いかけた先で、赤い瞳が憎々しげに私を睨んでいた。
手錠で繋がれていなければ、今すぐにでも私に飛び掛かってきそうな形相である。
私は目を細め、人差し指を立てた。
「まずは指の一本。小指から順番に折っていくか。片手が終わればもう片方の手を。次に両手首、両腕、両足。そして最後に首を折ればいい。どうだ? こういうのはそなたの得意とする分野であろう?」
あらゆる拷問によって多くの情報を得てきたというのに、アレクシアの顔からは徐々に色が失われていく。
これまで散々人を痛めつけてきた人間が、ようやく自分の残忍性に気付いたとでもいうのか。
「さあ、アレクシアよ。私が言った通りにその女を痛めつけろ。そして殺せ。……殺せ! 殺すのだ! その女を殺して絶望に歪むそなたの顔を私に見せ――」
バァンッ‼
と、突如何かが破裂したような音と共に正面入口の扉が弾け飛んだ。
「な⁉」
直後、正面からの突風に煽られた私を庇うようにして、控えていた近衛騎士が私の前に立った。
甲冑で覆われた背中に視界を占拠され、状況が全く分からない。
――な……なんだ⁉ 今のは⁉ なぜ扉が弾け飛んだ⁉
心臓が早鐘を打つ音を聞きながら、近衛騎士の背中から顔を覗かせ、
「…………は?」
その光景を目にした瞬間、思わず絶句した。
――……どういう……ことだ……?
扉が無くなり吹き抜けとなった入口に佇む人物は、私のよく見知った人物であった。
だが、あり得ない。
なぜなら奴は、今、ここに……。
私は入口に固定されていた視線を動かし、段下にいるマリエーヌの隣に佇むアレクシアを見下ろした。
――……まさか……奴は……。
「アレクシア様⁉」
アレクシアの妻までもが驚愕の声を上げた。
その視線はすぐ隣に居る夫ではなく、入口に立つ人物へと向かっている。
その男の足元には、入口で見張りをしていたと思われる騎士が数名横たわっていた。
片手に携えた剣を構え直すと、男は剣先を私へと向けた。
「マリエーヌへの許し難い暴言の数々……。皇帝……貴様は今ここで僕が殺す!」
激しい怒りの炎を背負い、激情を剥き出しにする男は紛れもなく、アレクシア・ウィルフォード本人であった。




