05.謁見の間 sideアレディオス皇帝
三日後の晩方、アレクシアたちを乗せた馬車は皇宮に到着した。
食事を終えて報告を受けた私はすぐに身支度を整え、皇宮の中央に配された謁見の間へと向かった。
壇上に設置された豪奢な玉座に腰掛けると、私は金箔に覆われた天井を眺めた。
煌々と輝くシャンデリアの灯りが、緻密に施された装飾の秀麗さを引き立てている。
何度も目にしたはずの光景が格別に美しく見えるのは、これから行われる催しへの期待感からであろうか。
両脇には一人ずつ近衛騎士が立ち、私の護衛に徹している。
彼らは帝国騎士団の中でも精鋭中の精鋭として私の近衛騎士に抜擢された者たちである。
ただし、いくら近衛騎士といえど、本来であれば壇上には上がらせない。
皇帝の権威を象徴する場で私よりも頭が高い人間がいるなどもってのほかである。
とはいえ前回もそうであったが、今のアレクシアは私の記憶にあるアレクシアとは違う。
未だ不可解な点が多いのだ。
ゆえに、今回も奴の動きが予測できず、特例として近衛騎士を私の傍に置くことにした。
更には壇下にも騎士を配備している。
壇上から伸びる真紅の絨毯を避けるようにして、左右にそれぞれ十名ずつ。
皆、騎士団の中でも近衛騎士に次ぐ実力を持つ精鋭部隊の面々である。
私は肘掛けに寄りかかりながら頬杖をつくと、壇下に整列した騎士を眺めた。
頭上から足の先まで銀色の甲冑を纏った騎士の体は光を反射し光彩を放っている。
彼らが着用している甲冑は最先端技術を駆使して作らせたもので、矢をも防ぐ耐久性を保持しつつも従来の甲冑よりもかなり軽い。
更には着用者の体型に合わせて細部まで調整しているため、機動性にも優れている。
機能面で秀でているのは当然として、何よりも見栄えが良い。
これこそ誉れ高き帝国騎士団の名に相応しい姿である。
気を良くした私は目を細め、顎髭を撫でた。
今夜、この場に居ることが許されているのは私と帝国騎士団の人間のみ。
ここで何が行われるのかを知るのもこの場に居合わせた者だけ。
宰相は薄々勘づいているであろうが、奴の父親と同じで利口な奴は何も言わない。
宰相には、しばらくのあいだ謁見の間には帝国騎士団の人間以外誰も近付けさせるなとだけ命じている。
よって、この閉鎖された空間の中でいかなる残虐行為が行われようとも、外部にまで知れ渡ることはない。
つまり私は、心置きなくここで繰り広げられるショーを、思う存分堪能することができるというわけだ。
舞台は完璧に整えた。
あとは主役である二人の登場を待つだけ――と言いたいところだが、まだ油断はならない。
妻に現を抜かしているとはいえ、抜け目なく国外逃亡まで図った奴のことだ。
まだ何かを目論んでいる可能性は捨てきれない。
――奴にかけた洗脳が正常に機能していれば、ここまで警戒する必要はなかったのだがな。
傍系といえど、皇族の血族である公爵家は皇帝に次ぐ権威を持っている。
必要以上に力を持てば脅威になりかねない。
そうした懸念を排除すべく、代々次期公爵となる人間には幼少の頃から皇帝への忠誠心を植え付ける洗脳を教育の一環として義務付けていた。
皇帝に対して誠実であること。
皇帝の命令には従順であること。
皇帝の脅威となる人間は速やかに排除すること。
それは本人の意思とは関係なく、洗脳により支配された精神と肉体がおのずと取る行動である。
しかし、強靭な精神力を持つ人間であれば自我を保つこともあるという。
まさしくアレクセイとアレクシアがそうであったように。
されど、いくら自我があろうとも、洗脳に抗えば強烈な苦痛に襲われ、最悪、死に至る。
それなのにも拘わらず、アレクシアは私を欺きレスティエール帝国を脱した。
更には宰相補佐をそそのかし、何かしらの目論見を企てていたのも知っている。
すなわちアレクシア自身が、私の脅威となろうとしていたのだ。
これらを総じて、アレクシアに施した洗脳はほとんど意味を成さなくなっていると考えられる。
私を蔑んだ奴の父親と同じように……。
ギリッと奥歯が軋み、鳩尾のあたりにどろりとした熱が集結する。
燻ぶり始めたドス黒い感情を追い出すように、私は荒々しい息を吐き捨てた。
背もたれに体を預け、煌々と輝きを放つシャンデリアを薄目で眺める。
死ぬほどの苦しみに耐えてまで洗脳に抗うとは、やはり愛する者を守ろうとする強い意志があるがゆえなのか。
私には到底理解できない。
否、理解する必要などないのだ。
もはやこの世界には何の期待もしていない。
ほとほと疲れてしまったのだ。
欲望のままに何かを期待して求めることに……つまらぬ感情にいちいち振り回されることに……大した目的もなく、惰性で生きることに……。
もうくたびれた。
うんざりである。
この果てのない欲望と憎しみを鎮めるためにも、アレクシアとその妻の死は絶対であるだけで、それが果たせさえすれば――私はもう、この世に未練はない。
この未練を断ち切り、あの男の亡霊から解き放たれた暁には、香木の見せる快楽に溺れ、いずれ安らかな死を迎えられればよい。
私の死後、帝国がどのように崩壊しようとも私には関係ない。
私が手にする絶対的な権力、広大な大陸、無敵の騎士団も、誰の手のものにもならない。
私だけが唯一それらを全て手にすることができた偉大な皇帝として、歴史に名を刻む。
未来栄光、私の名は世に広く知れ渡り、皆の記憶の中で私の栄光は輝き続けるのだ。
――それも悪くない。
遥か先の未来を見据え、思いを巡らせるうちに、それまでの不快な気分も徐々に霧散していった。
間もなくして正面の扉が厳かに開き、甲冑に身を包んだ騎士が姿を現した。
入室した騎士はこちらへ一礼すると、赤い絨毯の上を真っすぐ進む。
その後ろには、私が待ちわびていたアレクシアの姿があった。
隣に立つ騎士に促されるようにしてアレクシアも歩を前へと進めた。
アレクシアは相変わらずの無表情を決め込んでおり、怯えや焦りといった感情は一抹も見られない。
しかしその両手首には重厚な手錠がかけられており、手錠に繋がれた鎖は隣を歩く騎士が握っている。
アレクシアの後ろを一人の騎士が歩き、更に後ろには亜麻色の髪の女――アレクシアの妻が同じような状態で連行されてくる。
ようやく姿を現した二人を前にして、しかし私ははてと首を傾げた。
――なんだ。囚人服を着せていないのか。
アレクシアもその妻も、罪人と呼ぶには似つかわしくない改まった装いをしている。
私の目汚しとならぬよう、あえて着替えさせなかったのか。
だとしても、囚人服姿のアレクシアを期待していた身としては少々興が削がれた。
しかし、貴族然とした華やかな風貌の二人と、その両手首にかけられた手錠の物々しいさまは、あまりにも不釣り合いでなんとも滑稽な姿である。
これも悪くない、と私は考えを改め、二人が歩く姿を上から眺めた。
壇の下で先頭の騎士が足を止めると、その場に跪く。
後ろに立つアレクシアは無表情の顔を僅かに伏せ、速やかに跪いた。
それに倣うようにしてアレクシアの妻も腰を低くする。
「アレクシア・ウィルフォード死刑囚。及びマリエーヌ・ウィルフォード死刑囚をハレイヤ国より連行してまいりました」
先頭の騎士による報告を聞き、アレクシアの妻の名を思い出した。
確か、アレクシアがあらゆる場所に設置していたという石像の名前がマリエーヌ女神像だったはずだ。
仮にも女神を模した像に自分の妻の名を付けるとは、やはり正気の沙汰ではない。
余計なことを思い出してしまった自分に辟易し、頭を振って記憶から追いやった。
「大儀であった」と騎士たちを労い、視線をアレクシアへと向ける。
「面をあげよ」
跪いたまま、各々が顔を上げる。
この状況でさえ、アレクシアは無表情を崩さない。
こちらを見上げる真紅の瞳は、まるで無機質なルビーの如く一切の感情を消している。
――相変わらず、面白みのない男だ。
こういうところは昔から何も変わっていない。
この男も、この男の父親も。
人としての感情が極端に乏しいのだ。
敬うべき人間を前にしても、形式だけの礼儀を見せるだけで、その眼差しはどこまでも冷ややかであった。
命じれば動く。
だが、命じない限りは何をしようともしない。
私の命令に従うのも、所詮は洗脳により強制されたものであり、この男自身が私への忠誠心など持っていないのは見るも明らかであった。
とはいえ、誰も手懐けることのできない男が、唯一私の命令にのみ従順に従うのだ。
まさに私にだけ懐く獰猛な獣。
そういう意味ではアレクシアのことはそれなりに気に入っていた。
――それがまさか、私以外の人間にも尾を振るようになるとは……。
私はアレクシアへ向けていた視線を後方へと動かす。
マリエーヌという女は私と目が合うと、僅かに緊張を顔に滲ませた。
――なんだ。普通の女ではないか。
アレクシアが懸想するほどの女とは、いったいどれほどの美女であろうかと期待していたが、全くの見当違いである。
容姿は良くも悪くもない、対した特徴のないどこにでもいるような女だ。
いったい、この女のどこに命を賭してまで守ろうと思えるほどの魅力があるというのか。
女を観察するのをやめ、アレクシアへと視線を戻す。
涼しい表情を貼り付けたままのアレクシアに、私は柔和な笑みを見せた。
「アレクシアよ。よくぞ私のもとに戻ってきてくれた。ずいぶんと長く帝国を離れていたようだが新婚旅行とやらは堪能できたのか?」
「……はい。おかげさまで」
思ってもいないことを平然と口にするアレクシアに、私は小さく失笑する。
「では、新婚気分はさっさと捨て払ってしまえ。そなたには、私に偽りの口上を述べたという皇族侮辱罪と、そなたの父親アレクセイ・ウィルフォード前公爵殺害という容疑がかかっておる。これらの罪状に対し、意義があるというなら申してみよ」
前公爵殺害と聞いて、アレクシアの肩が僅かに揺れた。




