03.欲望が向かう先 sideアレディオス皇帝
我が帝国が成し遂げた大陸統一という前代未聞の偉業に、帝国内はお祭り騒ぎと化した。
騎士団の凱旋パレード、帝都を中心に連日開催される催し。
帝国の勝利を寿ぐ夜会の数々。
当然、そうした祝典には私も出席した。
集まった帝国民からは割れんばかりの拍手喝采を浴び、私に祝辞を述べようと多くの有力者が列をなした。
だが、皆が歓喜に沸く姿を目にするほど、私はひどく醒めた気分になった。
新たに支配下となった地から届く献上品の数々にも、興味をそそられるのはほんの一時にすぎず、それらも全て、手にした瞬間にゴミ屑同然と変わり果てた。
私ももう若くない。
大陸全土を掌握するまでに、三十四年もの歳月をかけたのだ。
大陸の外にまで覇を広げる気には到底なれなかった。
欲望の矛先が見つからないのは、私にとって生きる目的を失ったも同然であった。
かつて母親を失った時と同様に、それからの私は空虚な日々を何年も繰り返した。
それでも徐々に皺の深くなる身体が、私を置き去りに流れ続ける時間の残酷さを嫌でも思い知らさせた。
やがて全てが億劫になり、執務に関しても宰相に委ねるようになった。
何をする必要もなくなった私は、昼夜問わず眠って過ごすことが多くなった。
だが、次第にそれも難しくなった。
眠ることができなくなったのだ。
側近が私の異変に気付いた時には、私は重度の不眠症を患っていた。
毒の耐性のある私は薬が効きづらく、処方された睡眠薬はほとんど意味を成さなかった。
体は休息を欲しているのにも拘わらず眠ることだけができない。
ついには起き上がる気力さえ失い、寝たきりになった私は食事を口にすることも困難になった。
日に日に衰弱していく体は、着実に死へと向かっていた。
そしてついに、私の専属医が夢幻の香木を持ってきた。
これ以上、回復の見込みはないと判断してのことだったのであろう。
夢幻の香木を使用したことにより、私はようやく深い眠りにつくことができた。
たっぷりと休息を得た体は思い出したように空腹を訴え、僅かな食事を摂ることができた。
深く眠り、少量の食事を口にして、再び深く眠る。
それを繰り返すうちに、私の体は医者が驚愕するほどの回復力を見せた。
私自身も、老い衰えたと思っていた体にこれほどの生命力が残されていたことに静かな感動を覚えた。
やがて命の危機は脱し、医者からはこれ以上の香木の使用を止められた。
だが、その声はすぐに黙らせた。
香木がなければ、私は眠れない。
生きることさえままならなくなるのだ。
今更、生にしがみつく理由などなかったが、それでも自ら死を選ぶことは憚られた。
それまでの無気力な日々も、香木を使用することによりささやかな快楽を得ることができる。
それだけが、私の生きる源となった。
数ヶ月後、私の体は完全に回復した。
時を同じくして、アレクシアが二度目の結婚式を挙げたという報告を受けた。
その刹那、チリッと腹の奥で何かが弾ける感覚がした。
二度目と聞いて、再婚でもしたのかと思ったが、相手は二年も前に結婚式を済ませた妻だという。
それも、前回とは比にならないほどの盛大な式の場を設け、二人を祝福するために多くの領民が列をつくったというのだ。
宰相の話によれば、私が病床に伏している間もアレクシアの妻へ向けた奇行はたびたび確認されていたという。
だが、どれも私の知るアレクシアの行動とは思えない内容だった。
とても理解が追い付かず、私はすぐにアレクシアを呼び出した。
そして私の前に姿を現した奴は、事もなげに『二重人格を発症していた』などとほざきおったのだ。
「ふっ……ふふ……ふはははははっ!」
回想に耽っていた私は堪えきれず、声を上げて笑った。
何がどうひっくり返って奴が妻を愛するようになったかは知らぬが、もはやそんなことはどうでもいい。
「私を欺き、愛する妻を守ろうとするところも、そなたそっくりではないか」
脳裏に思い描く男の姿と、今のアレクシアの姿が重なって見える。
私の命令に抗い、妻を殺すことを拒み、最期の瞬間まで私を軽蔑し、憐憫の眼差しを向けていた男に。
――良い忘れ形見を残してくれたものだ。アレクセイよ。
おかげでやり直せる。
あの忌ま忌ましい記憶を、新たな記憶で塗り替えることができるのだ。
数日前、レスティエール帝国の元公爵夫妻がハレイヤ国に身を潜めているという匿名の文書が届いた。
ハレイヤ国――レスティエール帝国から海を渡って西へ進むと、小さな島国がいくつも密集した海域がある。
中でも特に規模の小さい島国がハレイヤ国だったはずだ。
これといって特出した特徴があるわけではないが、他国の人間に対しては厳しい入国審査を設けている。
故に、奴らが身を潜めている可能性は低いとして捜索対象にはなっていなかった。
だが――ハレイヤ国内に奴らを手引きした人間がいるのならば、話は変わる。
即座にハレイヤ国王に書状を送り、元公爵夫妻が潜んでいないか、国内をくまなく捜索するよう要請した。
とはいえ、本当に奴らがハレイヤ国に潜んでいるのなら、国王自身がそれを黙認している可能性がある。
その場合を考慮し、脅しの一文も添えておいた。
『もしも捜索対象を見つけられない場合、レスティエール帝国から軍を送り、王城を含めたハレイヤ国内全域の捜索に乗り込む』と。
後日、ハレイヤ国王から届いた書状には、元公爵夫妻の潜伏先を特定したと記されていた。
まさか罪人とは知らずに偽造された入国許可証を使用され、入国を許してしまった――という、白々しい文面も一緒に綴られていたが、大人しく罪人を引き渡しさえすれば、あんな小国どうでもいい。
手に入れたところで邪魔なだけだ。
アレクシアとその妻を連行するための船には、精鋭部隊の騎士を多く同乗させることになった。
たかが二人の人間を連行するだけにしては少々大掛かりではある。
いっそのこと、二人の首だけを持ち帰るようにすれば、ずいぶんと楽になっただろう。
だが、それはできない。
どうしても二人を生け捕りにしてここまで連れて来る必要があった。
――アレクセイ……お前のせいだ。
私を裏切り、侮辱し、嘲った男は、最期の瞬間まで哀れみの眼差しを私に向け続けていた。
愛する妻が死んだ悲しみに暮れるわけでもなく、妻を殺された怒りを露わにすることもなく、ただひたすらに私を哀れみ、見下していた。
私の忠僕であるはずの人間が、だ。
あれほどの屈辱を味わったのは初めてだった。
あの男が死んだ今でさえ、奴に対する憎悪の炎はひとときも静まることなく燃え続けている。
これほどまで私を苛立たせる理由の一つが、奴の死に顔だ。
目の前で愛する者が殺され、全身をズタズタに切り裂かれたのにもかかわらず、息絶えた奴の顔は穏やかな笑みを象っていた。
その腕に守られるようにして事切れていた奴の妻も、同じような微笑を浮かべていた。
私が見たかったのは、己の手で愛する妻を殺害し、絶望に歪んだ奴の顔だ。
そして、自分の犯した過ちを後悔し、嘆き苦しみながら私に殺される。
それこそが、裏切り者である奴に相応しい死に様だった。
――それがなんだ。あの安らかな死に顔は。思い出すだけでも反吐が出る!
そもそもが想定外だったのだ。
奴が私の命令に背き、妻を殺さなかったことが。
強力な洗脳すらも無力化してしまうほど、妻を守ろうとする意志の方が強かったとでもいうのか。
それほど、あの男は妻を愛していたとでも……?
ギリッと奥歯が軋み、頭の中が怒りの感情に支配されかけた時、ふいに力が抜けた。
――そうだ。だからやり直すのだ。もう一度、あの男の死に様を。
すでに死んでしまった男を生き返らせることはできない。
だが、奴の生き写しとも言える息子が生きている。
激しい欲望が胸の内で怒涛のように荒れ狂う。
今の私には、明確に欲するものがある
それは、あの男の絶望に歪んだ顔だ。
今度こそ、奴の愛する妻を自らの手で殺させ、底知れぬ絶望へと沈ませてみせよう。
あのすまし顔がどこまで醜く歪むのか、この目でたっぷりと見届けてやるのだ。
たとえ洗脳の効果が薄れているのだとしても、父親の時とは違う。
こういう事態に備えて、アレクシアにはある特殊な洗脳を施してあるのだ。
ベッドに体を沈ませながら、私は静かにほくそ笑む。
――アレクセイの時と同じ轍は踏まぬ。今度こそ、確実に奴を操ってみせよう。




