01.貪欲の皇帝 sideアレディオス皇帝
大変長らくお待たせいたしました…!
最終章(後編)、最後まで見届けていただけると幸いです!
レスティエール帝国の第一皇子として、この世に生を享けた私は、常に多くの物や人に囲まれていた。
何を欲するまでもない。
望まずとも、必要なものは全てこの手の中にあるのだから。
だが時折、衝動的な欲望に駆られることがあった。
宰相が愛用していた眼鏡。
騎士団長が帯刀していた大剣。
上級貴族が引き連れていた眼光鋭い護衛騎士。
その欲望が向かう矛先は、誰かしらが所有する物。
それが持ち主にとってどれほど手放し難いものであったとしても。
むしろ、その者が大事にしているものほど欲しくて堪らなくなった。
そして私が一言命じれば、それらはいとも簡単に手に入るのだ。
第一皇子である私が次期皇帝となるのは誰もが承知の事実。
ゆえに、私の命令には誰もが従順に応じ、自らの所有物を私に差し出した。
だが、そうして手に入れたものたちは、自分の所有物となった途端に一切の興味が失せた。
度の合わない眼鏡に使い道などなく、持ち上げることのできない大剣を使いこなせるはずがない。
反抗的な態度の護衛騎士に関しては、早々に不敬罪を突きつけ牢獄送りにした。
自分には合わなかったのだろうと、役に立ちそうなものにも目を付けてみたが、それも無意味だった。
どれほど強く望んだものであっても、手にした瞬間にただの無機質と成り果て、微塵も魅力を感じられなくなるのだ。
強い欲望の果てに得られるはずの悦びも満足感も、何ひとつとして得られない。
ただ期待外れな虚しさと、矛先を失った渇望だけが自分の中に取り残された。
そして、それらを満たすためにもまた違う何かを求めずにはいられなくなった。
しかし、何を手に入れたところで結果は同じ。
目の前に積み重ねられていくのはゴミ同然のガラクタの山。
されど、一度手に入れた物を元の所有者に返したり、ましてや他人に譲るなど愚の骨頂。
ゆえに、私はこれまで多くのものを手に入れ、それと同等の多くのものを捨ててきた。
そんな私が唯一、心満たされる時があった。
それは母親と共に過ごす憩いの時間。
次期皇帝としての厳しい教育の合間に、母親はよく私のもとへとやってきた。
母親が私だけに向ける慈愛に満ちた眼差し。
温かみを感じる微笑み。
頭を撫でる柔らかな手の感触。
囁くように私の名を呼ぶ甘い声。
何もかもが完璧だった。
満たされなかった心の空白も、母親といる時だけは温かい何かで満たされた。
しかし、私が七の時、母親は第二子を身籠った。
それまで私だけに向けていた眼差しを自分の腹部に向け、私を撫でた手で愛おしそうに腹を撫でる母親の姿。
それを目にした瞬間、満たされていたはずの心が大きくちぎれ、そこからとめどなく何かが流れ出るような感覚に陥った。
もう、母親からどれだけの愛情を注がれようとも、一度ちぎれてしまった心は満たされない。
注がれた先から流れ落ち、そこには何も残らない。
私を満たすことのできない母親の存在に、もはや何の魅力も感じられなくなった。
――いらない。私だけのものでないのなら必要ない。
だから私は、母親を捨てることにした。
母親のために用意されていた紅茶に毒を盛り、腹の子もろとも毒殺した。
毒の訓練として、少量の毒物を服用していた私にとって、毒を入手するのは容易だった。
毒殺の容疑も、お茶を淹れた侍女へ向けられるよう毒の包み紙を侍女のポケットに潜ませた。
後日、その侍女は皇后及び皇族殺害の罪により処刑された。
それ以来、私の欲望は、はたと消え失せた。
何を目にしても、耳にしても、心が全く動かない。
何の興味も沸かない。
――つまらない。何もかもがどうでもいい。
そんな空虚な心を抱えながら、面白みのない日々をただ繰り返していた。
あの女と出会うまでは――。
十六を迎えた私が正式な皇太子となって間もなく、レスティエール帝国建国記念パーティーが開催された。
その会場には、来賓として隣国オレディンの国王と第一王女が招待されていた。
オレディンは、レスティエール帝国から北に位置する国であったが、大陸北部の国々で結成した連合国には加盟しておらず、どちらとも敵対しない中立の立場をとっていた。
デビュタントしたばかりだというオレディンの第一王女は、何にも染まっていない清楚で可憐な少女だった。
目が合うと、第一王女は恥ずかしそうに頬を赤らめながらも、花が綻ぶような笑顔を見せた。
その姿は、どこか母親と似た雰囲気を漂わせており、一瞬で目を奪われた。
――欲しい。
私の中で長く眠っていた怪物が覚醒し、卑しく舌なめずりする気配がした。
オレディンの第一王女を自分の妃として迎え入れたい――と、私は皇帝である父親に伝えた。
しかしあの男は、首を横に振るだけだった。
第一王女には、すでに婚約者がいた。
それも、相手は北部の連合国に属する国の第一王子。
そんな相手から婚約者を奪うとなれば、長く睨み合いが続いている連合国との関係に更なる軋轢を生み、最悪、戦争にまで発展しかねない。
それを私の父親は許さなかったのだ。
父親にはほとほと失望した。
連合国がなんだ。
大陸南部を統治するレスティエール帝国に恐れをなして、北部の臆病な国同士が集まっただけの集団相手に、何を恐れる必要があるというのか。
大陸最強とも謳われるレスティエール帝国騎士団は、いかなる時であれ皇帝の命令に従うよう洗脳を施されている。
だから一言命じればいいのだ。煩わしい連合国など、さっさと潰してしまえ、と。
強大な軍事力を持て余すだけの脳無しで腰抜けな父親に、私は激しく憤った
――いらない。こんな父親も、皇帝も、この帝国には害悪だ。
だから私は、父親を捨てることにした。
二人だけで話したいことがあるからと、人払いした執務室で、私は隠し持っていた短剣を父親の首に突き刺した。
刃が首の皮膚を貫く直前、父親は目玉が飛び出そうなほど大きく目を見開いて私を見た。
まるで得体の知れない怪物とでも遭遇したかのように。
強大な帝国の頂点に君臨する父親の、そんな間抜けた顔を見たのはこの世で私だけであろう。
そんな優越感に浸っていると、宰相が執務室に戻ってきた。
宰相は、血にまみれた私と父親を前にして、何が起きているのか分からないという様子で驚愕していた。
だが、皇帝がすでに絶命しているのを確認すると、速やかに私の前で跪き、新たな皇帝が誕生したことに祝辞を述べた。
予想通りの利口な男だった。
おかげで余計な死体を増やさずに済んだ。
宰相と話をして、皇帝殺害の罪は騎士団の若い新兵に被せることにした。
私とさほど年齢の変わらない新兵は、新たな皇帝となった私の命令に従順だった。
その新兵だけではない。
その場に集められた騎士全員が、当然のように私の命令に従った。
つい先ほどまで、自分の主君だった男が目の前で死んでいるというのに、悲しむ者は一人もいない。
それどころか、自分の主君だった男を殺害した人間の前で恭しく跪くのだ。
洗脳により感情が抑制されているとはいえ、なんと薄情な人間どもであろうか。
だが、だからこそ信頼できる。
彼らにとって、私がどのような人物であるかは関係ない。
自分が従うべき主君であるかどうか――皇族の証を持つ皇帝という地位こそが重要なのだ。
つまりは私が皇帝である限り、くだらぬ感情に左右されない彼らは絶対に私を裏切らないのだと、私は確信した。
数日後、新兵の男は皇帝殺害の罪を一身に背負い、人知れず処刑された。
新たな皇帝となった私は、程なくしてオレディンへの侵攻を開始した。
こちらとしては、第一王女を妃として迎え入れられるのなら、わざわざオレディンへ攻め込む必要はなかった。
しかし、オレディンの王がその申し出を断ったため、強硬手段を取らざるを得なくなったのだ。
我が帝国軍の圧倒的な軍事力を目の当たりにし、オレディンは早々に降伏の意を示した。
オレディンは帝国の支配下に置かれ、愚かな国王も捨て払った。
これで私と第一王女との婚姻の妨げとなるものはない。
そう思った矢先、父親が殺されたと知った第一王女は、突然血相を変え、『この卑怯者!』などと私を罵倒し始めた。
こちらを睨みつける第一王女を眺めながら、私は思わず小首を傾げた。
――なぜ私は、この女を欲しいと思っていたのだ?
憎悪を剥き出しにしながら唸り声を上げる女は、まるで血に飢えた獣のように醜かった。
もはや視界に入れるのも不快になり、近衛騎士に命じて女を殺させた。
血だまりの上で横たわり、微動だにしなくなった女を眺めながら、私はようやく思い出した。
所詮、何を手に入れたところで結果は同じ。
満たされるものなど何もないのだと。
だが、新たに気付いたこともあった。
何かを手に入れたいという強い欲望は、少なからずも私を高揚させていた。
それが入手困難なものであればあるほど、それを阻む障害が大きいほど、より強い高揚感に浸ることができた。
その感覚は悪くなかった。
むしろ、もっと味わいたいとすら思った。
しかし、皇帝となった私にとっては、帝国内にあるもの全てを手中に収めたも同然。
命令一つで手に入れられるものでは意味がないのだ。
欲しいものなど見つからないと諦めかけた時、ふいに閃いた。
――……あった。私がまだ手に入れていないものが、この大陸に……。
その瞬間、膨れ上がった欲望が胸の内側を滾らせた。
これまでとは比にならぬほどの昂ぶりに、自然と口角が吊り上がる。
――北部の連合国を潰し、この大陸全土を手に入れたい。
初代皇帝にも成し遂げられなかった大陸統一。
それを果たした暁には、英雄と持て囃される初代皇帝をも越える栄誉を手にすることもできる。
――悪くない。この大陸も、栄誉も……全てを手に入れてみせよう。
およそ四十年前。
私はその野心を抱え、連合国が統べる大陸北部への侵攻を開始した。
もとより、連合国内では紛争が絶えず続いていた。
我こそはと覇権を握ろうとする国家間での対立。
人種の違いにより迫害された者たちによるクーデター。
異教徒同士のいざこざ。
連合国とは名ばかりで、その中身は全く統率の取れていない集団の塊にすぎなかった。
そのような連合国内の惨状を、やや誇張して帝国民に伝え、その陰で苦しむ人々を救い出すために軍を動かすと公言すれば、帝国民は大いに沸き立った。
だが、いざ侵攻を開始してみれば、我が帝国軍を共通の敵と認識した連合国は結束し、想定を上回るほどの抵抗を見せた。
帝国軍もまた多大な犠牲者を強いられ、ついには平民からも志願兵を集わざるをえなくなった。
帝国の中からも、救済を目的とした帝国軍の侵攻は単なる侵略行為にすぎないと糾弾する者が現われ、そういった声を黙らせるのにも骨を折った。
そうした紆余曲折はあったものの、およそ三十四年という歳月を経て、大陸統一は果たされた。
果てが無いと思えるほど広大な土地。
星の数ほどの人間たち。
使い尽くせぬほどの財。
誰も手にしたことのない輝かしい栄誉も……。
私は全てを手に入れたのだ。
『あなたが本当に求めているものを、決して手に入れることはできない』
ふいに聞こえた耳障りな声が、私の神経を逆撫でた。
気付けば、私の視線の先にあの男が立っていた。
忌ま忌ましい、裏切り者が。
「……黙れ」
そう命じたのにも拘わらず、男はわざとらしい嘲笑を私に見せつけながら先の言葉を続けた。
『この先も、死ぬまであなたは――』
「黙らぬか!」
手当たり次第に物を掴み上げ、男の顔面めがけて投げつける。
だが、投げつけた物は男の体をすり抜け、遠くで何かが割れる音がした。
『人の愛を知らないまま、孤独に生きるしかない』
――孤独だと……? 私が……?
「……違う。私は孤独ではない! 私を取り巻く者たちがどれだけいるかをお前は知っているであろう! 皆が私を尊き者として崇め、崇拝している! 私は皆から愛されているのだ! 孤独など感じるはずがない! ふざけた虚言を叩くな! 無礼者が!」
もう一度、手にした物を投げつけたが、やはり男には当たらない。
男の笑みが更に深まり、その口がゆっくりと開いた。
ゾッと肌が粟立った。
男が何を告げようとしているのかを、私は知っている。
「やめろ……それ以上は、言うな!」
両手で耳を塞ぎ、全ての音を遮断する。
きつく目を瞑り、男を視界から消した。
だが、目を閉じた先――脳裏に焼き付く男の嘲笑を消すことはできない。
そして、その声は耳の奥――限りなく脳髄に近いところで、はっきりと聞こえた。
「実に惨めな姿だな。皇帝」
ご拝読いただき誠にありがとうございます。
最終話まで、毎日18時更新となります。
何卒よろしくお願いいたします…!




