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エルフは長く生きすぎて、愛し方を忘れていた ~死の淵から転移した俺が、凍った森を溶かすまで~  作者: チュチュ


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7/20

初めて見た表情


その日は朝から、里の空気がどこか張り詰めていた。畑仕事に出ていたエルフたちが、次々と慌ただしく里の中心へと戻ってくる。


「何かあったのか?」


近くにいたエルフに尋ねると、珍しく明確な緊張の色を浮かべた声が返ってきた。


「森の西側で、魔獣の群れが出た。畑を荒らしている」


俺は思わず息を呑んだ。この里に来てから初めて聞く、明確な危機の知らせだった。


「コンラートは?」


「調査官たちは、もう向かっている」


「え?」


思わず声が漏れた。世界樹の異変を調べる役目のはずの調査官が、なぜ魔獣の討伐に向かうのか、俺には結びつかなかった。


「調査官は、世界樹だけでなく、森全体の異変を扱う者たちだ。魔獣の異常発生も、その範疇にある。里の安全を守るのも、調査官の役目のひとつだ」


説明を受けて、ようやく合点がいった。世界樹の調査という静かな任務の裏で、コンラートたちは里そのものの守り手でもあったのだ。


居ても立ってもいられず、俺は西の森へと足を向けた。ミルが心配そうな顔で追いかけてくるのを、途中で「危ないから、ここにいてくれ」と言い聞かせ、一人で先を急いだ。


――偉そうなことを言っておいて、俺に魔獣を退治する力なんてない。ただのわがままだ。それでも、じっとしていられなかった。


畑の近くまで来ると、荒々しい獣の唸り声と、木々がなぎ倒される音が響いていた。数頭の大きな獣が、畑を踏み荒らし、逃げ惑うエルフたちを威嚇している。


その中心で、コンラートが剣を構えていた。他の調査官たちと連携しながら、獣たちを森の奥へと押し返そうとしている。だがその中の一頭が、逃げ遅れた小さなエルフの子どもに狙いを定めていた。


「危ない!」


叫んだのは俺だった。だがその声よりも早く、コンラートが動いていた。


獣と子どもの間に割って入り、盾となるように剣を構える。獣の爪が、コンラートの肩を掠めた。血が飛び散り、彼はわずかによろめいた。


「コンラート!」


俺は思わず駆け寄った。獣はもう一度襲いかかろうとしていたが、他の調査官たちが駆けつけ、なんとか森の奥へと追い払うことに成功した。


騒動が収まると、コンラートは肩を押さえながら、荒い息をついていた。


「大丈夫か?」


「……ああ、大した傷ではない」


そう言う声には、明らかな痛みが滲んでいた。俺は構わず、彼の腕を支えて里の方へと向かった。


*


治療小屋に運び込まれ、傷の手当てが行われている間、俺はその場を離れずにいた。コンラートは何度か「戻っていい」と言ったが、俺は聞かなかった。


「あの子ども、大丈夫だったか?」


「無事だ。お前が、あの時声を上げなければ、私の反応は一瞬遅れていたかもしれない」


「そうなのか?」


「……いや」


コンラートは、少し言い淀んだ。何かを言いかけて、やめたように見えた。


治療が終わり、二人きりになった小屋の中で、しばらく沈黙が続いた。俺はふと、コンラートの顔を見た。


その表情に、俺は思わず息を止めた。


いつもの平坦な無表情ではなかった。眉間にわずかな皺が寄り、唇が固く結ばれている。それは――怖れだった。子どもを守れなかったかもしれないという、恐怖の残滓が、まだ彼の顔に張り付いていた。


「コンラート」


「……なんだ」


「今、怖かったんだろ」


コンラートの瞳が、大きく揺れた。それは、これまで見たどんな反応よりも、はっきりとした感情の色だった。


「――そんなことは」


「隠さなくていい。今の顔、ちゃんと見えた」


コンラートは何かを言いかけたが、言葉にならなかった。しばらく俯いた後、絞り出すように呟いた。


「……あの子どもの顔が、一瞬、エリーと重なった」


「エリーって?」


「かつて――私が、守れなかった者だ」


その言葉に、俺は何も返せなかった。ただ、目の前の男が抱えている何かの重さを、初めて肌で感じた気がした。


「淡白でいることは、こういう時のためでもある」


コンラートは、独り言のように続けた。


「感情を動かせば、また同じ恐怖を味わうことになる。だから、動かさないようにしてきた。それが、生きる術だった」


「……それでも、誰かを思うことは大切なことだろう」


「――そうかもな」


短い相槌だった。だがそれは、これまでのどんな返事よりも重く、確かなものに聞こえた。


コンラートは俺の方を見た。その瞳には、まだ隠しきれない動揺が残っていた。


「お前と関わるようになってから、私は……何かが、変わり始めている気がする」


その言葉に、俺の胸が小さく跳ねた。


「悪いことじゃないだろ」


「分からない。ただ、少し――怖い」


正直な吐露だった。俺はそっと、その肩に触れないよう気をつけながら、隣に腰を下ろした。


「怖くても、いいと思うけどな。俺はずっと、届いてるかどうか分からないまま、誰かのために動いてきた。それが世界樹の目にとまって、今はここにいる」


コンラートは何も言わなかった。だがその沈黙は、拒絶ではなかった。ただ静かに、俺の言葉を受け止めているような、そんな沈黙だった。


小屋の外では、里の人々が忙しなく動き回る音が続いていた。獣の被害の後片付け、負傷者の手当て、子どもたちの無事を確かめる声。淡白なはずのエルフたちの中にも、確かな安堵と気遣いが滲んでいた。


――淡白なだけじゃ、ないんだ。


この里の全員が、感情を失ったわけではない。ただ、それを表に出すことを、長い時間の中で忘れてしまっただけなのだ。


コンラートの横顔を見つめながら、俺はその確信を、より強くしていった。

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