年若いエルフ
里の外れ、他の家々から少し離れた場所に、一本の木があった。その根元に、いつも一人で座り込んでいる小さな影があることに、俺は数日前から気づいていた。
今日もその子は、膝を抱えて座っていた。灰色がかった銀髪、まだあどけなさの残る顔立ち。エルフの年齢基準で言えば、子どもの部類に入るのだろう。
「よう」
声をかけると、その子はびくりと肩を震わせ、顔を上げた。大きな瞳が、驚きと警戒の色で俺を見つめる。
「……なに」
「いや、いつもここにいるなと思って。一人か?」
「別に。放っておいて」
素っ気ない返事だったが、その声には、里の他のエルフたちとは違う、明らかな感情の揺れがあった。淡白さの下に隠された何かが、この子にはまだ隠しきれていない。
「そうか。じゃあな」
あっさり引き下がると、意外そうな顔をされた。俺はそれ以上何も言わず、その場を離れた。
*
翌日も、その子は同じ場所にいた。俺は今度は少し離れた場所に座り、持ってきたパンをかじり始めた。里で分けてもらったものだ。
視線を感じて振り返ると、その子がじっとこちらを見ていた。
「食うか?」
パンをひとつ差し出すと、しばらく躊躇った後、その子はおずおずと受け取った。無言のまま、小さくかじり始める。
「うまいだろ」
「……うん」
小さな頷き。だがそれは、里の大人たちの反応とは違う、素直な肯定だった。
「名前、聞いてもいいか?」
「……ミル」
「俺はリオだ。よろしくな、ミル」
ミルは何も言わなかったが、パンを食べ終えるまで、その場から立ち去らなかった。
*
それから数日、俺はミルと少しずつ言葉を交わすようになった。多くは語らないが、時折、思いがけない本音がこぼれることがあった。
「みんな、僕のこと、変だって言うんだ」
ある日、ミルがぽつりと呟いた。
「変?」
「感情が、表に出すぎるって。エルフらしくないって」
俺は少し驚いた。ミルの態度は素っ気なくはあったが、それでも他のエルフたちよりずっと表情が豊かだった。今の里の基準では、それが「異常」に映るのかもしれない。
「別に、変じゃないだろ。むしろ、そっちの方が普通だと俺は思うけどな」
「普通?」
「人間の世界じゃ、感情を隠すことの方が難しいって言われる。ミルは、ただ素直なだけだ」
ミルは、しばらく黙って俺を見つめていた。それから、初めて小さく笑った。
「……変な人間」
「よく言われる」
俺は自然と、施設で過ごした頃の記憶を思い出していた。年下の子どもたちの中には、感情を抑えられずに泣き出す子も、逆にまったく感情を見せない子もいた。どちらも、それぞれの理由があった。ミルの孤立にも、きっと何か理由があるのだろう。
「ミルは、家族はいるのか?」
その問いに、ミルの表情が少し曇った。
「両親は、いる。でも……あんまり、僕のこと、分かってくれない」
「分かってくれないって?」
「僕がすぐ泣いたり、怒ったりするの、困った顔で見るだけ。里の他の子とは、違うから」
「そっか」
俺はそれ以上、深く聞かなかった。代わりに、ミルの隣に腰を下ろした。
「一人でいるより、二人でいる方が、少しはマシだろ」
ミルは何も言わなかったが、俺の隣に座る距離が、少しだけ縮まった気がした。
*
その日を境に、ミルは俺を見つけると駆け寄ってくるようになった。
「リオ!」
「おう」
「今日、面白いもの見つけたんだ。見せてあげる」
ミルに手を引かれ、森の奥へと案内される。小さな泉があり、その水面には不思議な光を放つ苔が浮かんでいた。
「綺麗だろ」
「ああ、綺麗だな」
素直に感嘆すると、ミルは嬉しそうに笑った。その表情は、里の他のエルフたちとはまったく違う、生き生きとしたものだった。
「リオは、いつも僕の言うこと、ちゃんと聞いてくれる」
「そりゃそうだろ。ミルが話してくれてるんだから」
「みんな、そうじゃないよ。僕が何か言っても、大抵、聞き流されるか、困った顔されるだけ」
その言葉に、俺は胸の奥が少し痛むのを感じた。届かない想いの辛さは、俺自身がよく知っている。
「俺は、ちゃんと聞いてるよ。これからも」
ミルは目を丸くして、それからまた、はにかむように笑った。
「約束だよ」
「ああ、約束だ」
小さな指切りを交わしながら、俺はふと、施設で年少の子どもたちと過ごした日々を思い出していた。あの頃も、こうして誰かの隣にいることで、少しだけ救われた気がした。今もきっと、同じなのだろう。
森の奥から吹く風が、ミルの銀髪を揺らした。その笑顔を見ながら、俺は思った。
――淡白な里の中にも、こんなふうに感情を隠せない子がいる。それはきっと、まだ何も失っていないから、なのかもしれない。
長く生きるということが、どれほどの痛みを積み重ねることなのか。俺にはまだ、想像することしかできなかった。だが、ミルの笑顔を守りたいという気持ちだけは、はっきりと胸に芽生えていた。




