届いた想い
フィンとの会話から一晩明けても、俺はまだ、動けずにいた。伝えたい言葉はある。だが、もう一度拒絶されることを思うと、体が竦んでしまう。
その日の夕方、家の扉を叩く音がした。開けると、そこに立っていたのは、意外な人物だった。
「フィン?」
「少し、時間をもらえるか」
珍しく、その声には迷いのようなものが滲んでいた。俺は招き入れ、二人で向き合って座った。
「コンラートと、話した」
フィンは、単刀直入に切り出した。
「昨日、お前と話したことを、正直に伝えた。私が、変わっていくあいつを恐れていたこと。その恐れのせいで、お前を追い出そうとしていたこと」
「……コンラートは、何て」
「何も言わなかった。ただ、長い間、黙り込んでいた」
フィンは、少し言葉を選ぶように間を置いた。
「だが、去り際に、一言だけ言った。『ありがとう』と」
その言葉に、俺の胸が小さく跳ねた。
「それだけじゃない。あいつは今、お前に会いに行くべきか、迷っているはずだ。あの淡白な男が、あそこまで迷いを見せるのは、私が知る限り初めてだ」
フィンは、立ち上がりながら続けた。
「私からは、これ以上何もできない。あとは、お前たち次第だ」
「フィン」
「なんだ」
「ありがとう」
フィンは、一瞬、意外そうな顔をした。それから、小さく口の端を緩めた。
「礼を言われる筋合いはない。私は、自分のために動いただけだ」
そう言い残し、フィンは去っていった。俺はその背中を見送りながら、深く息を吸い込んだ。
――今度は、俺から動く番だ。
*
夜の森を、俺は走った。コンラートの家へと急ぎながら、頭の中では、伝えたい言葉が次々と浮かんでは消えていった。
家の前に着くと、扉の前に、コンラートが立っていた。まるで、俺が来ることを、分かっていたかのように。
「リオ」
「話がある」
二人は、同時にそう口にした。互いに一瞬、驚いた顔をして、それから、どちらからともなく、小さく笑った。
「先に、聞かせてくれ」
コンラートが言った。俺は深呼吸をして、まっすぐに彼を見た。
「あんたが、俺との時間を失いたくないって言った時、俺は本当に嬉しかった。それがどんなに一瞬の感情でも、俺にとっては、大事なものだった」
コンラートは、黙って聞いていた。
「あんたが淡白でいることを選んだ理由も、少しは分かる。傷つくのが怖いんだろ。でも、俺はあんたに、そのままでいてほしいとは思わない。変わることを、恐れないでほしい」
「――リオ」
「俺は、あんたのことが好きだ。友達としてじゃなく、多分、もっと別の意味で」
言い切った瞬間、俺の心臓は、爆発しそうなほど鳴っていた。コンラートは、しばらく何も言わなかった。
「……私も」
長い沈黙の後、絞り出すような声だった。
「私も、お前のことを、同じように思っている。それを、認めるのが怖かった」
「怖い?」
「お前を失う日が、いつか来る。それが、怖くて仕方なかった。だから、先に自分から離れようとした」
コンラートは、初めて、はっきりと弱さを見せた。
「だが、フィンと話して、気づいた。失うことを恐れるあまり、今この瞬間の想いを、なかったことにしようとしていた自分がいた。それは――私が最も嫌っていた、逃げだった」
「コンラート」
「もう、逃げたくない。お前と過ごす時間を、たとえ短くても、大切にしたい」
その言葉に、俺の目から、思わず涙がこぼれた。届くかどうか分からないまま、それでも動き続けてきた人生の中で、初めて、はっきりと「届いた」と感じられる瞬間だった。
「泣くな」
「泣いてない」
「泣いている」
コンラートは、そっと俺の頬に触れ、涙を拭った。その手は、以前よりもずっと温かく感じられた。
*
その夜、里全体に、微かな変化が訪れた。
窓の外から、ざわめきが聞こえた。俺たちが外に出ると、里の人々が、口々に空を指差していた。
見上げると、世界樹の枝という枝に、新しい若葉が、一斉に芽吹き始めていた。
「――信じられない」
近くにいた長老の一人が、呆然と呟いた。
「こんなに急激な変化は、見たことがない」
ミルが駆け寄ってきて、俺の腕に飛びついた。
「リオ! 世界樹が!」
「ああ、見てる」
セドリックも、遠くからその光景を見つめていた。その目には、これまで見たことのない、確かな希望の色が浮かんでいた。
フィンの姿も、少し離れた場所にあった。彼は、コンラートと俺が並んで立つ姿を見て、複雑な、だが確かに穏やかな表情を浮かべていた。
「一人の想いが、届いたということか」
コンラートが、静かに呟いた。
「一人じゃない。みんなの想いが、少しずつ積み重なったんだと思う」
俺の言葉に、コンラートは小さく頷いた。
夜空の下、若葉に覆われていく世界樹を、里の誰もが見上げていた。凍りついていた心が、少しずつ、確かに、溶け始めていた。




