凍った森が溶けるまで
世界樹が若葉を取り戻してから、里の様子は目に見えて変わっていった。
朝、道ですれ違うエルフたちが、以前よりずっと自然に挨拶を交わすようになった。子どもたちの笑い声が、以前よりも頻繁に聞こえるようになった。淡白だった日常に、少しずつ、色が戻り始めていた。若葉が芽吹いただけで、これほどの変化が起きるとは思わなかった。世界樹という存在が、この里にどれほど深く根を張っているのか、俺は改めて実感させられた。
「リオ、おはよう!」
朝から駆け寄ってくるミルの声も、以前と変わらず元気だった。あの告白の後も、ミルは変わらず俺のそばにいてくれた。ただ、その眼差しには、以前とは違う、少し大人びた落ち着きが感じられるようになっていた。
「今日は、何して過ごすんだ?」
「コンラートと一緒に、世界樹の様子を見に行くんでしょ? 僕もついていっていい?」
「もちろんだ」
三人で森を歩く道中、遠くにセドリックの姿が見えた。彼は最近、以前よりも人前に姿を見せるようになっていた。
「セドリックさん!」
ミルが元気よく手を振ると、セドリックは小さく頷き返した。かすかにだが、その口元には、笑みのようなものが浮かんでいた。
「変わったな、あの人」
「ああ、少しずつな」
セドリックは今も、多くを語る人ではない。だが、あの日の告白以来、彼は俺との会話を、決して避けなくなっていた。失った痛みを抱えながらも、新しい何かを受け入れようとしているように見えた。
*
世界樹の元に着くと、コンラートが先に来て待っていた。
「早いな」
「お前を待ちきれなかった」
素直な物言いに、俺は思わず笑った。以前の彼からは、想像もできない変化だった。
世界樹は、以前とは見違えるほどの姿を取り戻していた。幹の亀裂は塞がり、枝という枝に、瑞々しい葉が生い茂っている。根元に手を当てると、あの声が、以前よりもずっと力強く響いた。
**——ありがとう。**
「礼を言われることじゃない。俺は、俺のやりたいようにやっただけだ」
**——それでいい。お前のような者を、私はずっと待っていた。**
「これから、里はどうなるんだ?」
**——変わっていくだろう。良い方にも、時には戸惑う方にも。だが、それでいい。変わらぬことだけが、正しさではない。**
その言葉に、俺は深く頷いた。
*
その日の夜、里では小さな祝いの席が設けられた。世界樹の回復を祝う、久しぶりの賑やかな集まりだった。
ミルは他の子どもたちと笑い合い、セドリックは少し離れた場所で、静かに杯を傾けていた。フィンの姿もあった。彼はコンラートと並んで座り、時折、昔話のようなものを交わしていた。その様子を、俺は少し離れた場所から眺めていた。
「一人か」
隣に、コンラートが腰を下ろした。
「いや、今はちょうど、みんなを眺めてただけだ」
「幸せそうだな」
「あんたも、そう見えるけどな」
コンラートは、小さく笑った。それは、初めて出会った頃には想像もできなかった、柔らかな表情だった。
「なあ、コンラート」
「なんだ」
「俺、施設で育った時から、ずっと思ってたんだ。誰かに必要とされることでしか、自分の価値を感じられないって」
「知っている。前に、少し話してくれたな」
「でも、最近、少し違う気がしてる。必要とされるからじゃなくて、俺という存在が、ここにいていいんだって思えるようになった」
コンラートは、静かに俺の言葉に耳を傾けていた。
「それは、あんたたちのおかげだ。ミルも、セドリックも、フィンも、そしてあんたも。俺のことを、ちゃんと見てくれた」
「私こそ、お前に救われた」
コンラートは、俺の手に、そっと自分の手を重ねた。
「淡白でいることでしか、自分を守れなかった私に、お前は、違う生き方があると教えてくれた。傷つくことを恐れずに、それでも誰かを想うことができるのだと」
その言葉に、俺の胸は温かく満たされた。
「これから先も、あんたと一緒にいたい」
「私もだ」
夜空には、満天の星が輝いていた。若葉に覆われた世界樹が、その光を受けて、静かに、そして力強く、そこに立っていた。
死の淵で聞いた、あの声。誰かのために深く生きられる者を探していた、世界樹の願い。それに応えることができたのかどうか、俺にはまだ、はっきりとは分からない。
だが一つだけ、確かなことがあった。
届くかどうか分からないまま生きてきた俺の想いは、この森で、確かに誰かに届いた。ミルの笑顔に。セドリックの再生に。フィンの本音に。そして何より、コンラートの心に。
凍りついていた森が、少しずつ、色を取り戻していく。
その光景を、俺は隣にいる人と共に、これからもずっと、見守り続けていくのだろう。
新しい生の始まりは、こうして、確かな未来へと繋がっていった。
――了――




