里を覆う不穏
コンラートとの一件から数日、俺は以前のように、里の作業をこなす日々を送っていた。だが心の中は、以前とはまるで違う重さを抱えていた。
「リオ、聞いた? 世界樹の様子、また悪くなってるって」
畑仕事の最中、近くにいたエルフが不安げに話しかけてきた。
「悪くなってる?」
「ここ数日、急に葉が落ち始めてるらしい。長老たちも、対応に追われてるって」
胸騒ぎがした。俺は作業を中断し、世界樹のもとへと急いだ。
たどり着くと、以前よりも明らかに、葉の落ちる速度が増していた。幹の亀裂も、心なしか広がっているように見えた。
「――お前か」
振り返ると、長老の一人が険しい表情で立っていた。
「世界樹が、急激に弱っている。お前がこの里に来てから、一時は回復の兆しがあったはずだ。それが、なぜ今」
「分かりません。俺にも」
正直に答えるしかなかった。だが長老の目には、明確な疑念が浮かんでいた。
「お前とコンラートの間に、何かあったと聞いている」
その言葉に、俺は言葉を失った。里の噂は、想像以上に早く広まっていたようだった。
「世界樹は、お前が示す心と連動していると聞いた。お前の心が乱れれば、世界樹もまた、乱れるのではないか」
「そんな、俺のせいだって言うのか」
「断定はしていない。だが――可能性としては、否定できない」
長老はそう言い残し、足早に去っていった。俺はその場に立ち尽くし、世界樹を見上げた。
――俺のせいで、世界樹が弱ってるのか。
その考えが、胸の中で重くのしかかった。
*
その夜、里の長老会議が開かれるという知らせが届いた。俺はミルから、不穏な噂を聞かされた。
「リオを、里から追い出すべきだって話も出てるらしいよ」
「追い出す?」
「世界樹の異変の原因が、リオにあるかもしれないって。もしそうなら、ここにいてもらうわけにはいかないって」
ミルの声には、明らかな不安があった。
「僕は、そんなの間違ってると思う。リオが来てから、里はずっと、変わり始めてたじゃないか」
「ありがとう、ミル」
「お礼を言われることじゃないよ。本当のことだから」
その言葉に、少しだけ救われた気がした。だが、状況は確実に悪化していた。
*
翌日、俺は長老会議の場に呼び出された。あの木の根が絡み合う建物の中、以前と同じ三人の長老が並んでいた。だが今度は、その周囲に、他のエルフたちも集まっていた。フィンの姿も、その中にあった。
「世界樹の急激な衰弱について、皆の意見を聞きたい」
女性長老が、重々しく告げた。
「原因は、まだ明確ではない。だが、この人間がこの里に来て以来、様々な変化が起きているのは事実だ」
その言葉に、集まったエルフたちの間で、ざわめきが起きた。
「私は、この人間を追放すべきだと考える」
フィンが、真っ先に声を上げた。
「世界樹が弱ったのは、この人間が里に不必要な混乱を持ち込んだからだ。奴を追い出せば、里は元の静けさを取り戻すだろう」
フィンは、集まったエルフたちを見渡しながら続けた。
「そもそも、世界樹はこの人間が来る前から弱っていた。それが、この里の在り方だったはずだ。無理に良くしようとして、こうして混乱を招くくらいなら、元の静けさのままでよかったのではないか」
その意見に、賛同するような声がいくつか上がった。俺は、何も言い返すことができなかった。
「――待ってくれ」
声を上げたのは、セドリックだった。周囲の視線が、一斉に彼へと向いた。
「セドリックが、この場で意見するとは、珍しい」
長老の一人が、意外そうに言った。セドリックは、いつもの淡白な表情のまま、しかしはっきりと続けた。
「この者が来てから、私の心は、長い間忘れていたものを思い出した。それが良いことか悪いことか、まだ判断はつかない。だが――少なくとも、混乱の原因を、この者一人に押し付けるのは、性急すぎる」
その言葉に、俺は思わず顔を上げた。セドリックが、こんな形で自分を庇ってくれるとは、思ってもみなかった。
「私も、同意見です」
続いて声を上げたのは、コンラートだった。俺は驚いて彼を見た。
「世界樹の衰弱の原因は、まだ特定されていない。憶測だけで、性急な結論を出すべきではありません」
その言葉に、フィンが鋭い視線を向けた。
「お前は、この人間を庇うのか」
「庇っているわけではない。事実を、正確に見極めるべきだと言っているだけだ」
コンラートの声は、平坦だったが、その奥には確かな意志があった。俺との一件があったにもかかわらず、彼が完全に俺を見放したわけではないことに、俺は複雑な感情を抱いた。
長老たちは、しばらく目配せを交わした後、重々しく告げた。
「結論を急ぐことはしない。しばらくの間、世界樹の様子を注意深く見守ることとする。ただし――」
女性長老の視線が、俺に向いた。
「事態が改善しない場合は、改めて判断を下すことになる。そのつもりでいるように」
会議は、そうして一旦終わりを迎えた。だが、里に漂う不穏な空気は、消えるどころか、むしろ濃さを増していた。
俺は会議の場を後にしながら、重い足取りで家路についた。頭の中では、コンラートの言葉が、何度も繰り返し響いていた。
――庇っているわけではない。
その言葉の真意を、俺はまだ、掴みきれずにいた。




