淡白であることの安寧
翌朝、俺は意を決してコンラートの家へと向かった。ミルとの一件、セドリックの言葉、そして自分の中ではっきりと自覚した想い。全部を、伝えるつもりだった。
家の前に立つと、扉が開いて、コンラートが姿を見せた。俺の顔を見て、彼は一瞬、驚いたような表情を浮かべた。
「珍しいな、お前から来るとは」
「話したいことがある」
「私もだ」
その言葉に、俺は少し胸が高鳴った。だが、続くコンラートの表情には、期待したような柔らかさはなかった。むしろ、これまで見たことのない硬さがあった。
「先に、私から話す」
コンラートは、少し距離を置くように一歩下がった。
「お前とのこれまでのことを、私は考え直していた」
「考え直すって」
「フィンの言うことにも、一理ある。私たちエルフは、長い時をかけて絆を育む。お前との時間は、まだあまりにも短い」
その言葉に、俺は胸の奥が冷たくなるのを感じた。
「あの夜、あんたは言っただろ。俺と過ごす時間を、失いたくないって」
「――あれは」
コンラートは、言葉に詰まった。しばらくの沈黙の後、絞り出すように続けた。
「あれは、一時の感情だったのかもしれない」
「一時の、感情?」
「私は、長く生きてきた。長く生きるということは、多くのものを見送るということだ。お前もまた、いずれ老い、去っていく。今は同じ時を生きているように見えても、その事実は変わらない」
「今は、同じ時間を生きてるじゃないか」
「それでも、だ」
コンラートの声には、拒絶の色が濃く滲んでいた。
「私は、傷つくことを恐れている。深く関わり、深く失うことを、恐れている。それが分かっていながら、お前に踏み込ませ続けることは、私自身のためにも、良くないと判断した」
「判断、って、そんな他人事みたいに」
「他人事ではない。だからこそ、決めた」
コンラートは、俺から視線を逸らさずに言った。それは拒絶というより、必死に何かを守ろうとする者の顔だった。
「淡白でいることは、私を守ってきた。感情を動かさなければ、傷つくこともない。それが、私が選んできた生き方だ。お前がそれを崩そうとするなら――私は、距離を置かねばならない」
その言葉は、まるで刃のように俺の胸を刺した。
「昨日までの言葉は、全部噓だったのかよ」
「噓ではない。だが――正しい選択でもなかった」
コンラートの声は、平坦だったが、その奥に確かな苦しさが滲んでいた。
「お前と過ごす時間は、確かに私の中に、何か新しいものをもたらした。だが、それは同時に、これまで守ってきた安寧を崩すものでもあった」
「安寧、って、そんなに大事なのか。俺との時間より」
「――分からない」
コンラートは、初めてはっきりと迷いを見せた。だがすぐに、その迷いを振り払うように、表情を硬くした。
「今は、そう答えるしかない」
俺は、何も言えなかった。届くかどうか分からないまま尽くしてきた、これまでの人生の中で、こんなにもはっきりとした拒絶を受けたのは初めてだった。
「……分かった」
俺はそう言うのが、精一杯だった。
「これ以上、無理に踏み込んだりしない。あんたが望むなら」
コンラートは何も答えなかった。ただ、俺から視線を逸らし、家の中へと戻っていった。
*
その足で、俺は世界樹の元へと向かった。何をどうすればいいのか、分からなかった。ただ、あの声にもう一度触れたかった。
世界樹の根元に手を当てると、いつものように、あの声が響いた。
**——辛そうだな。**
「……ああ」
**——お前が示そうとしたものは、簡単には届かない。私の子らの凍りついた心は、長い年月の中で、深く根を張っている。**
「それでも、届けたいと思ったんだ。あんたのためじゃない。俺自身のために」
**——それでいい。届くかどうかは、まだ分からぬ。だが、お前が示した心は、決して無駄にはならぬ。**
その言葉に、俺はわずかな慰めを感じた。だが、胸の奥に空いた穴は、簡単には塞がらなかった。
見上げると、世界樹の枝の一部が、ほんのわずかに、色を取り戻しているように見えた。だがそれ以上に、コンラートの拒絶の言葉が、俺の心の中で、重く響き続けていた。
――淡白であることの、安寧。
それがどれほど大きなものなのか、俺にはまだ、本当の意味では理解できていなかった。ただ、失うことよりも、変わることを恐れる者がいるのだと、初めて肌で感じた夜だった。




