比べられる想い
フィンが戻ってきてから、里の空気は微妙に変わったように感じられた。彼は事あるごとにコンラートのそばに現れ、以前のような二人だけの時間を取り戻そうとしているように見えた。
「コンラート、少しいいか」
ある日の夕方、俺が広場を通りかかると、フィンがコンラートを呼び止めているところに出くわした。二人の会話は、俺に聞かれることを気にする様子もなく続いていた。
「お前、最近様子がおかしいと言ったはずだ」
「何のことだ」
「あの人間のことだ。監視の域を超えている」
コンラートは何も答えなかった。その沈黙が、フィンをさらに苛立たせているようだった。
「私たちエルフは、長い時をかけて絆を育む。数十年、数百年という時間の中で、互いを理解し合っていく。言葉なんていらないんだ。それが、私たちのやり方だ」
フィンの声には、確固たる信念があった。
「あの人間との時間は、まだ数ヶ月にも満たない。そんな浅い時間で、何が分かるというんだ」
「浅い、とは限らない」
コンラートが、初めて反論した。フィンは眉をひそめた。
「どういう意味だ」
「あの男が生きてきた年月は、私たちよりずっと短い。だが――短い年月を、私たち以上に濃く生きてきた。それは、時間の長さとは別の話だ」
その言葉に、俺は思わず物陰から出てきてしまった。二人の視線が同時にこちらを向く。
「聞いていたのか」
「悪い、通りかかっただけだ」
言い訳がましく答えたが、フィンの目は鋭いままだった。
「ちょうどいい。本人に聞こう」
フィンは俺の方に一歩踏み出した。
「お前は、人間として何年生きた」
「二十九年だ」
「それだけの人生しか知らぬ者が、私たちの心の在り方を語るのか」
フィンは一歩詰め寄った。
「言っておくが、お前はもう、ただの人間ではない。世界樹に選ばれたその時から、お前の時は世界樹と共に刻まれている。この先、老いることも朽ちることもない。私たちと同じ、長命の時を生きることになったのだ」
初めて聞かされる事実に、俺は思わず息を呑んだ。
「……そんな話、聞いてない」
「知らなかったのか」
フィンは、俺の反応に一瞬意外そうな顔をしたが、すぐに冷淡な表情に戻った。
「だが、それが事実だ。長い時を生きることになった今も、お前の中身は、たかだか二十九年の人間のままだ」
「私たちが数百年かけて培ってきた価値観を、お前はたった二十九年の人間としての人生で理解できると思っているのか」
その問いには、明確な棘があった。俺は少し考えてから、正直に答えた。
「理解できてるとは思ってない。ただ、時間の長さだけが、想いの深さを決めるわけじゃないと思ってる」
「浅はかな考えだ」
「そうかもな。でも、俺が知ってる限り、短い時間でも、深く心を動かされることはある。それは、人間だろうがエルフだろうが、関係ないんじゃないか」
フィンは何も言わなかったが、その沈黙には明らかな苛立ちが滲んでいた。
「――コンラート。お前は、この人間の言葉に頷くのか」
コンラートは、しばらく黙っていた。それから、ゆっくりと口を開いた。
「頷く、とは言っていない。ただ――考えさせられることはある」
「考えさせられる、だと?」
フィンの声が、初めて明確な感情を帯びた。それは怒りとも、戸惑いとも取れる響きだった。
「お前らしくないと、何度も言っているだろう。長く共に生きてきた私が分からないものを、なぜあの人間には分かるというんだ」
「分かる、とは言っていない。ただ――」
コンラートは言葉を選ぶように、少し間を置いた。
「あの男が私に見せるものは、これまでの私の中には、なかったものだ。それが何なのか、私自身、まだ整理がついていない」
その言葉に、フィンは唇を固く結んだ。それ以上何も言わず、踵を返して去っていった。
*
フィンの姿が見えなくなると、コンラートは小さく息を吐いた。
「悪かったな、巻き込んで」
「別に、いい。あんたが責められる筋合いはないだろ」
「フィンは、間違ったことを言っているわけではない。私たちの時間の重ね方と、お前のそれは、確かに違う」
コンラートは、少し考え込むような表情を浮かべた。
「だが――違うということが、劣っているということには、ならないはずだ」
その言葉には、以前のコンラートにはなかった、明確な意志のようなものが感じられた。
「あんた、フィンに反論してたな」
「反論、というほどのことでもない。ただ、思ったことを口にしただけだ」
「それだけでも、十分だと思うけどな」
コンラートは何も言わなかったが、その横顔には、どこか複雑な色が浮かんでいた。フィンとの長い付き合いと、俺との新しい関わり。その狭間で、彼が何かを揺れ動かされているのが、はっきりと伝わってきた。
「あんたは、どっちの言い分が正しいと思ってるんだ」
俺の問いに、コンラートはしばらく沈黙した後、静かに答えた。
「正しさの問題ではないのかもしれない。ただ――お前と過ごす時間を、私はもう、失いたくないと思っている」
その一言に、俺の胸が大きく跳ねた。それは、これまでのコンラートからは聞いたことのない、はっきりとした本音だった。
夕暮れの光が、二人の間に長い影を落としていた。




