かさこ地蔵
傘売りの翁は悩んでいた。
正月も近いというのに傘がすっかり売れない。これでは正月を越すだけの食料は変えないだろう。
雪はまばらに降ったり止んだりとしているのに、道行く人々はなんと用意の良いことか。大きな市でも傘はとんと売れなかった。
手元には売れ残りの傘が6つ。
両手に3つずつ抱えながら、緩やかに丸まった腰をすっくりと起こし市を後にする。
さて、婆さんへの言い訳はどうするか。
それとも優しいあの人に言い訳することすらも胸がつかえる気がする。
いよいよ言い訳する努力すらせず、自分はあの人に甘えてばかりの人生であったことよ。などと嘆きながら道を歩いていると、ふと途中に7体の地蔵尊が見えてきた。
通りがかった頃合いに雪がしんと降り始めたものだから、なんだかとても物悲しい。
翁は6つの傘と、自分の背にあった1つを地蔵尊に丁寧に纏わせていきながら「これで雪でも安心ですぞ。お地蔵様」そういうと満足そうに頷き、強くなってきた雪の中、帰路につく。
その晩、庭先で何やらもぞりと動きまわる音がして覗き見ると、正月もすっかり越せそうなほどの食料品が積まれている。
老夫婦は驚きおののき辺りを見回すと、遠くの方に7体の傘をつけた影が見えたのだった。
*
治郎兵衛はこのあたりでは有名な豪商であった。
若い頃に両親は相当にひもじい生活をしていたが、苦労が実り、大雪の日に傘を売って得た利益を元手に商いをはじめ地盤を作ってくれた。
そして二代目の治郎兵衛の代で、さらに商いは拡大していったのだ。
そんな治郎兵衛には悩みがあった。
歳老いた両親の記憶が曖昧になり、貧しかったころの生活をしていると思い込んでいるのだ。仕方なく屋敷の敷地内に、若い頃に住んでいた小さな小屋を建て、そこで生活させている。
二人にとってはこの小さな小屋で過ごした日々が人生の大切な思い出なのだろう。
人は思い入れの強いものに執着し、年老いたときに錯覚を引き起こしてしまうのかもしれない。
いくら金を儲けてもその心までは昔の生活にひときわ執着し、離れがたいのだろう。
父母は治郎兵衛が小さい頃から何度も、貧しかったころの話、そしてその時に7体の地蔵尊に傘をかけた話を繰り返し熱い目線で話して聞かせていた。
ーーー今ある幸せはきっとあのお地蔵様が叶えてくださったものなのだーーー
そう語る父母の目はなんとも美しく、遠くの日々を見つめていた。
治郎兵衛は今日も傘をかぶり6人の配下とともに小屋に物資を運ぶ。
もうすでに自分のことなど覚えていない年老いた両親に、地蔵尊が運んでいるように思わせてあげること。
それが夢の中を生きる両親への最後の親孝行なのだ。
了




