鶴の恩返し
与兵衛は迷っていた。
この引き戸を、開けるべきか、開けざるべきか。
*
数日前、突然に現れた美貌の人は、我が家に乗り込んだかと思うと、
「泊めていただいた恩返しに、機織りをさせてください」
そう言って、か細い体ですっくと袖をたくし上げた。
何をするかと思いきや機織り機のある部屋に終日閉じこもっているのである。
「決して開けないでください」
一方的な約束事ではあるが、言われたからには黙っていよう。
そして昼間の畑仕事から戻ってくると、たった一日で美しい錦を織り上げていたのである。
これまで見たこともない美しい反物に驚いていると、そんな顔を見せたことがよほど嬉しかったのか。
女はにこやかに微笑むと何も言わず満足げであった。
そして翌日も、その翌日も同じように繰り返し、
そのたびに彼女は体調を崩していくようだった。
「こうして部屋に籠ってばかりだから、
具合が悪くなっていっているように思うんだ。
心配だから、もう機織りするのはよしてくれませんか。」
「私の体調は関係ありません。気にしないでください」
開けるなと言われたなら、いつまでも待つことが出来る自身があった。
しかし、それによって彼女の具合を悪くしているのであれば、果たしてなにが正解なのだろう?
*
翌日、畑仕事をしていても与兵衛は彼女のことが心配でならなかった。
きっとまた部屋にこもって機織りをしているのだろう。
今日はどのくらい弱っているのだろう。
自分にはなにができるのだろう。
そう悩む手には鋤がことのほか重く感じられる。
隣で軽々と畔道を作る喜三郎は鼻歌など口ずさみながら、なにやらご機嫌なようだ。
与兵衛は恨めし気にまじまじと喜三郎を見ながら、思いつめた顔でため息をふっと一つ溢すと、そっと呟く。
「おい喜三郎よ。 お前は、約束を交わした相手に対して、
その人のためならば約束を破ることはできるか」
「なんだよ、お前は畑仕事しながらそんな難しいこと考えてんのか!
ははは、面白いやつだなぁ、与兵衛は。」
「…そうだな、俺はおかしいやつだよな」
喜三郎は思いつめた与兵衛の顔に、どこか緊張を感じ鋤をいったん土にめり込ませると、
少しの間、眉間に皺を寄せ、目と目を合わせ真面目に考える。
「俺だったらな、その人のためならば、その人に嫌われることでもしようと思うぞ。」
「……そうだな、そうだよな!
俺のために真剣に考えてくれて、
お前は本当に心根が真面目なやつだな!」
はははっ!と笑い合う二人の男。
日が暮れる時分。
腕組みしながらまた畑を耕していく。
清々しい二人の陰影が緋色の空に影絵を映す。
与兵衛は家に帰ったらあの部屋を開けようと決めた。
単に約束を破るのではない。
そこにある真心に、すぐに気づいてもらえずとも、いつかーーー。




