第5話「選ばないという選択」
「……ふざけんな」
影山の声は、低かった。
怒鳴るでもなく、震えるでもなく――
静かに、底の方から出てきた声。
「なんでだよ」
目の前のユイを見る。
不安そうに、自分を見ている。
何も知らない。
何も悪くない。
ただ――自分を“選んだ”だけだ。
「影山さん……どうしたんですか?」
「……いや」
答えられない。
答えられるはずがない。
頭の中では、女神の声がカウントを刻んでいる。
『残り、七分』
「……チッ」
舌打ち。
だが、その瞬間――
影山の中で、何かがはっきりした。
(……違う)
これは選択じゃない。
試されているのは、“従うかどうか”だ。
なら――
「だったら、答えは一つだろ」
影山は、立ち上がった。
「影山さん……?」
ユイが見上げる。
その目に、ほんの少しの恐れ。
だが――逃げない。
その姿を見て、確信する。
(この人は、“本物”だ)
「なあ」
影山は、ゆっくりと口を開いた。
「もしさ――」
「はい?」
「理不尽な命令で、誰かを傷つけろって言われたら……どうする?」
唐突な問い。
ユイは一瞬だけ考えて――
「……嫌です」
はっきりと言った。
「たとえ、それで自分が不利になっても」
「……そうか」
小さく笑う。
それで、十分だった。
「じゃあ、決まりだ」
『残り、五分』
女神の声が、わずかに苛立ちを帯びる。
『早く選びなさい』
「選ばねえよ」
影山は、空を睨んだ。
見えないはずの“何か”を。
「……は?」
『……今、なんて?』
「聞こえなかったか?」
はっきりと言い切る。
「俺は、その試練を拒否する」
一瞬――
世界が止まった。
音が消える。
人の動きが、静止する。
風すら、止まる。
「影山……さん?」
ユイだけが、動いている。
彼女だけが、“世界から外れている”。
『……面白いわね』
女神の声が、変わる。
楽しむような響き。
『今まで、全員が従ったのに』
「そりゃどうも」
影山は吐き捨てる。
「でもな――」
拳を握る。
「それで誰かを切るくらいなら、最初からいらねえよ」
静寂。
数秒の沈黙。
そして――
世界が、壊れた。
バキッ――と。
ガラスのように、空間にヒビが入る。
「なっ……!?」
空に、亀裂。
街に、ノイズ。
人々が、砂のように崩れ始める。
「なんだよ、これ……!」
『……規定外行動を確認』
女神の声が、機械のように変質する。
『システム整合性、低下』
『強制補正、開始――』
「は?」
その瞬間。
ユイの体が、揺れた。
「……え?」
彼女の輪郭が、歪む。
まるで“存在が不安定”になっているように。
「お、おい……!」
影山が手を伸ばす。
だが――
触れた瞬間、違和感が走る。
冷たい。
軽い。
まるで――“データ”のような感触。
「……っ!?」
『対象、修正対象に指定』
『不正干渉の排除を優先』
「やめろ!!」
叫ぶ。
だが、止まらない。
ユイの体が、粒子のように崩れていく。
「影山……さん……」
彼女の声が、かすれる。
「ごめ……なさい……」
「謝んなよ!!」
必死に抱き寄せる。
だが、腕の中で――
彼女は、どんどん消えていく。
「ふざけんなよ……こんなの……!」
怒りが、爆発する。
理不尽。
一方的。
選ばせるふりをして、結局は従わせるだけの世界。
「……壊れてんだろ、この世界」
低く、呟く。
その瞬間――
“何か”が反応した。
胸の奥。
熱でも、痛みでもない。
“歪み”のような感覚。
『……検出』
女神の声が、わずかに揺れる。
『未知の反応』
『対象:影山 恒一』
ヒビが広がる。
世界の崩壊が、加速する。
「……返せよ」
影山は、顔を上げた。
目の奥に、強い光が宿る。
「俺から奪うな」
その一言。
それが――
“引き金”になった。
――バキンッ!!
世界が、完全に砕けた。
白い空間。
何もない場所。
その中心に、影山が立っている。
そして――
目の前に、“女神”が現れた。
初めて、同じ場所に。
「……あなた」
女神は、興味深そうに彼を見る。
「壊したのね。ルールを」
「知らねえよ」
影山は睨み返す。
「勝手に壊れただけだろ」
沈黙。
そして――
女神は、ゆっくりと笑った。
「いいわ」
その笑みは、今までで一番“本物”に近かった。
「ゲーム、変更しましょう」
空間が揺れる。
「次の試練は――」
彼女は、指を鳴らす。
「“世界そのもの”よ」
「……は?」
「あなたが壊したこのシステム」
女神は言う。
「元に戻すか、それとも――」
少しだけ、楽しそうに。
「完全に壊すか」
静寂。
選択肢が、提示される。
今度は――
もっと大きなスケールで。




