005/戦争は絶対に終わらせない
「言っただろ……どこにいても見つけるって。さっ、行くぞ」
爆音と共に舞い降りた男、**ヒコ**はそう言った。ちょっとぶっきらぼうに。 グイっと強引に手を引っ張られるミコ。
グリッスルの柔らかい物腰とは真逆だ。
「はっ! 戦争を終わらせてたまるかっつうの」
「え?」
「絶対終わらせねえ」
ヒコはグリッスルと、本当に真逆だった。
――戦争を終わらせない?
――あれ? この人、正義のヒーローじゃなくて……ひょっとして悪人?
「ヒコ……この忌まわしき落胤がぁ!」
グリッスルが煙の中から現れた。そこに先程までの微笑みは、ない。
目の前の部屋が歪む。ぐにゃりと、まるで溶けた飴のように。
「離れんなよ」
そう言うと、ヒコはミコの身体を抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこだ。
――まさかこんなところで、こんな状況でされるなんて!
密かに夢見ていたことが突発的に叶う。
いや、叶うというよりは「これは無効」にしよう、とミコは心の中で無理やり納得した。
**「んあえ!?」**
内臓がキューーーーーッとなる感覚。それがミコを突き上げてくる。
景色の中を、光の筋だけが過ぎ去っていく。
**ドゥオン!!**
轟音が響き、次に衝撃が全身を貫く。
「なななななっ……!」
間違いない。あの部屋の窓から飛び降りたんだ。 何階ぐらいからだ? 少なくとも……10階ぐらいはあったはずだ。ミコの身体はガタガタと震えていた。
視線を落とすと、見事に潰れた自動車の上にいた。
「な、なんてことを……っていうかなんなの? マジで? なんでこんなことが続くのよ!」
誰にともなく喚き出すミコ。
「誕生日だからなっ」
潰れたクルマの上で、血まみれで転がる男――ヒコ。
そういえば、自分はなんだかんだ無傷だ、とミコは自身の身体を見渡して確認する。
――まさか、守ってくれたの?
でも……。
「さって、戦争を始めるぞ」
こんなことを言う奴だ。一体何を信じればいいのだろうか。
「そして18歳、おめでとう、アタシ……」
小さくミコは呟いて、涙を拭いた。
そのまま、流した涙も乾く暇なく、横付けされたクルマに押し込まれた。
落下してから、わずか15秒後の出来事だった。
「ごきげんよう、ミコ様」
「……ご、ごき……ごき? え? は、はあ」
「ゴキ」とか繰り返したから、思わずあの黒光りする生命体が一瞬頭をよぎるが、
すぐに振り払うミコ。 車内に入って、息をつく暇もなく、また新たな出会いだ。
クルマはもうとっくに走り出している。
横に、一見優雅に佇むように座る女性が無表情で前を見たまま言った。
「ごきげんよう」
全然ごきげんなんか良くないミコからすれば、
「何を言ってるんだ」という話だ。 それ以前に、彼女は誰なのか。
「ご安心ください。お兄様は無事です」
女性の次の言葉。
――お兄様?
ミコは首を少し傾げながら、ふと後ろを見る。 そこには、特別製のベッドシートに横たわるヒコの姿があった。
傷だらけで血まみれ。 見た感じ、全く無事ではない。 むしろ瀕死だ。悲壮感もミックスされている。
その姿は、まるでゾンビ。 「ぶほっ」とか言って血を噴いている。
それを見て、ミコが震える脚に視線を落とすと、膝にもスカートにも血がついていた。 自分の身体に怪我がないことを確認する。……きっと、これはヒコの血なんだろう。
「あ、あの……」
「ああ、私は**カノン**と申します。以後お見知りおきを」
ミコが聞きたかったのはそれではないが、女性はカノンと名乗った。
なんだか名前の響きに合っている風貌だ。
凛々しく、座っていても背が高いのだとわかる。スラリと細く、しなやかだ。
髪はゆるふわな巻き髪。肩よりも少し長く、とても女性らしく、艶やか。
無表情なのが台無しにしているけれど、きっと微笑んだらそれだけで惚れてしまう人が続出するだろう、という印象だ。
まあ、でも、なぜドレスを着ているのだろう、という疑問も残る。
ミコにとっては、次から次に「はじめまして」の者に出会う日だと改めて思う。
覚えるのが大変だ。ミコの脆弱な記憶容量にとって、今日の出来事は大きすぎる。
「あの、ですねー……」
「ご両親なら大丈夫ですよ。こんな時間になりましたが……。
心配などしていません。そもそも本当の両親でもありませんし」
「そんなこと心配してませんし、追い打ちかけるようなこと言わなくていいです!」
「ああ、そうでしたね。朝帰りも度々繰り返すような人でしたね、ミコ様は。
夜な夜な、金銭と引き換えに見知らぬ男性にその身体を預けるような……」
「いや、エンコーとかしてませんし、そういうこと聞きたいんじゃないですし!」
噛み合わない。ズレている。 ズレたまま、クルマは走り続ける。 ズレるついでに、シートからもずり落ちそうになるミコ。
「お兄様なら、この程度の傷、1日もすれば綺麗に治ります。素晴らしいでしょう? お兄様は」
それも聞いていないが、カノンがなにやら恍惚の表情になっているので、そっとしておくことにした。
しかし……1日で綺麗に治る?
有り得ない、とっさにまた後ろを振り返るミコ。
上半身裸のヒコ。 左肩から胸元にかけて、深い傷がある。
血は固まって黒っぽくなっているが……どう見えても1日で治るようなものではない。
だが、ヒコからは高いいびきが聞こえ始めた。
「むにゃむにゃ」言っている。 美味しいものでも食べている夢を見ているのだろうか。
「それであの、私はどこに攫われていくのでしょう?」
ミコが隣のカノンを見てそう言ったところで――。
**キィィィィッ!!**
ブレーキ音が響き、車体が左右に大きく揺れる。 急激な車線変更で、また揺れる。
蛇行して走るこのクルマは、シボレー・サバーバン。派手な赤だ。
自動車に詳しくないミコはシンプルに「デカイ車」という感想を持ったが、そのデカイ車が右へ左へ。
ちょっと吐きそうになるが、吐いている暇さえない状態だ。
「追っ手が意外と粘りますね。まあ、それも**ヘブン**に入れば終わるでしょうが」
カノンがまた無表情になって、ポツリと呟いた。
「へ、ヘブン!? ヘブンってあの、み、南……南区のヘブンに向かってるんですか? これ」
「大丈夫です。到着まで少しあります。今のうちに休まれては?」
「いや、休めるような運転じゃないでしょ、これ……。それに、ヘブンって……」
と言いつつ、ミコは後ろのシートに目をやる。不安が高まる。
ミコが悲鳴にも似た声を上げて驚くのも無理はない。
この**八華都市**の最大の繁華街は南区にある。
いくつかのエリアに跨る繁華街の中でも、
特に夜を彩り、最も賑わいを見せるのが通称「ヘブン」と呼ばれる地域だ。
多種多様な人間が享楽に明け暮れる歓楽街の連なり。
悪い噂も絶えない場所。
「なんでも手に入り、なんでも奪われる街」とも言われていたりする。
そんなところを一直線に目指し、さらに「そこに行けば安心だ」なんて言えるのは、ただの一般人ではない証拠だ。 今からオールナイトで遊びに行くわけでもないのだから。
そして、夜はまだ続く。




