19 崩壊
――被検体九号。
それが物心ついた時に知った優太の名前だ。
毎日決まった時間に、その名で呼ばれ。そうして別の部屋へと連れていかれる。
白い小さな部屋と、良く分からない器具が沢山置かれた部屋。
その二つの部屋が、優太にとっての世界の全てであった。
体の大きい人は、痛いことをするし、それで泣けば叩かれる。
ひたすらに我慢しなければならない苦痛の時間。
大きい人から解放されると、自分と似たような小さい人が集まった部屋に放り込まれる。
皆が同じ目に遭っていて、暗い雰囲気を漂わせていた。
――その中で、特別な人がいた。
泣いてる子がいたら、ご飯を食べるためのスプーンで不思議なことをしたり。
落ち込んでる子がいたら、傍に寄り添ってじっと話をしたり。
言葉についても彼から学んだ。そのおかげで、僕達はお互いに会話ができるようになった。
そんな彼が言った。
「――僕達は家族だよ。家族は特別な集まりで、皆で協力し合うんだ」
それを受けて他の兄弟が言った。
「あの大人達は?」
「あれは……家族とは違うかな」
彼は困ったように言った。
そんな彼がある日、皆に名前を付けた。
「僕は『いくましゅうじ』。『いくま』、が苗字で……『しゅうじ』、が名前」
「苗字?」
「家族を表す言葉だよ。ここにいる皆が『いくま』だ」
「それじゃあ、誰が誰か分からないよ?」
「そのために名前を付けるんだ。僕は『しゅうじ』。『いくま』という家族の中の、『しゅうじ』だ。君は……そうだね。心が優しいから『優太』が良いんじゃないかな」
笑いながら兄はそう言った。
大好きな兄が付けてくれた名前は優太にとって、かけがえのないものとなった。
兄の言葉は決して忘れない。
「僕らは皆、兄弟だ。兄弟同士、協力して生きていこう」
だからこそ、優太にとって兄弟か、兄弟でないか、の差は大きい。
兄弟は協力し合うもの。
兄弟以外の他人は利用するもの。
下村朝陽や藤堂渚も最初はそうであった。
利用するだけの存在。利用するのに都合が良いので、丁重には扱うが、要らなくなったら切り捨てる。
今でこそ、彼女達への心持ちは変化したものの、根底は変わらない。葉月との選択になったら、選ぶのは葉月だ。
その心に変化が生じたのが昨日だった。
迷子の少女――さき。同じく、兄姉が大好きだと言い、自分や葉月達をお兄ちゃん、お姉ちゃんみたいと言った。
その姿が、自身の過去と重なった。
さきがロボットだと判明し、作られた感情だと理解はしたものの、感情面で割り切ることはできなかった――。
◇
分身して二体となったさきが、浦辺を庇うように優太達の前に立ちはだかる。
予想外の状況に固まる三人。そこへ二体のさきが並んで突っ込んでくる。
朝陽と渚が武器を構えて、それぞれ二人のさきへと振るった。
「――当たらないっ!?」
渚が左側のさきへとハンマーを振り下ろすも、さきの身体を素通りした。
そのさきが腕を突き出してくる。バランスを崩した渚が攻撃を喰らうことを覚悟するも、想定した衝撃がこない。
一方、朝陽は右側のさきに向かって、ローラーで描いた帯を巻き付けようとする。
さきが帯に対して腕を突き出すと、腕の先に発生した斥力によって、帯が弾かれた。
そのまま前進し、朝陽へと攻撃を加えようとする……が、寸前で停止する。
そのまま急速に後退し、いつの間にか優太が伸ばしていた影をギリギリで回避した。
三人から距離を取る、二体のさき。
「……私が殴った方、ハンマーがすり抜けたわ」
「私の方は、普通に弾かれた」
「……片方は分身体なのかもしれない。分身してる方は実体が無いのかも」
「「実体が?」」
朝陽と渚の疑問が重なる。
優太は二人に向かって頷いた。
「片方は、ただの映像みたいなもんってことだよ」
「なるほど……じゃあ、あっちは無視すれば良いのね」
理解した渚が、頷く。
狙いを、さきの本体へと注意を払おうとするが、その視線の先でさきの分身体が消失した。
そして再び、二体へと別れると、先ほどと同じく突っ込んできた。
「どっちが本物!?」
分身体を作り直したことで、本体がどちらか分からなくなり、混乱した声を朝陽が投げる。
そこへ、葉月の声が響いた。
「右だよ!!」
その言葉に瞬間的に反応した優太が、影を伸ばす。
さきが腕を伸ばし――影が弾かれた。
右のさきが本体であることを確信した優太は左の分身体を無視した。
「二人はあの男をっ」
言いながら、さきの本体へと近づき、影を四方から伸ばす。
腕の先に発生する力場によって、影が弾かれる。が、腕は二本しかない。
四方から同時に伸びてくる影を全て弾くことはできず、数本の影がさきの腕に絡みついた。
動きを押さえることはできた。とはいえ、時間を与えれば、さきは直ぐにでも影を振りほどく。
男の方がどうなっているか見る余裕はない。急いでさきへと語りかけないといけない。
速効性があって、さきに響く言葉――
僅かな逡巡の後、優太はさきへと語りかけた。
「ねぇ。君のお兄ちゃんってどういう人だったの?」
「――私に兄はいません」
先ほどとは異なり、平坦な声。
構わず優太は話しかける。
「僕のお姉ちゃんはさ。大人っぽく振る舞おうとするけど、案外抜けてたりしてね」
「――ちょっ、優太!?」
背後の方で声が聞こえたけど、無視する。
「……でも、凄く優しくてね。兄弟が困ってたら助けてくれるし、悩んでたら相談に乗ってくれる」
さきの瞳が揺れたような気がした。
「そんなお姉ちゃんのおかげで僕は生きてこれた」
そう言えば、そのお姉ちゃんが僕に任せたって言ったんだったね。――なら……君のことは絶対見捨てられないな。
内心で改めて決意すると、優太は再びさきへと尋ねた。
「君のお兄ちゃん、お姉ちゃんはどうだったの?」
「私には兄は……お兄ちゃんは……」
戸惑った様子を見せるさき。
『兄』ではなく、『お兄ちゃん』という単語が出たことに、優太は手応えを感じた。
「――さき、話を聞くな。お前には兄弟は居ない」
組織の男の言葉が聞こえた。
朝陽と渚はうまく抑えることができてないようだ。もしかしたら、ヴィクターが持ってたような兵器を、男も持ってるのかもしれない。
そう考えた優太だったが、男の言葉を無視してさきへと話しかけた。
「ダメだよ、お兄ちゃんを忘れたら。大好きだったんでしょ?」
男の方を気にかける余裕は優太には無い。
今は朝陽と渚を信じて、さきへと向き合うべきだ。
そう判断した優太は、さきの表情を確認する。
その瞳は確実に揺れ動いていた。反応しているのは間違いなかった。
しかし、まだ足りていないことも確かであった。
何か強いきっかけがいる――優太は必死に思考を巡らせた。
「うあぁあ……っ!」
さきが自身を縛る影を振りほどいた。
腕を優太へと突き出す。
引力が発生し、優太の身体が引っ張られる。
が、優太はその引力に抗うことなく、さきへと突っ込んだ。
優太が目の前に迫ったタイミングで、今度は斥力を発生させた拳をさきが叩きこもうとする。
優太は自分の前面に影を展開して、全力でその衝撃を受け止めた。
加えて、影を自分の体に絡みつかせてその場に固定。衝撃で吹き飛ばないように自身を引っ張った。
「ぐっ!?」
体に加わる衝撃に顔を顰めつつも、何とか勢いを殺すことに成功すると――優太は目の前にいるさきに、抱き着いた。
「――離してっ!」
すぐさま振りほどこうとするさき。
それよりも早く、優太が言葉をかけた。
「僕らは君を見捨てない……置いてかないっ!」
「……っ、うさぎさ……っ」
さきがハッキリと動揺するのが分かった。
間違いなく、組織の男に命令される前の、さきの人格が現れている。
もう一押しか。そう思って優太は更に語りかけようとした時だった。
「優太、危ない!?」
姉の声が聞こえたと同時に、さきが斥力を発生させて優太を弾いた。
その場から押し出されるように弾かれ、さきとの距離が開く。
――瞬間、何かの光がさきを貫いた。
「優太――!?」
姉の声が遠くに聞こえる。
意識はハッキリしていた。さきに弾かれたことで、優太自身には光は直撃していない。
優太の目に、半壊するさきが映る。
胴体を貫かれ、上半身と下半身が別れたさき。優太を弾くために伸ばされた手。
その手を掴もうとするも、届くことはなく。優太は崩れ落ちるさきを、見ていることしかできなかった。




