幕間1 二百年振りでも知識は残ってるもんだよね
休日の昼下がり。僕と優太の家。
居間に置かれたちゃぶ台の上に問題集とノートを広げて、下村さんが勉強に励んでいた。
「――これなんだけど、証明の書き方が良く分からなくて」
「どれ? ……あぁ、合同の証明かー。合同条件は覚えてる?」
「あー、うん。たぶん……」
下村さんへと説明しながら問題文をなぞっていく。
何で下村さんが僕らの家で、勉強をしているのか。
どうも自分の家だと気が散ってしまって、勉強に集中できないらしい。
じゃあ、学校や図書館で勉強してはと聞くと、そっちではやる気が出ないと言っていた。
何で僕らの家だとやる気が出るのかは分からないけど、それで勉強が捗るのならと受け入れたんだ。
僕らの家が、彼女達のたまり場になってってる気がするけど、別に家に来られて嫌なわけでもないしね。
そんなわけで絶賛、勉強中な下村さん。ついでに数学で分からない所を聞かれたので、こうして教えてるわけだ。
「ありがとう、葉月ちゃん!」
「後でもう一回解き直して、ちゃんと身についてるか確認してね」
「うん、分かった!」
お礼を言ってきた下村さんに笑って応える。
まぁ僕も大人だからね。中学生に勉強教えるなんてわけないね。
得意げになってると、下村さんがカバンをごそごそと探りだした。
「……ね、次はこれ教えて欲しいんだけど」
やれやれ、仕方ないね。何の教科かな?
え? 英語? ……調子のってすみませんでした。
申し訳ないけど、英語はてんで分からない。
だって、これまでの人生で英語を使う機会なんて無かったし。
「優太は分かる?」
僕の膝の上でぐうたらしてる優太に声かける。
「知らない」
「そりゃそうだよね」
僕らが英語を分からないと知って、下村さんが残念そうな顔を見せた。
ごめんね。年の功で何とかなったら良かったんだけど……英語に関してはむしろ若い子の方が馴染みがありそうだ。
……ん? ってことは――。
「藤堂さんに教えてもらうのは?」
彼女は勉強できそうだし、英語もできそう。
勉強教えるのって自分の中でちゃんと整理できてないといけないから、藤堂さんとしても復習になって一石二鳥な気がする。
「あー、渚かー」
名案かと思ったけど、下村さんの歯切れは悪そうだ。
もしかして藤堂さんも英語が苦手?
「いや、自分で頑張れって言われそうだし……」
あ、違った。
普段から色々と厳しいから、勉強も自分でやりなさいって怒られるんじゃないかと思ったみたいだ。
藤堂さんってそんなこと言うイメージは無いけど、学校では違うのかな。
そんなことを思ってると、スマホが震えた。
見ると藤堂さんからの電話だった。噂をすればなんちゃらだね。
「――もしもし」
「もしもし、どうしたの?」
「あのね、葉月に聞きたいんだけど」
電話に出ると、唐突にそんなことを言われた。
わざわざ電話して聞いてくるって何だろう。
身構えた僕に、藤堂さんが続ける。
「チョコとポテチならどっちが好き?」
「……え? それならポテチだけど」
「そ、ありがと――」
……切れた。
何だったのかな?
「渚、何て?」
「んー、良く分かんない」
尋ねてきた下村さんに、正直な感想を返す。
そのまま下村さんが勉強してるのを見守ってると、暫くしてからチャイムが鳴った。
誰だろう、何かの営業かな?
優太を膝から下ろして玄関に向かいドアを開ける。
「――こんにちは」
そこに居たのは藤堂さんだった。
カバンを肩にかけて、ビニール袋を手に持ってる。
「こんにちは、藤堂さん。今日はどうしたの?」
「ここでテスト勉強させてもらおうと思って」
何で?
「駄目だった?」
「ううん、別に良いけど……何でうちで?」
「何となく、かな。気分を変えてみたかったの」
いや、だから何で?
下村さんと二人で、僕のうちで勉強しようみたいな話でもしたの?
色々と気にはなったけども、とりあえず藤堂さんを家に上げる。
そこへ、居間から顔を覗かせた下村さんが声をかけてきた。
「おっすー」
「朝陽も来てたんだ」
そのやり取りで、二人がうちに揃ったのは偶然だったことが分かった。
うーん……いやまぁ、来た分にはもてなすけどさ。
とりあえず藤堂さんの分のお茶も入れる。
藤堂さんがポテチを買ってきてくれてたので、それをお茶受けにして、一緒にちゃぶ台へと運んだ。
下村さんの向かいに座って、ノートを広げる藤堂さん。
藤堂さんは何を勉強してるんだろう……これは枕草子の出だしだね。
二人がノートとテキストを広げているので、お茶とお茶受けをちゃぶ台に置くと、だいぶ手狭な状態になる。
今後もこういう感じになるなら、もう少し大きめのテーブルを買った方が良いかもしれない。
そんなことを思いながら、二人の頑張りを眺めつつ、手持ち無沙汰にコインで遊ぶ。
藤堂さんが一息ついたところで、声をかけた。
「藤堂さんは英語できるの?」
少し考えるような仕草を見せる藤堂さん。
「できるか、できないかだとできないわ。喋れないし、母語話者の人の英語は聞き取れないわ」
あぁ、そうか。
できる? って聞くと、そういう回答になるよね。
「ごめん、聞き方が悪かったや。今回のテスト範囲の内容って理解してる? 文法とか、単語とか」
「それならまぁ、それなりには……」
尋ね直すと、不思議そうな表情をしつつも藤堂さんは答えてくれた。
「下村さんが英語教えて欲しいんだって。僕は英語分からないから、藤堂さんどうかなーって思って」
「ちょっ、葉月ちゃん! 渚、別に大丈夫だからねっ」
下村さんが英語を教えて欲しがってることを伝えると、慌てた声で下村さんが訂正してきた。
そんなに嫌なのかな?
余計なこと言っちゃったかなと思ったら、当の藤堂さんは全く気にしてない様子で下村さんへと語りかけた。
「ふーん。いいわよ、どこが分からないの?」
「え、いいの!?」
下村さんが驚いた表情を見せる。
怒られるって予想してたか、思わぬ言葉にびっくりしたんだろうね。
そんな下村さんの態度に訝しげな視線を送る藤堂さん。
「何でそんな驚いてんのよ」
「あ、いや。何でもないよ」
「ふーん……まぁいいわ。それで? どこが分からないの?」
「いやぁ、どこがって言うかどこもって言うか」
あははと笑いながら、ノートを藤堂さんへと見せる下村さん。
「これとこれの違いが良くわかんなくて」
「あぁ、訳は一緒だしね。使い分けは自分の意思が入ってるかどうかよ」
「自分の意思?――」
二人で真剣に話してるのを横から見る。
ちょっと心配になったけど、全く問題なさそうだ。
僕は安心すると、それから二人が仲良く勉強するのを優太と一緒に見守った。
――ちなみに横から聞いてて、英語は全く理解できなかった。
僕はたぶん、英語は一生使えるようにならないと思う。
◇
優太の出番も書いて
――二週間後。
「葉月ちゃん、オクタ、こんにちは!」
「こんにちは、朝陽」
「こんにちは。何だか楽しそうだね」
再び家へとやってきた下村さんを優太と一緒に出迎えた。
下村さんは何だか、凄く嬉しそうな表情をしている。
居間に通しながら理由を尋ねると、嬉しそうに笑った。
「んふふ。分かる? 分かっちゃう?」
テンションも高いみたいだね。
「何か良いことでもあったの?」
「あったんだよー。見て見てっ!」
そう言って、嬉しそうに折りたたまれた紙を開いて見せてくれた。
これは……テストの成績表だね。
「じゃん! 今回のテスト、中学に入ってから一番の成績だったの!」
「そうなの? 凄いね!」
「へー、頑張ったんだね」
何と、今回のテストは結果が良かったらしい。
紙に書かれてる点数を見た感じ、そこまで高い点って感じでは無い。
けど下村さんがこんなに喜んでるってことは、彼女にとっては良かったんだと思う。
なので僕は素直に下村さんを褒めた。
「テスト勉強、頑張ってたもんね」
「ほんと、葉月ちゃんと渚のおかげだよー」
嬉しそうに話す下村さん。これだけ喜んでるなら、こちらとしても教えた甲斐があったね。
お茶を入れてると、再びチャイムが鳴ったので優太が出てくれる。
「こんにちは」
やってきたのは藤堂さんだった。
だから何で皆、僕らの家に来るのさ。いやまぁ、別に良いんだけど。
「あ、渚! おかげでテスト良かったよ! ありがとね!」
「そう、それなら良かったわ」
二人の会話を背にしながら、藤堂さんの分のお茶も入れる。
お茶受けと一緒に居間に持ってくと、何か雰囲気が変わってた。
「――だから、私なりに頑張ったんだって」
「この程度の結果で? もっとやれるでしょ」
……ええと、何で二人とも喧嘩してるのかな?
さっきまで楽しそうに話してよね?
意味が分からなかったけど、とにかく落ち着かせて話を聞いた。
どうやら、下村さんなりに頑張ったテストの点。藤堂さんからしたら、低すぎて何で? ってなったらしい。
「そんなん言うなら、渚の結果はどうだったの!?」
「私はいつもとあまり変わらないわよ」
売り言葉に買い言葉。下村さんが藤堂さんにテストの結果を尋ね、藤堂さんが自分の紙から折りたたまれた紙を出してきた。
先程下村さんが見せてきたのと同じやつだ。
それを開いて中身を見せてくれる。
「……え、すご」
「……マジ?」
「へー、渚って賢いんだね」
藤堂さんの成績は……何か、めちゃくちゃ良かった。
これって学年でも上位なんじゃないかな。
「あんたも、もうちょっと頑張んなさいよ」
藤堂さんの言葉が決め手となって下村さんがふくれっ面になった。
これは……拗ねちゃったかな。
うーん。仲良しかと思えばすぐに喧嘩して……この二人の関係はやっぱり良く分からないね。
「ほら、むくれない。勉強ならまた教えてあげるから」
藤堂さんが宥めるように言うと、下村さんがぴくりと反応した。
「英語?」
「英語以外も、私が分かるとこならね」
「……約束だよ」
「はいはい、約束ね」
下村さんの頬から空気が抜けた。
納得したのかな?
「ね、ね。冬休みなったらさー」
早くも切り替えた下村さんが、楽しそうに語る。
それに、藤堂さんが淡々と返してるけど、表情は柔らかい。
なんだかんだ、やっぱり二人は仲良しなのかもね。
暖かい空気の中、僕も談笑に加わった。




