16 凛という女性
葉月が藤堂渚と公園のベンチで会話をしていた時。
下村朝陽は葉月から、渚を発見したとの連絡を受けて安堵していた。
朝陽自身は渚に理不尽なキレ方をされた訳だが、それ以上に渚に対する心配の方が勝っている状態であった。
思い悩んでいる様子の渚を放置はできないし、加えて渚はスーツの男に顔が知られてしまってもいる。それゆえ、彼女の無事が確認できて安心したのだった。
駅の方へと向かいながら、朝陽は思案した。
自分も渚と葉月のもとに行くべきだろうか。
渚の状態は普段と異なっていた。その理由が気になるのだ。
ただ先程、自分の発言の何かが渚の気に障り、渚を怒らせている。
今、自分が行っても余計に拗れるのではないか。
そんな不安が、渚達の元へ行くことを躊躇せていた。
「どうしよう……」
「何が?」
思わず呟いたところへ、声をかけられた。
足を止めて顔を上げると、そこには一人の女性がいた。デニムパンツにチェスターコート。長い髪を耳にかけていることで、覗かせるお洒落なイヤリング。サングラスを外して自分を見ているその女性を、朝陽は知っていた。
「凛さん!」
「また会ったね」
その女性は朝陽にとって三回目の出会いとなる、凛であった。
「何か困ってそうだったけど、大丈夫?」
「え? あー、はい。大丈夫です!」
心配げに話しかけてくる凛に対して、朝陽は笑って誤魔化した。
実際は、大丈夫な状況ではない。しかし凛と渚の関係が分からない状態で渚のことを話すべきではないし、謎の二人組のことを話して巻き込むわけにもいかない。朝陽が直面している問題は、凛に話せることではなかった。
朝陽の様子に何かを察したのか、凛はそれ以上突っ込んでくることはなかった。
代わりに何かを考える仕草を見せた後、おもむろに口を開いた。
「朝陽ちゃんって渚とは知り合いなんだよね?」
「えっと、そうですね。友達です」
凛の口から渚という言葉が出てきたことに少し驚きつつも朝陽は頷いた。
その回答に、笑みを浮かべる凛。
「良かった。ねぇ、今からって時間ある? 渚のことで少し話がしたいんだけど」
「え? 今からですか?」
凛に問われて朝陽は迷った。
渚の状態が気になることは気になる。しかし、自分が渚のもとに行って何かの役に立てるかは分からない。
それに渚が明らかに不調になったのは、凛と遭遇してからではなかったか。もし渚の不調の原因に凛が絡んでいるのなら、彼女の話を聞けば何か分かるかもしれない。
それに渚と凛の関係も、純粋に気になる。
僅かばかり迷った末に――朝陽は頷いた。
「大丈夫ですよ」
「ほんと? ありがとう! それじゃあ、どっか落ち着いて話せるとこに行こうか」
そう言って凛が歩き出したので、慌てて朝陽もついていく。
「そう言えば、あのコンタクト落とした子は元気?」
「あ、結衣ちゃんですね。はい、あれから何度か会いましたけど、元気そうですよ」
「それは良かったわ」
世間話をしながら辿り着いたのは、一軒のカフェだった。
落ち着いた雰囲気を醸すシックな店内、店員に案内された二人は、窓際の席へと座った。
朝陽はミルクティーを、凛はカフェオレを注文し、店員が下がったところで朝陽が尋ねた。
「凛さんって、渚とはどんな関係なんですか?」
前回、朝陽が凛と出くわした時、たまたま同じ場にいた渚は凛に対して一方的に怒っていた。
その原因が何なのかを知りたいがための質問であったが――。
「私たち、姉妹なの」
「……え?」
凛から返ってきた思いがけない答えに、思わずまじまじと凛の顔を見る。
確かに渚に似た面影がある。
真面目な渚が少し怠けたら、凛のようになるかもしれない。
「びっくりした?」
「えーと、はい。でも言われたら、確かに似てるかなって思いました」
驚いたかという問いに、正直に答える朝陽。
その言葉に、凛が薄く笑った。
「ねぇ。あの子って、学校ではどんな感じ?」
「学校ですか? どんなって言うと……凄く真面目ですよ。風紀委員やってて」
「悪いことは許しませんって感じ?」
「そうですそうです。凛さんと最初に会った日、遅刻しかけてきたのを咎めてきたのも渚なんです」
「あー、そうだったんだ。あの子も変わらないわね」
朝陽の言葉に、その光景を想像したのだろう。凛が苦笑した。
「ごめんね、あの子にも悪気はないのよ」
「はい、知ってます」
「なら良かったわ」
今度は二人で小さく笑う。
話題がひと段落ついたところで、今度は朝陽が訪ねた。
「渚が変わらないってことは、昔からそうなんですか?」
「そうね……」
そこから凛が語った。
自身の親が警察官と教師であること。ドがつく真面目であること。
そのため子供の自分達も厳しく躾られたこと。
「私はさ。中学の時に反抗期がきてね。厳しくされることに、色々と反発したんだよね」
「それは……大変そうですね」
「うん、大変だった。お父さんの気が強いとこを引き継いじゃったもんだから、もう毎日のように喧嘩してさ」
やってきたカフェオレに口をつけながら、昔を懐かしむような目で言葉を続ける。
「良くも悪くも姉を見て育ったんだろうね。それを見てた渚は、私とは正反対の真面目な子に育った」
「それだと、凛さんが不真面目みたいですよ」
「私は不真面目だよ」
笑いながら凛が言う。
「でさ、渚はその分めっちゃ真面目に育ったの。真面目過ぎて、ちょっと融通が利かなかったくらい」
「あー、それは今もですね」
朝陽の感想に、また凛が笑った。
「あの子は頭固いけど、真面目なだけだからさ。これからも仲良くしてあげてくれると嬉しいな」
凛がそう言うと、朝陽は言われずともとばかりに大きく頷いた。
「もちろんです!」
「ふふ、ありがとう。……と、そうだ。この話、私から聞いたって内緒にしといてね。あの子、絶対怒るから」
冗談めかした凛の言葉に、苦笑する朝陽。
確かに、渚であれば怒りそうだと考える。
「凛さんは渚とは仲悪いんですか?」
ここまでの話で、凛が渚を気にかけてる様子は見て取れる。
しかし渚の凛に対する態度は、凛とは真逆と言ってもいい。その違いが気になり、朝陽は凛へと尋ねた。
対する凛は、眉根を寄せて少し困った表情をした。
「うーん、どうだろうね。たぶん私が一方的に嫌われてるんだと思う。あの子がちっちゃい頃は凄く懐いてくれてたんだけどね」
「そうなんですね……」
「まぁ、私も色々とやらかしたからね。真面目な渚からしたら許せないところがあったのかもね」
「色々、ですか?」
「そ。例えばね……」
そこから凛は、面白おかしく自分の過去を朝陽へと語っていった。
「――それで我慢の限界がきて、高校卒業と同時に家を飛び出したんだ」
「え、じゃあ今って……」
「一人暮らししてるよ」
凛の言葉に驚く朝陽。
喧嘩して家を出たなら、生きていく上で両親の援助とかは受けられないはずだ。
高校を卒業してから凛が、何をして生計を立てているのか。
気になったものの、聞いていい話なのかも分からずに言い淀んでいると、凛が悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「今どうやって生きてるんだって、気になってる顔だね」
「あ、分かっちゃいました?」
指摘された朝陽は頭を掻きながら、素直に認めた。
潔い朝陽の態度に笑いながら、凛が静かに告げる。
「私ね。歌ってるんだ」
「歌……ですか?」
「そ、シンガーソングライターってやつ」
「へぇ、そうなんですね!」
驚きを持って、相槌を打つ朝陽。
音楽自体は朝陽も普段から聞いたりする。
特に友人の一人が音楽を好きなので、そこから薦められて色んな歌手の曲を聞いてるのだ。
これまで聞いてきた曲の中に、凛が歌ったというものはあるのだろうか?
そんな純粋な疑問から、朝陽は凛へと尋ねた。
「何て名前で活動されてるんですか?」
「そのまんまだよ。りんって名前」
「へぇ。りんさんですね……ん、りん?」
りんと言えば確か、友人が勧めてきた名前が――。
「あのりんですか!?」
思い至って、驚く朝陽。
友人いわく、新進気鋭のシンガーソングライターとして、近頃有名になってきた歌手がいるのだが、それがりんという名前であったのだ。
「どのりんかは分からないけど、りんだね。代表曲は『私が好きだったもの』ってやつなんだけど」
「知ってます! まーかが薦めてくれて……私も好きな曲です!」
「あら、それはありがと」
まさか、こんな身近に有名人が居るとは思わない朝陽は、感動をもって改めて凛を見た。
「これからも応援、よろしくね」
「はい!」
茶目っ気たっぷりに告げる凛。
その言葉に、朝陽は元気よく頷いた。
「――でも本当、凄いです」
まだ興奮冷めやらぬ状態で、思っていたことを言葉にする朝陽。
それは凛の努力についての感想だった。
両親の援助もなしに家を出て、身一つで頑張り、成功したわけだ。
凛がどれだけの苦労をしてきたのか分からないが、並大抵じゃない努力をしてきたであろうことは想像に難くなかった。
そんな朝陽の言葉に、遠い目をする凛。
思い出すように、ゆっくりと口を開いた。
「まぁ、がむしゃらだったね。……バイトを掛け持ちしながら、少しでも多くの人に聞いてもらえるよう色々考えてさ。で、ちょっとずつファンが増えてくのが嬉しくてね」
大変だったと言う割に、語る表情はどこか楽しそうであった。
しかし、そこから一転して言葉のトーンが下がった。
「歌で稼げるようになって、色々と忙しくなって……最近少し落ち着いてきたから、渚はどーしてるかなーって思って様子を見にきたんだけどね……」
あの子の気持ちを考えると余計なことをしちゃったかもしんないわね、と呟く凛。
どこか寂しげに語る凛に、朝陽は何も言えなくなった。
その様子を見た凛は軽く息を吐くと、苦笑しながら頭を下げた。
「……ごめん、しんみりしちゃったね」
「いえ、そんなことないです」
否定はするものの、朝陽としてはそれ以上は踏み込めず。
その後の会話は当たり障りのないものばかりとなった。
「――今日は話聞いてくれてありがとね」
「そんな、私も楽しかったです!」
「ね、また連絡しても良い? お茶飲み友達になって欲しいんだけど」
「良いんですか!? 嬉しいです!」
日が傾きかけてきた頃、カフェを出ることにした二人。
時間も時間だからと凛が朝陽を家の近くまで送り、その場は解散となった。
別れた後、渚のことが気になった朝陽がスマホを確認すると、葉月から家に送り届けたとの連絡が入っていて、ひと安心した。
自分も家に入りながら、今日の凛との話を思い返す。
渚が正しいことに拘る理由。それは両親の影響を強く受けたからで間違いない。
凛は、渚が自分のことを嫌っていると言ってたが、果たして本当にそうだろうか。
ただ嫌いなだけなら、凛の姿を見るだけで、あんなに取り乱すことは無い気がする。
『悪かったわね! 柔軟じゃなくて!』
渚がキレた時に言っていた言葉を思い出す。
渚が凛のことを、実際にどう思ってるかは分からない。
ただ、渚が不調になった原因はやっぱり、凛との確執に起因しているように思えた。
とはいえ、じゃあどうすれば解決できるのかと考えても、朝陽には良い案は何も思い浮かばなかった。
「あぁもう……どうしよう」
悩みの種は消えるどころか、かえって複雑であることが露呈し、辟易する朝陽だった。




