10 えじそん先生の特別授業
「なぎちゃん、大丈夫?」
長山第二中学校の三年生。藤堂渚のクラス。時刻は昼休み。
渚の様子がおかしいことに気づき、佐山しおりが尋ねた。
「え? うん、大丈夫よ。心配させてごめんね」
「……大丈夫なら良い」
友人から突然心配の声をかけられ、渚が驚きながらも言葉を返す。
が、しかし。実際のところ、しおりの心配は正しく、渚の心境は平常ではなかった。
その理由は本日の五限に控える特別授業にある。
テレビでも有名なえじそん先生による特別授業。
その実、えじそん先生が統制局の一員であるとの情報をもらっており、それと対面することに渚は緊張していた。
葉月がヴィクターに確認した結果、渚の予想通り、稲葉のパソコンには渚の情報は無かったことが分かった。
おかげで下村朝陽と同様に仮病を使う必要はなくなったが……とはいえ、えじそん先生が敵組織の一員であることに代わりはなく、緊張することは避けられなかった。
自分ではそんなつもりはなかったが、友人には見抜かれていたことに驚くと同時に、心配してくれた友人に対して誤魔化してしまったことに罪悪感を感じた渚は、少しの間の後に首を横に振った。
「……ごめん、嘘。少し緊張してるわ」
「……それも仕方ないよ」
結局、正直に気持ちを伝えると、しおりの顔が綻んだ。
「テレビ来るんだもん……私も緊張する」
しおりは渚の緊張の理由を、えじそん先生と一緒にテレビカメラがやってくるためと勘違いした。
それに対し渚は否定することなく、頷いた。
本当の理由を話すことはできない。勘違いしてくれているのならその方が良かった。
渚は教室内を見渡した。朝陽の姿は見えない。事前に話していたとおり、今日は休みを取っていた。
朝陽の友人である、里中まどかが少し寂しそうにしている様子が見られる。
渚とて、朝陽が仮病を使うことに思うところがないわけではない。
しかし仕方ない。朝陽がこの辺に住んでいることがバレたら、仮病どころでは話が済まなくなる可能性がある。
今は無難に、目立つことなく乗り切ることを考えなくてはいけない。
努めて平静を装いながら、渚はしおりへと向き直った。
「ごめんね、話の途中で。それで……あの人とはどうなったの」
「ん、今度勉強教えてもらったお礼で、一緒にお出かけすることになったよ」
「本当に!? やったわね!」
「うん」
はにかんで笑うしおりに、顔を綻ばせる渚。
友人の恋愛事情が一歩前進したことを一緒に喜んだ。
「お守り、効果あったかもね」
「うん、ご利益あったかも」
お互いに笑い合ってると、予鈴のチャイムが鳴った。
渚は自分の席へと戻り、いつも通りに授業が始まるのを待つ姿勢を取る。
まもなくして、扉が開き担任の先生が入ってきた。
先生はいつもよりも綺麗めな服を着ていたが、朝の時点で皆から野次られているのでこの場で話題になることはなかった。
「それじゃあ、今から教室を移動するよ」
そんな先生の言葉と共に、皆で席を立つ。
特別授業は理科室で行われる。昼休みの間に、テレビスタッフが準備を行っている手筈だ。
邪魔にならないよう教室で待機していた渚達は、これから理科室へと移動する。
理科室の席に座った生徒達の元に、えじそん先生がやってくる、というのが番組の流れだ。
列になり理科室へ移動する渚。
班ごとに固まって座ったところで、先に控えていた男性スタッフが番組を撮影するにあたっての注意事項を話す。
いつもはふざける生徒達も、今日は真面目に聞いていた。
――やがて、その時がやってくる。
「どうもー。皆さん、こんにちはー」
軽快な挨拶と共に、扉を開けて入ってきた一人の中年。
白衣を纏い、トレードマークである電球の形をした帽子をかぶり、ちょび髭を生やした男。
テレビの中で見る、えじそん先生その人が登場した。
「今日特別授業を受けてもらう、長山第二中学校の三年一組の皆さんでーす」
遅れて入ってきたスタッフのテレビカメラに向かって、えじそん先生が話しかける。
そのテンションの高さはテレビで見る通りのものだった。
「今日は皆さんと一緒に、科学の実験をやっていこうと思うので、皆さんよろしくねー」
「よろしくお願いしまーす」
生徒達もノリ良く言葉を返し、授業が始まる。
今回の実験するのは、普段の授業でも習う触媒の効果を利用したものであった。
オキシドール、液体洗剤、ドライイースト、食用紅、それにお湯。各班の机上にスタッフ側が用意したもの。それをもとにえじそん先生が実験の説明をしていく。
トレーの中に立てたメスシリンダーにオキシドールを入れ、そこに液体洗剤を数滴と食用紅を混ぜておく。
別の容器で、ドライイーストを少量のお湯で溶いておき、それを一気にメスシリンダーへと注ぎ込む。
手順だけを説明された生徒達が実際に実験を行うと、ドライイーストを注ぎ込んだところでメスシリンダーからマグマのようにカラフルな泡がモコモコモコと大量に噴き出した。
えじそん先生がテレビで見せる不思議な実験。
それを間近に体験した生徒達はその結果に驚き、様々なリアクションを返すのだった――。
――案外、普通。
授業も半ばまで進んだところで、渚がえじそん先生に抱いた印象だ。
最初は警戒していた。ヴィクターからは統制局の人間は曲者だと聞いていたことも、警戒心を抱かせる要因の一つだった。
しかし、えじそん先生はテレビで見るままの態度で授業を進めていく。
考えてみれば、それも当然であろうか。生徒達からは常に見られているし、そもそもカメラが回っている。
ここで何か起きれば、目撃者が多すぎて誤魔化すのは不可能だ。
撮影しているテレビ番組が公的なものである以上、悪い組織の人間であっても下手なことはできないはずなのだ。
となれば休みを取ったことで朝陽が見つかる心配がない現状、問題が起きることは無いのではないか。
むしろ集中できずに、科学の勉強になる機会を逃すのは良くない。
そう判断した渚は、残りの授業を集中して受けることにしたのだった。
やがて授業が終わり、カメラが止まる。
スタッフが撤収の準備に入る中、えじそん先生と生徒達のオフレコのトークタイムとなった。
「いやー、今日の生徒達は良かったねー。やりやすかったよー」
「実験面白かったっす!」
明るく話すえじそん先生。
生徒達も慣れてきたのか、だいぶ砕けた口調で話すようになっていた。
わいわいと教室が盛り上がる中、渚はほっと一息ついた。
結局最後まで変なことが起きず、授業を終えることができた。
後は彼が去ってしまえば、平穏は再び訪れる。
そう安心した時だった。
「――それじゃあこのクラスから何人か、次の課外授業に呼んじゃおうかなー」
えじそん先生がそう告げたことで、渚は思わず顔を上げた。
課外授業に呼ぶ?
「課外授業って何ですか?」
生徒の一人が尋ねた。
その言葉にえじそん先生が頷いた。
「僕は普段、皆のクラスにお邪魔してるわけだけど。たまーにね、クラスにお邪魔するんじゃなくて、大自然の中で授業をするんだよ。普通は全国から生徒を募集するんだけど、今回は特別だ。何人か特別枠で招待しようかなーと思ってね」
にわかに教室が色めき立つ。
皆、一様に選ばれたいという思いが表情に出ていた。
「先生、どーやって選ぶの?」
「落ち着いてねー。公平に、僕が適当に選ぶから」
「適当なんですか!?」
ツッコミが入る中、えじそん先生が手元に持っていたバインダーに目を落とす。
そこには生徒達の名前が載った名簿が挟んであった。
「どうしようかなー……平等に男子二人、女子二人でいこうか」
言いながら、まずは男子の名前を上げていく。
選ばれた男子は大いに喜び、周りから祝福されていた。
「そして女子は……そうだねー、一人は里中まどかさん」
渚が名前を呼ばれたまどかを見る。
彼女は驚いた様子を見せていた。
「で、もう一人は……藤堂渚さん」
朝陽の友達が選ばれたことに動揺していた渚であったが、続けて自分の名前が呼ばれたことで自身も驚きの表情を見せた。
「なぎちゃん、良かったね」
周りからは祝福の声が上がり、しおりからも声をかけられる。
だが渚としては、参加したいという気持ちは全くなかった。何せ、相手は共栄会の一員なのだ。
今回は無難に乗り切ったが、次回はどうなるか分からない。
再び敵組織の一人と接近する機会を、自ら得てしまっても良いのだろうか。
断るべきではないか……。
しかしここで渚が断ったら、代わりに別の人が選ばれることになるだろう。それでもし、しおりが選ばれることになったら?
友人が選ばれる可能性を考えると素直に招待を受けるという選択肢しかなく、渚は曖昧な表情を取ることしかできなかった。




