第八話 侵食
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称・事件等は架空であり、実在のものとは関係ありません
「……それだ」
岩戸の地鳴りのような声が、猛吹雪を割った。
蓮が放ったのは、突きでも投げでもなかった。
突進してくる岩戸の巨躯に対し、蓮はあえて自らの力を消したのだ。
これまでの蓮は、相手を止めようとして力をぶつけていた。
だが、岩戸の「豪雪」を受ける中で、彼は真理に触れる。
「力の起点……。そこを、ずらす」
蓮の指先が、岩戸の分厚い手首に触れる。
力は入れていない。ただ、岩戸が踏み込む力の方向が、蓮の軸に触れた瞬間、蓮は自らの身体をわずかに旋回させた。
神代の社で学んだ「天地人」の歩法が、山宮の「豪雪」と混ざり合う。
上半身は水のように柔らかく、下半身は根を張る岩のように硬く、その間を繋ぐ蓮の意思が、巨大な岩戸の勢いをそのまま円の動きへと転換した。
ドォォォォン、と地響きがした。
投げたのではない。岩戸が、自分自身の突進する力に耐えきれず、自ら雪の中に沈み込んだのだ。
「……はぁ、はぁ……」
蓮は、自分の掌を見つめた。
今のは、理論ではない。科学でもない。
この極寒の自然、そして目の前の岩戸という「巨大な個」と一瞬だけ同調した感覚だった。
相手を「敵」として排除するのではなく、相手の動きを「自分の一部」として受け入れた結果、
勝手に相手が崩れたのだ。
岩戸は雪の中から身を起こし、豪快に笑った。
その瞳には、初めて蓮を「一人の伝承者」として認める光が宿っていた。
「ようやく、業が『活きた』な。蓮」
岩戸は立ち上がり、蓮の肩を叩いた。その手の重みさえ、今の蓮には心地よい大地の鼓動のように感じられた。
「今、掴んだものは、制圧の理ではなく、共鳴の理だ。豪雪とは、冷たく突き放すことではない。全てを白く塗り潰し、一つの大地に還すこと……。お前なりのタチカキ、その片鱗が見えたぞ」
しかし、その師弟の静かな時間は、一通の無機質な電子音によって切り裂かれた。
岩戸の小屋に置いてあった真壁の隠し端末が、赤い警告灯を明滅させていたのだ。
「……里が、落ちたか」
岩戸の表情が険しくなる。
蓮の胸に、冷たい氷が差し込まれたような感覚が走った。
「行け、蓮。お前の中に芽生えたその理が、現実の中でどこまで通用するか……。」
蓮は、雪山に向かって一礼した。
もはや、以前のように怯えてはいない。
背筋を伸ばし、雪原を蹴って里へと駆け下りるその足取りは、誰よりも軽く、そして何よりも重く大地を捉えていた。




