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第五話 雪山

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称・事件等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

 翌日、蓮は一人、白い息を吐きながら、雪深い山道を登っていた。雪とは無縁の港町の神社から北へ登り、彼の目指す先には、文明から切り離された、過酷な自然と対峙するための「タチカキ」が残されている神社だった。しばらく山道を歩いていると社の鳥居が現れた。その奥、吹き荒れる吹雪の中に、一人の男が立っていた。それが、岩戸巌鉄だった。

 熊のような巨躯。防寒着など着ておらず、作務衣一枚で、まるで周囲の雪と同化しているかのように、そこに「立って」いた。

 その体躯は、ただ大きいだけではない。大地そのものが隆起したかのような、圧倒的な安定感を放っていた。吹雪が彼の体を容赦なく叩きつけるが、岩戸は微動だにしない。まるで、根を張った大樹のようだ。


「……神代の若僧か」


 その声は、低い唸り声にも、地響きにも似ていた。蓮は思わず、立ちすくんだ。凱の「雷鳴」で受けた傷が、身体の奥で再び疼き出す。凱の暴力とはまた違う、しかし、それ以上に根源的な「力」が、この男からは溢れていた。


「お前は、弱ぇな」


 岩戸巌鉄は、蓮を一瞥しただけでそう言い放った。侮蔑や嘲笑の響きはない。ただ、自然の摂理を語るかのような、静かな事実の宣告だった。


「お、俺は……」


 蓮が何かを言い淀むと、岩戸は言葉を遮るように視線を山の奥へ向けた。

「ここに来て、お前は何を学びたい? 」


 蓮は答えられなかった。凱との闘争で、彼の自信は粉々に打ち砕かれた。自分がしていた「タチカキ」は、通用しなかった。では、何が正解なのか。


「……分から、ないです。俺は、神社をタチカキを守りたい。でも、俺の力じゃ、それができない……」


 声が震えた。雪の冷たさが、蓮の頬を伝う。それは、雪なのか、涙なのか、

自分でも判別がつかなかった。


「そうか。ならば、まずは『立つ』ことを覚えろ」


 巌鉄はそう言うと、蓮に背を向けた。そして、両腕を自然に体の前に垂らし、重心を低く保つ、最も基本的な構えをとった。「四海九天しかいきゅうてん


 その構えは、蓮が知るどの「四海九天」よりも重く、深く、そして揺るぎないものだった。巌鉄の足元から、地の底へと、見えざる根が伸びているように感じられた。


「お前は、まだこの地には『立て』ていない。」


 巌鉄が、ふっと息を吐く。その瞬間、蓮の足元から、地を這うような冷気が全身を襲った。それは物理的な衝撃ではない。しかし、蓮の身体は、大地から強制的に引き剥がされるかのような感覚に襲われ、膝から崩れ落ちそうになる。

豪雪ごうせつ

 それは、蓮が知る固め技「豪雪」とは全く異なるものだった。相手を組み伏せるのではなく、その存在そのものを、大地から「無きもの」とするような、根源的な制圧。

 蓮は、その場で身動き一つ取れなかった。まるで、万年雪の下に閉じ込められたかのように、全身を重圧が押し潰す。


「まずは、この雪の中に『己』を刻みつけろ」

 それが、岩戸巌鉄が蓮に課した、最初の試練だった。

凍える吹雪の中で、蓮は、己の存在すら否定されるような感覚に打ちのめされていた。

この雪山で、自分は本当に「立つ」ことができるのだろうか。

「ここで学ぶのは、技ではない。自然という名の神に、ただ『立つ』ことだ」

 巌鉄の言葉が、幻聴のように蓮の耳に響く。 蓮は、雪を踏みしめる。


 蓮は、岩戸巌鉄の言葉が幻聴のように響く中、雪を踏みしめていた。

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