発酵オーラクレスト
「さて、早速で悪いがオーラクレストについて教えて欲しい」
低く落ち着いた声だった。
サッチェルの中から茶缶を取り出し、テーブルの上へそっと置く。
「オーラクレストについて、薬草の魔女である祖母に情報提供を求めました」
レイナード様は静かに頷いた。
「それで?」
「ご報告したいことが二つ。一つ目は春、雪解けが終わるまでオーラクレストは採れない、とのことでした」
レイナード様はそうか、と呟いてガックリ肩を落とした。以前、ティーハウスに来てくれた時、冬はやはり市場に出回る量がとても少ないらしい、と教えてくれた。今のグレイフォード兄妹にとっては、これが頼みの綱なのだから、落ち込むのも無理はない。
「二つ目。妹君の呪いを更に和らげられる可能性があります」
レイナード様は釣り上げられた魚のように口をパクパクとさせた。
「……本当か」
かすれた声に私は頷く。
「ただし、完全な解呪ではありません」
正しく伝えなければならない。ぬか喜びさせてはいけないから。
「でも、呪いの毒を大きく弱められるかもしれないそうです」
レイナード様は何も言わない。視線だけが私につづけるよう促している。
私は茶缶を開けた。赤褐色の茶葉はふわりと甘く華やかな香りが広げた。
「オーラクレストは、そのまま乾燥させてもあまり効果がないそうなんです」
「確かに、譲ってもらったものとは色が全く異なるな」
レイナード様は身を乗り出して茶缶をのぞき込んでいる。
「はい。特殊な発酵工程を経ることで、効果が全く別物になるそうです」
私も視線を茶缶へ落としたまま続ける。
「ただ、私はその工程でお茶を拵えたことがありません」
彼ははじかれたように上体を正し、私の顔を見つめた。
「珍しい手法なのか」
私は目を伏せながら、茶缶の蓋をそっと被せた。湿気も日差しも茶葉には大敵だからだ。
「そうですね、祖母によると南国に伝わるもののようですが、茶樹の葉とは全く異なる手順です」
「では、これはおばあさまが?」
私は即答した。
「はい。私なら失敗していたと思います」
レイナード様は片頬を上げて笑みをこぼした。
「ずいぶんと潔いんだな」
「あなたには誠実でありたいので」
私は内心で自分の言葉に驚いた。
——あなたには。
レイナード様はもう片方の頬も上げて微笑んだ。
ほんのわずかだけれど。
ティーハウスで見せる穏やかな表情に近く感じて、少しだけ安心する。
レイナード様は再び茶缶へ目を落として、静かに言う。
「礼を言わなければならないな」
私は首を振った。
「そうですね、祖母はわざわざ雪山に採りに行ってくれたようなのです。感謝しています」
レイナード様の指先が壊れ元を扱うように茶缶の縁に触れる。
「そうだな、ありがたいことだ。エレノアのために」
彼はゆっくりと顔を上げて、真っ直ぐ私を見た。
「魔女殿、あなたにも礼を言いたい」
視線を逸らせない。
「調べようと手紙を送ったのはあなただ」
静かな声だった。
「……それは」
「そして、わざわざ領都まで来てくれた」
そこで言葉が切れた。レイナード様は少しだけ困ったような顔をする。
初めてみる表情だった。
「普通は手紙を寄こす」
私は思わず目を瞬いた。やっぱりそうか。
いや、手紙より来る方が早いと思ったので、そう言おうとした時。
「だが、来てくれて助かった」
部屋が急にシンとして、暖炉の火だけが小さく音を立てていた。
私はうまく返事ができず、何かを誤魔化すように微笑んでみせた。
ただその一言だけで、半日の道のりも、騎士団本部の門の前で感じた不安も、全部報われたような気がした。
しばらくの沈黙のあと、レイナード様は改めて茶缶へ目を落とした。
「この発酵オーラクレストは、お茶として飲ませれば良いんだな」
「はい」
私は頷く。
「祖母の見立てですけど、かなり効果が期待できるそうです」
「副作用は?」
「少なくとも手紙には書かれていませんでした」
「そうか」
レイナード様は少し考え込む。
机の上に置かれた茶缶へ視線を向けたまま、何かを決めるように目を細めた。
「なら今日にも試したい」
低い声が響いて、私は思わず身を乗り出した。
「今日ですか?」
「ああ」
迷いのない返事だった。
「少しでも効果があるなら、一日でも早い方が良い」
その言葉に込められた切実さに、私はハッとした。
ここにきてから冷静な騎士団長の顔しか見ていなかったが、今目の前にあるのはティーハウスで妹君の話をする時の、兄の顔だった。
「ですが、妹君は体調がよろしいので?」
新しいものを試すときはそれなりに体力が必要なはずだ。ましてや副作用など全くわからない。
「ああ」
「それなら茶葉だけお渡しして、淹れ方を書いた紙を持ってきましたから、こちらを」
「いや」
言いかけた私の言葉を、レイナード様が静かに遮った。そして数秒ほど考える。何かを逡巡しているようだった。
やがて決心したように顔を上げる。
「魔女殿」
「はい」
「妹に会ってもらえないだろうか」
私は目を瞬いた。
「私が?」
「ああ、実は前からあなたのティーハウスに行ってみたいとこぼしていたのだ」
それに、と微笑みながら続けた。
「貴重な茶葉だ。実演して教えてもらいたい」
それは確かにその通りだ。私の拙い言葉で、どこまで正しく伝わるかわからない。貴重な茶葉を無駄にはしたくない。
「わかりました。伺います」
そう答えると、レイナード様はわずかに肩の力を抜いた。
「助かる」
その一言に、胸がくすぐったくなる。
「執務が終わり次第、馬車を出そう」
そう言うと、彼はようやく少しだけ表情を和らげた。
「妹も喜ぶと思う」
その顔を見ていると。
断るという選択肢は、最初からなかったような気がした。
「では、夕刻になったら迎えを寄越そう」
話が一段落したところで、レイナード様がそう言った。
「迎え?」
「屋敷までだ」
当然のような口調だった。
「騎士団本部まで来てもらえば良い」
「い、いえ! それくらい自分で……」
「初めて来た領都だろう」
即座に返されて、言葉に詰まった。
初めてではなかったが、ここさえ知らなかったのだ。
「迷われても困る」
ぐうの音も出ない。
「……分かりました」
渋々頷くと、レイナード様も小さく頷いた。
「夕刻までには戻る」
「はい」
私は立ち上がり、サッチェルを肩にかけた。
オーラクレストの茶缶はそのままテーブルの上だ。
レイナード様が責任を持って保管してくれると言うので預けている。
「それでは」
ぺこりと頭を下げる。
「また後ほど」
「ああ」
レイナード様は席を立った。
「気を付けて」
短い言葉だっが、なぜだか少し嬉しくなってしまう。
私は慌てて礼を返し、団長室を後にした。
騎士団本部を出ると、ひんやりとした空気が頬をなでた。
空を見上げればまだ陽は高い。夕刻まではかなり時間がある。
「渡しそびれちゃったな」
革の上から凝った形の茶缶に触れる。すっかり頭から抜けてしまっていた。また今度、機会を見てお渡ししよう。
「さて」
私は鞄の肩紐を握った。せっかく領都まで来たのだ。ぼんやり待っているなんてもったいない。
頭の中には既にいくつもの店の名前が浮かんでいた。
領都には大規模な薬草市場がある。昔、祖母に連れられて行ったことがある。
南方の珍しいハーブや輸入茶葉も扱っていて、色鮮やかな市場だった記憶があったが、今はどうだろうか。
「行くしかないわよね」
気分が少し軽くなる。
私は人通りの多い大通りへ向かって歩き出した。
薬草市場は中央広場からさらに東へ進んだ先にあった。
近づくにつれ、空気そのものが変わってくる。
乾燥させた薬草の温もりのある薫香、ソルフルーレの酸味のある芳香、スパイスの刺激的な香気。
様々な匂いが混ざり合い、鼻をくすぐった。
「わあ……」
思わず声が漏れる。
市場の通りには所狭しと露店が並んでいた。
束ねられた薬草、 色鮮やかな花びら、乾燥果実に見たこともない樹皮や種。
どこを見ても宝の山だ。気づけば足取りが速くなっていた。
まず目に飛び込んできたのはソルフルーレ専門の店だった。
籠の中には黄金色の果実が山積みになっている。
「これは……オレイカ?」
南方産の高級果実で、スプリングベイルでは一個でも銀貨が飛ぶ。
だがここではなんと箱単位で積まれている。
「お嬢さん、見る目があるね」
店主の男性が笑った。
「今年は豊作だったんだ」
一つ手に取ると爽やかな香りが広がった。
紅茶に合わせたら絶対に美味しい。脳内で瞬時にブレンド案が組み上がる。
エルダリッジティー、ドライピピン、オレイカの果皮。
アイスティーにすると良いかもしれない。爽やかでフルーティー。子供も飲みやすいから、酒場のマスターに卸すのも良いかもしれない。
ふと、メモがよぎる。
『さわやかなのどごしを好む。華やかな香り、甘すぎる味は少し苦手。ホット。』
ホットでも美味しそうだ。でも、そこにほんの少し二スぺを加えるともっと好みになりそう。いや、どうだろう。あのスパイスはちょっと独特な甘い香りがある。でも、その奥にわずかに辛みがあって引き締まるのだ。
いやしかし、辛みで言うならスルカも良いかもしれない。少し入れるだけで体ぽかぽかになる。
「……良い」
ぽつりと漏れる。
店主が笑った。
「買っていくかい?」
「もちろんです」
気づけば両手に紙袋が増えていた。
乾燥果実や果皮、香辛料、珍しいハーブ、試作用の茶葉、そして南方産の色鮮やかな花びら。
「……ちょっと買いすぎたかしら」
そう呟きながらも顔は緩んでしまっている。
新しい素材を見ると妄想が止まらない。
これはもう職業病だった。
ふらふらと歩いているうちに、通りの向こうに一軒の店が見えた。
深い緑色の看板。
磨き上げられた大きな窓。
入口には金文字でこう書かれている。
『王都御用達 グランセル・ティーサロン』
「王都御用達……」
最高の言葉だ。
気づけば、私は店の扉を押していた。
澄んだドアベルの音が鳴る。
「いらっしゃいませ」
すぐに身なりの整った給仕が現れた。
磨き上げられた床には柔らかな絨毯が敷かれ、大きな窓から日差しが差し込んでいる。
店内には静かで上品な空気が流れていた。
「お一人でしょうか」
「はい」
「こちらへどうぞ」
案内された窓際の席に腰掛ける。椅子の座り心地も良い。
心の中でうなりながら、給仕がメニューを受け取った。
メニューはさらりと流し見ただけで閉じる。
「おすすめはございますか?」
尋ねると給仕は微笑んだ。
「本日でしたら、当店自慢のグランセルブレンドがおすすめです」
「それをお願いします」
「かしこまりました」
目礼をして給仕は去っていった。
私は早速店内を観察し始めた。
昼時だというのに、客席はほとんど埋まっていた。それにもかかわらず、不思議と窮屈さを感じない。
そして、給仕がそこかしこにいるにもかかわらず、視界を横切る回数が少ない。
なるほど。
しばらくして運ばれてきたティーポットからは、豊かな香りが立ち上った。
一口飲んでみると、確かに美味しい。さすが王都御用達を名乗るだけはある。香りも良く、雑味も少ない。
けれど抽出時間が不十分に感じられた。あと三十秒ほどだろうか、抽出を少しだけ長くしたらもっと香りが立つ。
ではなぜ、この店はこんなに繁盛しているのだろうか。
紅茶だけではなく、空間ごと提供しているのだ。
私はカップを持ち上げた。そこかしこで会話が続いている。にぎやかなのに、会話の内容はなんとなく聞き取れないからうるさくない。まるで穏やかな旋律のように空気に溶け込んでいた。
勉強になる。
ティーポットが空になったころ、ちょうど太陽も傾きだしていた。
そろそろ詰め所へ戻ろう。
馬車が一台、すでに誰かを待っていた。
馭者がこちらに気づいたようで、歩み寄ってくる。
この髪色も、たまには役に立つものだ。
「『イザベルの忘却ティーハウス』店主様でお間違いありませんか」
一瞬、茫然としてしまった。
しかし、確かにレイナード様に名乗ったことがない。向こうは英雄だから巷に名が知れているけれど、私は名乗らなければ名が知られることはない。
後で名乗れば良い話だと分かっていたが、なんだか距離を感じてしまって寂しくなった。
「そうです。『イザベルの忘却ティーハウス』店主のイザベル・ウェルズです」
馭者は丁寧に一礼する。
「ウェルズ様、馬車の準備が整っております」
そして少しだけ困ったような笑みを浮かべた。
「お荷物をお預かりいたします」
視線が自然と私の両手に向く。
右手首に茶葉の入った紙袋を二つ下げ、両手で今にも中身があふれそうな紙包みを抱えていた。
このなりで先ほどのティーサロンに入ったのかと思うと我がことながら身がすくむ。
そして今、猛烈に恥ずかしい。
馭者は何も言わずさっとに荷物を預かってくれた。
「ありがとうございます」
「いえ、とんでもない」
サッチェルを抱えて馬車に乗り込もうと、ステップに足をかけた。
馭者の手がすっと差し出される。
「足元が悪いですから」
「あ、ありがとうございます」
少し戸惑ったが、その手を借りて乗り込んだ。
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