手紙
その日の夜。
すべての片付けを終え、静まり返ったティーハウスのカウンターで、私は愛用の万年筆を握り、白樹紙の便箋に向かっていた。
宛先は、故郷にいる、薬草の魔女の祖母。
『おばあちゃん、お元気ですか。
アシュトン領を出てからもう半年が経ちました。今は水の美しいスプリングベイルという街のど真ん中で、小さなお店を開いて、なんとか上手くやっています。
今日は、おばあちゃんにどうしても聞きたいことがあってペンを執りました。
昔、一緒に山へ摘みに行ったオーラクレストのことです。あのお茶に、呪いを解くような解呪の効能、あるいはそれに類するものはあったでしょうか。
実は、どうしてもそれを必要としている人がいるのです。もし、おばあちゃんの手元に、少しでも譲っても良いと思える量があれば、分けてはもらえないでしょうか――』
さらさらと筆先を走らせながら、ふと自嘲気味な笑いが漏れた。
半年前、あの街から二人に何も言わず、まるで逃げるように出てきたのだ。それなのに、半年もの間、一度も便りを出さなかったくせに、自分の都合でお願い事がある時だけ、こんな風に手紙を書くなんて。
「私って、本当にダメな人間ね」
ポツリと呟いた言葉は、誰もいない店内に寂しく消えた。
けれど、胸の奥は不思議と温かかった。
こんな風にズルくてせこくて必死な自分を感じられることが、まだ自分が人間らしさをちゃんと保てている証拠のようで、なんだか無性に嬉しかったのだ。
私は手紙を丁寧に折り畳み、明日の朝一番に郵便馬車へ預けることを決めると、光石灯の灯りを消した。ランプを持って二階へ上がる。窓の外には美しい星々が瞬いていた。
オープン当初の喧騒が嘘のような静けさが戻ってきたのは、スプリングベイルの街に本格的な冬の足音が聞こえ始めた頃だった。
あれほど賑やかだった芝生の絨毯も、冷たい霜に覆われ、白いガーデンチェアには誰も座らなくなった。街のど真ん中という最高の立地にあるものの、やはりできたばかりの店。常連のご婦人たちも、寒くなるとお茶を飲みに、わざわざ足を向けるより、自宅にこもる方が良くなってしまったのだろう。
ガランとした店内で、磨き上げたカウンターを拭きながら、私は小さく息を吐いた。
「……そろそろ、少しだけ紅茶の魔女の本領発揮かしら」
私の魔法は日常のほんの小さなお手伝いだ。だから簡単に埋もれてしまう。
でも私は、自分の魔法を生業としたい。祖母や母のように。
実はここ数年、私の保温や抽出の魔法は少しずつ変化していた。茶葉の成分を限界を超えて引き出すことで、飲む人のささくれや小さな切り傷をたちまち癒やし、最近では冬の寒さで凝り固まった肩こりまで、血の巡りを良くして解消できるようになっていたのだ。
冷え込みが一段と厳しくなった翌週、私は新しいメニューを掲げた。
『冬の陽だまり・エルダリッジ・ティーブレンド——肩こり解消にいかがでしょうか——』
ガタゴトと、街の中央で行き交う馬車の音を背に、寒さに身を縮こまらせた常連のデヴィッドさんが、久しぶりにドアベルを鳴らした。
「冷えるなぁ、イザベルちゃん。最近どうも肩がガチガチに凝って、腰まで重くてかなわんよ」
「お帰りなさい、デヴィットさん。今、とっておきの温まるお茶を淹れますね」
私は後ろの棚から、北のエルダリッジ山脈で採れた上質なエルダリッジティーの茶葉と、寒冷な山肌にひっそりと自生するファルピルスの乾燥させた黄金色の繊維を一つまみ取り出した。
コンロの青い炎の上で、鈍い金色のケトルが湯気を上げる。
カランコロン、とベルが鳴る。入ってきたお客様に声をかけながら、手は止めない。
温めた陶器のティーポットに茶葉を躍らせ、お湯を注ぐ。その瞬間、私の指先から淡い湯気のような魔力を、そっとティーポットの底へと滑り込ませた。美味しくなれ、そして、彼の強張った身体を優しく解きほぐして。
丁寧に温めたカップに注がれたそのお茶は、目にするだけで心まで温まるような、深く艶やかな赤銅色をしていた。
「どうぞ、熱いうちに召し上がれ」
エルダリッジティー特有の、まるで焼きたての焼き菓子のような香ばしく濃厚な香りが立ち上る。そこに、ファルピルスが持つほんのり甘い香りとエキゾチックでスパイシーな香りが重なり、鼻腔からじんわりと脳を温めていく。
「ほう、これは良い香りだ……」
ふうふうと息を吹きかけ、デヴィットさんがお茶を一口、口に含んだ。
口当たりはビロードのように重厚で、エルダリッジティーの豊かな渋みが心地よく広がる。けれど、喉を通り過ぎた瞬間、ファルピルスの効果と私の魔法が弾けルはずだ。
ピリッとした小気味よい刺激のあと、お腹の底からカッと熱が生まれ、それが波紋のように全身の血管へと広がっていく。
「……おや?」
デヴィットさんが、不思議そうに自分の首や肩を回した。
「なんだか、お茶が喉を通った瞬間から、鉄板が入っていたみたいに重かった肩が、嘘みたいに軽いぞ。指先の冷えまで消えていくようだ」
「ふふ、冷えは万病の元ですからね」
私のおまじないが、お茶の成分と混ざり合い、彼の身体の強張りを内側から優しく溶かしたのだ。
カウンターの隣でそれを見ていた先ほど入ってきたお客様も、私にもそれを! と目を輝かせた。
その日を境に、街の真ん中にあるティーハウスの冬のお茶を飲むと、寒さで凝り固まった身体が魔法みたいに軽くなる、という噂が中央広場を行き交う人々の間で瞬く間に広がっていった。
街の中心という通いやすさも手伝って、仕事帰りの商人や、代官所の用事のついでに立ち寄る人々が肩こりを口実にして、冷え切った身体を丸めるようにして次々とドアベルを鳴らすようになった。
「イザベルちゃん、今日もあの肩こりに効くお茶を!」
「はい、喜んで。すぐにとびきり熱いのを淹れますね」
湯気で白く曇ったガラス窓の向こう、街のど真ん中に佇むティーハウスは、今や行き交う人々の身体と心を芯から温める、小さな冬の陽だまりのような場所として、再び心地よい賑わいを取り戻したのだった。
レイナード様も仕事の合間にスプリングベイルへ来るたびにティーハウスへ寄ってくれていた。
騎士たるもの、肩こりからは逃れられないらしい。
ほかにお客様のいない日などは、妹君の様子を話してくれることもあった。新しいブレンドのアドバイスをもらったり、好みの味を教えてもらったり、レイナード様も中々のお茶好きのようであった。
おかげさまで、常連さんお好みメモ、と題した帳面の中でレイナード様の情報が最も多くなっていた。
『レイナード様 さわやかなのどごしを好む。華やかな香り、甘すぎる味は少し苦手。ホット。肩こり。オーラクレスト冬の流通量はやはり少。妹気味は最近元気、お名前はエレノア様。タウンハウスでお二人。フルーティーが好き?』
仕事の忙しさが一段落し、ようやく、昼過ぎに届いていた祖母からの小包を開けることができた。
包みを開くと、茶缶が入っている。蓋をカポッと開けると、部屋の中にふわりと、どこか懐かしい山の土の香りが漂う。それに混ざって、果実のように甘く、少し気品のある不思議な香りが広がった。
中に入っていたのは、私が求めていたオーラクレスト。だけど、記憶にあるあの緑色の葉ではない。細かく刻まれ、完全に乾燥したそれは、深い赤褐色へと姿を変えていた。
手紙も一通、入っていた。
祖母ならきっと元気に暮らしているだろうとは思っていたけれど、なかなか返事が来なくて、実は少し不安だったのだ。こうして手元に届いた見慣れた文字を見ると、胸の奥がじんわりと温かくなる。やっぱり、すごく嬉しかった。祖母もこんな気持ちだっただろうか。もっと早く手紙を出していればよかった。
手紙を広げると、少し不器用ながらも力強い、祖母の筆跡が躍っていた。
『元気でやっているかい?
まずは、返事がすっかり遅くなってしまったことを謝らなきゃね。と言っても、お前だって理由は分かっているんだろう?
黙ってアシュトンを飛び出していったくせに、自分に頼み事がある時だけこうして手紙を寄こすなんて、いくらなんでも都合が良すぎるんじゃないかってね、おばあちゃんは少し怒っていたんだよ。へそを曲げていたせいで、筆を取るのがすっかり遅くなってしまった。
でもね、そんなこと、お前だって百も承知で手紙を書いてきたんだよね。
叱られるのを分かっていて、それでも頭を下げて連絡をしてきたということは、それだけお前にとって放っておけない、大事が起きたんだろう。
だから、へそ曲がりはここまでにして、頼まれていたオーラクレストを送ることにするよ。
本当はもっとたくさん送ってやりたかったのだけど、ペンブライシュ山はもうすっかり雪深くなってしまってね。これ以上奥へ入るのは命がけだ。今年の冬はもう、これ以上のハーブを送ってやることはできないから、手元にある分を大切に使うんだよ。
さて、お前が気にしていたこのハーブの効能についてだ。
包みを開けて驚いたかい? 葉が真っ赤に乾いているだろう。
これはね、ただ摘んでそのまま乾燥させただけだと、気持ちを少し安らげるくらいの、気休め程度の効能しか引き出せないんだよ。
だが、ある特殊な工程を踏むことで、秘められた力が劇的に引き出される。
南方の国々に伝わるハーブを発酵させる工程さ。
まず生葉を細かく刻んでしっかり揉み込み、葉の細胞を傷つける。それをひとまとめに積み上げて、適度な水分と熱で数日間じっくり発酵させるんだ。緑色だった葉が、深い赤褐色に変わり、独特の甘い香りが立ち上ってきたところで、お日様の光に当ててカラカラになるまで一気に乾燥させる。ここはお前の魔法で短縮できるね。
お前のようなせっかちにやらせたら、発酵させすぎて腐らせるのがオチだからね。だから、私がこっちで全部仕込んでおいてやったよ。返事が遅くなったのは、このオーラクレストを発酵させるのに時間がかかったせいもあるんだからね。
この発酵を経たオーラクレストは、ただの気休めから、強力な解呪の補助薬へと変化している。
さすがに完全に呪いを解くことまではいかなくとも、深く根付いた呪いの毒を、劇的に和らげることができるはずだ。煮出して飲ませておやり。
誰のために使うつもりかは聞かないけれど、どうか無理だけはしないでおくれ。
お前の無事を、いつも祈っているよ』
手紙を読み終え、私は小包の中の茶缶をそっと見つめた。
見透かされていた。怒らせてしまった申し訳なさと、お前には無理だから、なんて言いながら、私のために何日も手間暇をかけて薬を仕上げてくれた祖母の不器用な優しさに視界がじんわりと涙で滲む。
祖母が命がけで採り、その手で仕上げてくれた、大切な赤色のお茶。これなら、きっとあの人の苦しみを救える。
私は手紙を大切に机の引き出しに仕舞うと、祖母への深い感謝を胸に、机の隣に置いた小さな金庫から真鍮の留め環で綴じられた革表紙の交換式帳面と、左端に穴の空いた白樹紙を取り出した。
万年筆でサラサラとオーラクレストの加工手順を書き留める。煙のようなスモーキーな香りが漂う。
帳面の真鍮の留め環を外し、新しい白樹紙を綴じる。
この交換式帳面には加工手順やそれぞれにかける時間、コツなどを記している。他にも、茶葉のサンプル記録だけで七十ページある。
もう一冊の帳面も取り出す。これも交換式だがこれはもっと古い。初めて師匠から貰った帳面だ。
こちらにはブレンドレシピがたくさん書いてある。この店で出しているものだけでない。実際作ってみたら想像と違って没にしたもの、美味しいと思ったのにお客様には受けなかったもの、そして最後のページには湖畔のしじま。
もう一度作って飲んでみたら、なんだか爽やかで切ない味がして驚いた。ああ、これをインスピレーションの元であるレイナード様に飲ませてしまったのだ、そう思うと意識が遠くなりそうだった。
そして、他の誰にも飲ませたくはないと思った。だから店のメニュー表には載せていない。
レシピの書かれた白樹紙を優しくなでる。師匠にこのハーブティーをカートリッジに入れて、と無邪気に頼めたらよかったのに。
「そしたら、そのインクで彼に発酵オーラクレストの淹れ方を書いて渡したのにな」
気がついたら声に出ていた。
ハッとして周りを見渡す。
ここは二階の自室だ。当然、私以外誰もいない。
頭を左右に勢いよく振る。
邪念は振り払って、レイナード様にどうやってこのことを伝えるか、考え始めた。
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