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第5話 約束の地で

 南国ムードたっぷりの地に降り立ったのは、実に三年ぶりのことだ。大学一年生だった雪乃が学生生活に慣れ始めた頃に再会を果たした。まだ学生と社会人とで時間の使い方がまるで違っただけでなく、時差もあり、オンラインや電話のやり取りは二人の努力があったからこそ成り立っていたといえる。

 その甲斐もあり自覚はなくとも、今では時間の使い方も上級者だ。経営者の匠と変わらずにコストパフォーマンスが最大値とも言えるだろう。


 頬を撫でる乾いた風が心地よく、雪乃の頬も自然と綻ぶ。都内での形式的な結婚披露とは違い、身内だけの式だ。春翔が杏奈の要望を叶えたように、雪乃の要望を聞き出した匠の手腕により決行されたものであった。


 時差ボケをしてる暇もなく、某有名ホテルのチャペルで誓う姿は、誰が見てもお似合いのカップルだ。ウエディングドレスに身を包んだ雪乃は、されるがままに身を任せていた。あっという間に化粧を施され、あらかじめ用意されたドレスに着替えさせられ、着せ替え人形と化したのは数分前の出来事だ。


 新婚旅行ではあるが、改めて式を挙げるとは微塵も思っていなかった為、瞬かせながらも周囲の温かな眼差しから彼を見つめれば、悪戯が成功したかのようなしたり顔だ。雪乃に反論ができるはずもなく祝福を受ける。フラワーシャワーに自然と綻び、親しい友人の心からの祝福が胸を温かくしていた。

 大々的な披露宴でも祝われてはいたが、少なくとも会社関係者がメインだった為、あくまで形式的なものが多かった。久しぶりの他所行きの顔に幼馴染が揃って微笑んだのは言うまでもない。今の自然体の笑顔に、親しい友人でなければ虜になっていただろうと、簡単に想像がつく。


 「素敵ね……」 

 「ああー……愛理も、ここで挙げたいのか?」

 「うん、それもあるけど……親しい友人だけっていうのがいいじゃない?」


 上目遣いで告げられ、あざとさを感じながらも愛おしい婚約者には敵いそうにない。参列者は婚約者に弱い男性陣ばかりであった。


 花が綻ぶ表情に、自然と頬が緩む。自身が選んだドレスを着ているからでも、海外だからという理由でもない。ただ自然に綻んだ表情が美しく、いつまででも愛でていられそうだ。


 「…………雪乃……綺麗だな……」


 あまりに自然な台詞に、頬が急激に染まる。社交辞令に慣れている彼女であっても、これが本音であると分かる。そう彼の眼差しが物語っていた。


 「…………匠さん…………ありがとう……」


 その笑みが何よりの報酬だろう。アイスブルーの瞳が輝く宝石のようだ。


 「……相変わらずだな…………」

 

 目元にそっと触れた唇に瞬かせれば、潤んだはずの瞳の目まぐるしい変化だ。


 『あぁー……雪乃も、ああいう感じに憧れる?』

 『うん……杏奈さん、とても綺麗で……それに、二人ともとても幸せそうで……』


 些細なやり取りを覚えているとは思っていなかったのだろう。さすがの記憶力だが、それは相手が雪乃だったからに他ならない。人気もある場所の為、一体何年前から計画していたのかと、彼の凄さを再認識させられるばかりだ。


 「…………匠さん…………私……」


 言葉に詰まるが、視線だけはまっすぐに向かう。また潤みそうな瞳は愛らしく、頬に唇が寄せられたかと思えば、シャッター音が響く。


 「あっ、お構いなくーー♡」

 「また日本でなー」 「またなー」


 真っ赤に染まった顔を隠すように匠の腕を取る。ベストショットにホクホク顔の幼馴染を咎めるよりも、目の前にいる彼にジト目を向けた。


 「…………雪乃、言っとくけど他意はないよ?」

 「分かってます……」


 分かってはいても反論でもしないと、恥ずかしくて仕方がないのだろう。視線を逸らしても染まった頬は健在で、怒っていないと丸分かりだ。

 そっと指先が頬に触れれば、抗う事なく視線が交わる。図らずも向き合うような体制に、またカメラが向けられていた。愛らしい姿を残したいと思うのは、匠だけではないのだ。

 様々な表情を見せるようになった彼女が特に輝いて映るのは、いつだって匠がいる時であった。たとえ側にいない時でも、彼のことを想う横顔は美しく、見惚れる同級生が続出であったが、それを知るのは側にいた幼馴染の特権であった。


 「…………愛理ちゃんは本当に雪乃がすきだな」

 「はい!」


 あまりの即答ぶりに幼馴染の呆れ顔が並ぶ。こっそりと振り返れば、抱き合う姿にまた綻んでいた。


 参列した面子が揃ってお茶をする頃、雪乃は手を引かれてホテルの最上階に戻っていたがドレス姿のままだ。てっきりメイクを整えた一室に戻ると思っていた為、疑問符ばかりが浮かぶが長考する余裕はない。扉が閉まるなり抱きしめられ、それどころではないからだ。


 速すぎる心音に、微笑ましい眼差しが向かう。


 「ーーーーっ……んっ?!」


 漏れ出る吐息に煽られるように強く抱き寄せられ、声にならない。ただ息をするタイミングを見失ったかと思えば、ふわりと浮いた感覚があった。


 「た、匠さん?!」

 「んーー?」


 思わず声を上げても効果はなく、極上の笑みと唇で塞がれ抵抗のしようもない。性急な口づけとは対照的に、ゆっくりと真新しいシーツの上に下ろされた。

 ドレスの皺を気にする隙もないほどに愛されたのは、言うまでもない。


 無理させた自覚はあるが、離れてた期間を思えばまだ足りないのだろう。日本でも反省したはずだが、まったくと言っていい程に生かされていなかった。


 白い肌に残る痕に思わず溜め息が出そうだ。大まかなハネムーンの予定を崩すことのないように入れ込んだ式だが、初日からこれでは先が思いやられるだろう。

 ただ隣で眠る愛おしい存在を抱き寄せずにはいられず、思わず手が伸びていた。


 「…………すきだよ…………」


 微睡のなか甘い囁きを感じ、綻んだように映る。ゆっくりと瞼が開けば、アイスブルーの瞳と交わる。


 「……匠さん…………幸せです……」

 「あぁー……俺も……」


 寝ぼけていたのだろう。安心しきったように身体を預ける嫁に、溜め息を呑み込み抱きしめていた。


 ハネムーンで日本人にとってハワイは鉄板だが、気候と買い物等の利便性がいい為、雪乃も何度も訪れた事のある地だ。ただ三年前のひと時とは違い、帰国してからも一緒に過ごせる事実に綻ぶ。

 結婚した事によって今までは免除されていた社交が必要な場面も増えるだろう。ただ、それは些細なことだ。遠距離を過ごした数年と比べれば苦手なものではない。


 ーーーー幸せを凝縮したような時間だった…………隣に匠さんがいて……幸せで…………


 温もりで目覚めれば、間近に整った顔があった。幸せな夢を見ていたのだろう。自然と綻べば、ぎゅっと抱き寄せられていた。


 「ーーーーっ、匠さん……起きてたの?」

 「いや……今、起きた…………」


 可愛らしい腹時計と共に、微かな笑みが漏れる。


 「……俺のせいだな」

 「うっ……」

 「昼飯食べ損ねたからな……少し早いけど、夕飯にしようか……」

 「……いいの?」


 こんな時でも気づかいを忘れない嫁は感嘆に値するだろう。自身のことよりも彼を優先させる節さえあるが、点在した衣類が気になる様子が見てとれる。細やかな刺繍の入ったドレスは見ただけで高価だと分かるからこそ、土足禁止ではない床に無造作に置かれていれば気にならないはずがない。

 ただ下げていた視線は彼に阻まれていた。着替えようとしたにも関わらず、不意に抱きしめられ声にならない声を上げる。

 染まった頬は相変わらず愛おしく、片時も離れたくないような反応だ。ただそれは彼だけではない。雪乃も空腹はあれど時間の許す限りは触れ合っていたいというのが本音だろう。拒むどころか、そっと背中に腕を伸ばす程であった。


 珍しく小さな音が鳴り、雪乃が見上げれば視線が逸らされる。さすがの彼もお腹が空いたようだ。

 微笑ましいやり取りが終わると、ホテル内のレストランに向かった。高級店だが平日でも並ぶほどに人気にも関わらず、全く人がいない。それもそのはず、冬時によって入出制限がかけられていたからだ。


 ディナータイムはすでに始まっており生演奏が聴こえてくるが、二人の為だけの演出であった。窓際の席に並んで腰掛け海を眺めながらの夕食に、入店した時は緊張感があった雪乃も彼の隣で微笑んでいた。


 楽しく会話しながらの食事を終えれば、広々とした部屋は整えられていた。改めてハネムーン仕様になったベットメイクに顔を見合わせれば、頬が熱くなるのを感じたのだろう。徐に視線を逸らし後悔するも、時すでに遅し。甘い時間を過ごす事になったのは言うまでもない。


 最上階の窓からの眺めが、三年前に見た景色とは違うように映る。学生でなくなり一日の大半を執筆に充てられるようになったとはいえ、その執筆スピードに変わりはない。ストックが増えていく一方で、書籍化のペースは今まで通りだ。元々、執筆が早いからこそ環境の変化くらいでは変わらないのだろう。ただ英文で書いた書籍だけは違った。世界的にもベストセラー作家になったからこそ、本人に自覚はなくとも周囲の反応で嫌でも分かるようになった。フィクションの中に散りばめられた事実も、夢物語も、誰かの共感を得られるものは、体験がほとんどであったと。少し特殊な家庭環境で育った自覚があるからこそ、一般的な常識には気をつけていたし、世間知らずにならないように努めてもいた。


 人の気配がして振り返れば、彼が起きたところだ。基本的に朝方の雪乃だが、昨夜は遅くまで起きていたこともあり時計に視線を向ければ、七時を過ぎたところであった。


 「……匠さん、おはよう……」

 「おはよう、雪乃……」


 当たり前のように交わした言葉が特別なように感じる。甘い声色で手招きされ、ベッドに引き戻されたかと思えば、ぎゅっと抱き寄せられていた。


 「……冷えてる」

 「そう? 匠さんは温かいね……」


 上目遣いでゴリゴリと理性が削られそうになりながらも、ルームサービスをとって並んで朝食をとれば、幸せそうな横顔に揃って微笑んでいた。

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