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最終話 月が綺麗ですね

 新婚旅行で一週間ほど休暇をとったが、あっという間だ。ヨーロッパの街並みに惹かれつつもこの地を選んだのは、身内だけの結婚式を決行する為であったが、それだけが理由ではない。幼い頃から海外旅行に慣れているからこそ、お互いに行った事のない国は治安の悪さから断念せざるを得なかったからだ。初めての地に揃って訪れるというのも候補になかった訳ではない。ただ新婚旅行には不向きだった為、ど定番の地に滞在する結果になった。


 「美味しいーー♡」 「美味しい……」


 目の前に並ぶシュリンプカクテルや熱々のステーキに思わず声が出る。この四日で貸切りが定番になりつつあるが、今日は二人きりではなく幼馴染も参加していた。春翔と杏奈が一足先に帰国した為、勉強会兼任の旅行が想い出される面子だ。それぞれのパートナーを交えての、ある意味では社交の場ともいえるが、緊張感はただ一人を除いては皆無であった。


 「茉莉奈ちゃん、来てくれてありがとう」

 「いえ、雪乃さん……とても綺麗でした!!」


 初々しい反応に清隆の甘い視線にも周囲は慣れたものだ。ただ彼女自身には慣れた気配がなく、可愛らしい後輩のままであった。


 「茉莉奈ちゃんも大学生かーー」

 「響きがいいよな」

 「女子大生って? 風磨、おじさんくさい」

 「おい!」


 テンポの良い風磨と愛理のやり取りも健在だ。先に帰国する幼馴染との場を設けたのは匠だが、変わらない関係性に笑みが溢れる。彼自身も春翔とは変わらない関係性が続いているが、学生の頃とは違う関係性になってしまったものもあると知っているからこそ、このまま続くことを願っていた。


 親しい間柄であると、誰が見ても一目瞭然だろう。レストラン仕様に着飾った服は愛理が指定したものだ。その為、二人だけでなく、茉莉奈ともデザイン違いのシリーズものであると分かる。ただパートナーが必ずしも流行に敏感な訳ではない為、風磨は『同じような服を着てるんだなーー』としか思っていなかった。声に出せば、愛理からの冷たい視線が刺さったのはいうまでもない。


 楽しいひと時を満喫した一行がそれぞれの宿泊先に帰っていく中、雪乃も心地よい夜風にあたりながら並んで歩いていた。

 帰国してからも並んで歩く場面は数えるほどしかない。彼の多忙さは知っていたし、雪乃から催促した覚えはないが、自然と差し伸べられた手に鼓動が速まる。

 思っていたよりも寂しさが募っていたのだと、今更ながらに感じていた。


 挙式をするにあたってのスケジュール調整は随分と前から行われていたが、それでも急な会食や打ち合わせが入ることは日常的にあった。だからこそ二人きりの時間は家でまったりと過ごすことが多かったが、基本的にインドアな雪乃に外でデートするという思考がなかったからともいえる。


 「……気をつけてね」

 「ああー」 「うん♡」 「またな」 「はい!」


 それぞれの反応の良さに綻ベば、花が咲き誇ったかのように美しい。思わず振り返る人がいるほどだが、間に割って入ったような彼に微笑んだのは、幼馴染の方であった。


 三年という月日は物理的に距離が遠くとも、二人の距離を縮めていた。それは側で過ごしてきた幼馴染には分かるほどに表情に出ていた。嬉しそうな横顔に卒業の際の彼だけが惹かれた訳ではないと、匠自身も分かっていたからこそ乗り込んだともいえる。ただそこまでの策略があったとは、彼女自身は思いもしなかっただろう。サプライズ好きの彼が用意してくれたと、そんな単純なことしか思い浮かんでいなかったはずだ。


 雪乃も見送ったことで、彼も同じような気持ちで送り出していたのかと考えさせられていた。帰国したからといって今までのようにすぐに会えず、学生生活がどれだけ貴重な時間であったか身に染みる。

 それぞれ家督を継ぐために一般職から経験しているため優遇はない。新社会人の一人としてだが、風磨も結婚を控えているし、清隆にも婚約者がいる。一般的な新卒とは違うかもしれないが、二人の環境下に変わりはない。ご子息と見られる、見られないの違いはあるにせよエリート大卒というだけで声をかけられることは多く、一定の煩わしさはあるが、それも織り込み済みだと解釈していた。他人のあしらい方が上手くなければ話にならない年長者を、これから先は相手にすることになるからだ。


 寂しげな横顔になっていたのだろう。そっと肩を寄せられて気づく。


 「……匠さん、ありがとう……」

 「…………雪乃は勘がいいな」

 「甘やかしすぎだよ?」

 「まだ足りないけどな」


 当たり前のように手を繋いで歩く。夕飯を共にした事も、空港での見送りも、ここでの結婚式も、すべてが彼女のためであったと、いくら雪乃が疎くとも気づくというものだ。自身の為に長期休暇をとってくれたのだから。


 「あぁー、次はこれで」

 「うん……」


 嬉々として渡されたのは、ラックに掛かっていたワンピースの一つだ。ホテルに戻る足でショッピングする事になったまでは良かったが、気づけば雪乃の一人ファッションショーの開幕であった。


 「あの……」

 「うーーん、これもいいな……」

 「あの……匠さん……」

 「んーー?」


 ドレスを吟味した日が記憶に新しいが、更新しそうな勢いでラックにかけられていく。ハイブランドなだけあり更衣室は個室で貸切りだからこそ、スマホで撮り放題だ。仮に貸切りでなかったとしても、彼女の反応を他人ほかに見せるような真似はしなかっただろう。


 「……匠さんはどの色がすき?」

 「水色かな……」

 「水色……そういえば、ネクタイはブルー系が多いよね」

 「あぁー」


 まっすぐに見つめられても気づきもせず、一瞬で彼の腕の中だ。戸惑いながらも同じような速度を感じ、そっと身を委ねる愛らしさに、頭上から溜め息が漏れそうだ。


 「…………匠さん?」

 「無自覚か……」

 「えっ……」


 次の瞬間に声は飲み込まれていった。


 微かに染まった頬のまま店を出れば、不躾な視線で見惚れていると分かる。ただ当たり前のように手を繋いでいるため、気づいて視線を逸らす者がほとんどだ。


 「次は匠さんのものを選ぶからね?」

 「ん? あぁー……」


 乗り気でない彼もその愛らしさには敵わず、購入することになったのは言うまでもない。


 ホテルに戻ってからも甘い時間を過ごすことになったが、帰国してからも多忙な彼との時間を作るのは至難の業であったのだから致し方ないだろう。

 ただ何度もベッドに引き戻され、体力の限界を迎えた頃には真夜中になっていた。また腹時計が鳴りそうな勢いだが、珍しく雪乃が先に目を覚ましていた。


 客観的に考えても拒む選択肢は元からない。そばにいられるだけで十分すぎる幸せを感じていたからだ。

 三年という月日は、すぐに駆けつけられないもどかしさがあった。想いが通じる前の幼い頃は、少しも想像すらできなかった想いが。


 ーーーーーーーー有名な一節に擬えて誤魔化した本音に、気づかれなくてもよかった。

 ただ想いが変わらなければ、また会うことが叶うなら、その時は……


 曖昧な輪郭のまま伝えたずるさの自覚はあった。ただ本音を伝える覚悟は少しもなかった。再会してからも歳の差だけでなく学生と社会人との違いがあり、その差を大きく感じた。少しでも早く大人になれるようにと一人暮らしをはじめてからも、結局は親の勧めたマンションでの生活となり、家政婦の派遣もあった。自立しても守られているのは明らかであった。


 左手の薬指から見上げた満月に思わず溢れる。


 「……………月が……綺麗ですね……」

 「あぁー……」


 背後から聞こえた声に思わず振り返る。寝ていたはずの彼がゆるい格好のまま近づいていた。


 「……俺にとって……月は…ずっと綺麗だったよ」


 恥ずかし気もなく告げられ、瞬かせる。自然と溢れた言葉にその意図があった訳ではない。ただ意味を分かっていながら返されれば、思わず頬が染まるというものだ。


 「……匠さん…………」

 「俺は……そこまで詳しくないから、調べたよ」

 「そうなの?」

 「あぁー……雪乃を知りたかったから……」


 バルコニーに出て、夜空に浮かんだ満月を眺める。水面を照らし、暗い海を輝かせるようだ。


 「…………匠……ありがとう……」


 瞬かせて視線を下げれば、真っ赤に染まった頬で丸わかりだ。彼に対しての呼び捨ては、なかなかハードルが高かったようだ。愛おしい存在には敵いそうにない。


 「雪乃……すきだよ……」


 そっと触れてくる指先に抗うことはできず、瞼を閉じれば波の音が遠くで響いて聞こえる。

 淡い光に想いが巡る。一條雪乃になったのだと。




 カタカタとキーボードに触れる指先がスムーズに動いていく。真剣な横顔を無言で見つめる匠にとって眼福であるが、いくら雪乃でも熱視線を送られ続けていれば気づくというものだ。

 

 「…………匠さん……」

 「んーー?」


 素知らぬ声色で極上の笑みを向けてくる夫の頬に手を伸ばせば、珍しく瞬かせた表情だ。不意をつかれた事もあるが、雪乃から触れてきたことが一番の理由だろう。そっと寄せられた唇に、心音が速まらないはずがない。

 

 「……いつの間に覚えたの?」

 「匠から、でしょ?」


 小首を傾げて告げる小悪魔っぷりに親友が思い出される。似ているようで似てない二人はさすがは兄妹といったところだ。人を魅了する力が桁違いであると知っていたはずだが、再認識させられるほどの衝撃であった。


 やられっぱなしは性に合わないとばかりにぎゅっと抱き寄せられ、吐息も飲み込まれていったのはいうまでもないが、愛おしいという単語が彼女の中で形になった瞬間だった。


 はじめて知る感情に、また生まれる物語があった。

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