第4話 囁きの続きは
都内某所の一條家縁のホテルで挙式の時を待つ。盛大な結婚披露に尻込みする雪乃とは対照的で、匠には自慢してまわりたい雰囲気があった。
抱き寄せても何も言われない関係になれた。彼にとっては、本当に長い時間だっただろう。ようやく結婚できる事実に高揚感が滲む。表情にこそ出さないが、隣にいる美しい彼女に喜ばずにはいられない。
お互いに長い片想い期間があった。誤魔化していた想いは、言い訳のできないほどに膨れ上がっていった。お見合い相手として再会した日にすべてを告げてしまいたくなりながらも、そうはしなかった。彼女を逃さない想いは強くありながらも、自身の判断一つで上手くいかない未来があることを知っていたからだろう。
数分前に重厚感のある扉が開かれた時は、純白のドレス姿の婚約者に目を奪われた。思わず椅子から立ち上がりそうになる衝撃であった。美しいのは知っていたし、散々試着に付き合ってもらったからこそ、どれも似合うと分かっていた。ただあくまでも分かった気になっていただけだと、今更のように感じた。照れたように微笑まれれば衝動に駆られたのはいうまでもないが、理性を総動員させ、手を取り隣の椅子に促した。
視線を通わせ、揃って照れたように微笑み合う。知っていたはずの彼の新たな一面を垣間見た気がするが、それはお互いさまであった。
「…………綺麗だ……」
「あ、ありがとう…ございます……」
「……敬語?」
「…………匠さんは、とてもかっこいいよ……」
カタコトになりそうな声色で緊張感が伝わる。見惚れていたのは彼に限った事ではない。頭の片隅で急激に文章が構築されていく程の衝撃が雪乃にもあった。
「これが終わったら、新婚旅行ね」
「うん……」
その響きすら甘いものが感じられて頬が染まる。出社の際の整えた髪型は何度も見てきたが、今のようなセットは珍しい。タキシードに合わせて額が出ており、顔の良さを再認識させられる。
「…………本当に………」
「どうした?」
「う、ううん……」
声に出していたとようやく気づき慌てて首を振れば、そんな彼女の愛らしい様子に更に甘い視線が向かう。プランナーがこの場にいたなら、間違いなく赤面していただろう。
唇が触れそうな距離に近づいたかと思えば、重厚な扉がノックされ現実に戻る。お互いに顔を見合わせて微笑み合う。応えた匠は、彼女の左手に触れたままであった。
「ーーーー綺麗……」 「……素敵……」
思わず感嘆の声が漏れ出る。主に女性陣からの羨望の眼差しが多い。純白のドレスに身を包んだ雪乃のヴェールが上がれば、その声は増すばかりだ。アイスブルーの瞳もさることながら、美しい花嫁に憧れを抱く者もいただろうし、彼女のような嫁を貰いたいと思った男性陣も多くいたはずだ。親友である愛理や清隆の婚約者である茉莉奈もそのうちの一人であり、感激した様子が見てとれる。
『…………幸せになれよ』 「幸せにね……」
彼女の苦労を間近で見てきた幼馴染にとっても特別な日だ。思わず漏れ出た言葉からも明らかだが、届く事はない。それは、あまりにも小さな囁きであった。
誓いの口付けを交わし、拍手喝采の中通りすぎる横顔に涙が溢れる愛理に、整えられたハンカチが差し出された。
「……風磨……」
「愛理、泣きすぎ……」
「だってーー……」
「よかったな……」
「うん!!」
力強い即答に、いつものように返された笑みで、これから迎える自身の準備が待ち遠しくも感じているようであった。
ホテル内の一番広い会場で開かれる披露宴は豪華絢爛であるが、装飾の類を選んだ花嫁の意向が加味され、高価な生花が使われてはいるものの色味が統一され、居心地の良い空間になっていた。美的センスに長ける彼女ならではだろう。提供される食事はどれも美味しく、会社関係者が大多数を占めているとはいえ、和やかな雰囲気さえあった。
祝辞の際には出版社から新婦宛にあったが、ペンネームは配慮されていたため彼女が【月野ゆき】である事は分からず仕舞いだ。ただ両家の親戚一同の頬が緩んだのはいうまでもない。あの大人気作家が彼女であると自慢したいのは、親友に限った事ではないからだ。
並んで微笑み合う姿は誰が見てもお似合いの夫婦だ。大人達の策略は叶いそうにはないと悟った者が数多くいたが、それはまた別の話だ。下世話好きには早々に退場してもらうと、両家によって値踏みが行われたのはいうまでもない。そもそも規模の大きさはあれど、不届きものは招待客として名前すら上がらなかった。その為の先日のパーティー参加であったとも取れるが、当の本人は幸せそうな笑顔を無自覚に振り撒いていた。思わず独占欲を発揮しそうになる匠とは対照的で、向けられる視線もどこ吹く風のようであった。
幸せに包まれた披露宴が終わり、空っぽになった会場を振り返る。
「お疲れ」 「お疲れさま」
同時に言い合い、微笑み合う。菫の一番弟子によって磨かれた彼女はいつも以上に眩しく映る。だからこそ惹かれてしまう招待客がいても仕方がない事ではあったが、春翔と新郎によって脳内でリスト化されたのはいうまでもない。
スマホに収め、見納めが名残惜しい。最上階の客室に戻り、私服に戻ったにも関わらず輝いているように映る。化粧の濃さは元に戻っているし、匠自身も乾杯のシャンパンだけに止めていた為、酔っ払いではない。ただ美しく着飾っていなくとも、内面から滲み出るものがあった。誰もが思わず振り返る美貌の持ち主が、彼にだけ向ける瞳に吸い込まれそうだ。
「……雪乃…………いい?」
「んっ……」
そっと触れられ、漏れ出る吐息が呑み込まれる。熱い眼差しを向けられれば、小さく頷くしかない。元より雪乃に残された選択肢はないに等しい。抵抗しようにも、彼の甘さに抗えるはずがなく背中に触れれば、極上の笑みに迫られ言葉にならないのであった。
無理をさせた自覚があったからこそ、横抱きにして浴室に向かう。髪も丁寧な洗われ、甲斐甲斐しく世話をやかれれば背中から熱を感じる。素肌が触れ合っているからこそ鼓動が伝わりそうだが、彼よりも自身の早鐘が響き、それどころではない。
帰国してから同じ家で過ごしていたが、常に側にいた訳ではない。自宅で作業できる雪乃とは違い、匠は毎日のように出社して早朝から深夜近くまで働き詰めの日もあった。全てはこの日の為であると分かっていたからこそ、口を出す事はなかった。雪乃も人並み以上に稼いでいるが、彼とでは立場が違う。社員の生活も彼の手腕にかかっているからだ。そのような意味での重さに違いはあるが、彼女自身も家を謳ってないとはいえ藤宮家に相応しい振る舞いが求められているのは確かだ。立場が違えど、家のしがらみは大なり小なり抱えていた。それは参列していた親友達も同じである。いずれは会社を経営する立場になる彼らに向けられる視線は様々だ。親が経営する会社に勤めれば、嫌でも視線が集まる。些細なミスも許されない現状は、相当なプレッシャーのはずだが、軽々と跳ね除ける節さえあった。風磨と清隆の性格上、止まらないと容易に想像できるだろう。ただ言われるがままに進んではいずれ生じる歯車のズレを理解していたからこそ、今に至るのだから。
染まった頬はお風呂上りだけが理由ではないだろう。この日の為にお互いに時間を作り準備してきた。ようやく緊張感から解放され綻ぶが、また違う緊張感に襲われていた。口を拭う何気ない仕草に先刻の行為が浮かび上がったからだろう。
経験値の差が埋まるはずがなく、彼には雪乃の心情が手に取るように分かっていたが、だからといって攻める事はなく微笑む。
愛おしい存在が側にいる。それがどれだけ奇跡的なことであるか身をもって知っているからだろう。離れていた三年間だけでなく、もっと長い月日を眺めてきた彼にとって、ようやく実を結んだ日となったのだから。
「…………雪乃……」
名前を呼ばれ、潤んだ瞳と交わる。今思えば、長い片想いだったと気づく。曖昧にした告白も、お見合いをしてからの日々も、距離が近づく度に隣にいたいと強く願うようになった。物語とは違う制御不能な恋心に気づいた時には、戸惑いを隠せなかった。
振り返る日々に、ようやく隣にいられる距離感に想わないはずがない。
「……匠さん…………」
ただそばにいる。それが、どれだけ奇跡的なことか知るからこそ溢れる。
「……これからも、よろしくお願いします」
「あぁー……」
目元に触れる指先は優しく、素直すぎる反応に微笑む。気づかない振りをするつもりも、妥協するつもりもない。婚約者から妻に変わっただけで、法的にも一番に駆けつけられる関係になった。その事実は、雪乃が思っているよりも重い意味があるように感じていると、春翔がいたなら一目瞭然であっただろう。ただ、いくら鈍感な彼女でも溺愛具合は感じていた。瞳が、優しく触れる指先が、すべてを物語っているかのようであった。
「……ところで、明日の夜から出かけるからね?」
「う、うん……」
改めて言われるまでもなく、編集部には連絡済みだ。出版社から電報も届いていたし、担当者からもお祝いのメールが届いていた。あまりの勢いのよさに頷けば、悪い顔が垣間見える。
この時点で気づくべきであった。常識的であるとはいえ、それが一般庶民の考えに当てはまるとは限らないことを。
「ーーーー雪乃……」
「ん……匠さん……?」
夢現なまま呟けば、間近に迫る瞳に瞬かせる。
手を取られタラップを下れば、乾いた風が肌をなぞっていた。




