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第3話 もう一度

 招待客は多岐に渡るが厳選されていた。仮にも一企業の社長でもある一條家と藤宮家の婚姻だ。是が非でも招待状を手に入れ、取り入りたい輩は多いだろう。ただ冬時の脅しにも似た言葉があり、平穏な日々が続いていたからこそ忘れていたのだ。婚約者が規格外の人物であることを。


 カラードレスから純白のドレスに着替え、更衣室から顔を覗かせれば嬉しそうな表情が映る。言わずもがな匠であるが、雪乃と違いラフな格好だ。早々とタキシードを決めてドレスを吟味中である。この為に仕事が押さないように調整していたのだから、秘書にも感謝だろう。

 嬉々とする彼に対し、雪乃は終始落ち着かない様子だ。着飾らせることが好きなのは知っていたが、これで十五着目になる。何度もお色直しさせ隊は愛理や春翔、杏奈と多いが、その最たるものが婚約者だろう。流石に疲れてきたはずの雪乃も、この日の為に残業や早朝勤務をしてきたと知っているからこそ、期待に応えていた。


 「…………迷うな……」


 あまりに真剣の様子の為、先刻タキシードを即決した人と、担当プランナーも同一人物とは思えないだろう。ただ初めて対面した時から婚約者を溺愛していることは伝わっていた。上司から直々に任された優秀な彼女プランナーでさえ思わず赤面してしまうほどに甘く、実に眼福な見目麗しいカップルであった。


 「……雪乃はどう?」

 「……最初の、かな……」

 「あぁー、あれも良かったな」


 スマホをスクロールしながら見比べる姿で、どれだけ写真に収めているか分かるだろう。いくら個室で時間が許されているとはいえ、なかなかの枚数であるが、そう思わずにはいられないとも思う。長年この仕事に携わってきた彼女でさえも美しい花嫁だと感じたからだ。


 値踏みされるような視線は今更だが、麗しい婚約者に向けられる含みのある眼差しには細心の注意を払う。相手を優先させる癖がある所も、似たもの同士の二人であった。


 何とかドレスの選定を終え、パーティー会場に向かう。匠宛に届く招待状は多くあるが、同伴を求められる事は珍しい。今回に限っては一條家が懇意にしている会社の創立記念という事もあり、社交に不向きな雪乃にも声がかかった次第であった。


 「一條さま、お久しぶりです」

 「…………学生の頃以来ですね」


 驚くほど冷たい対応にも関わらず、攻める姿は勇者と言えるが、藤宮家を知る者にとっては無謀以外の何者でもない。


 数年ぶりに顔を出した社交の場であっても、その美しい容姿から一際目立っていた。小説家としての彼女を知らなくとも、あの藤宮家のご令嬢であると特徴的なアイスブルーの瞳からも明らかだが、目の前の彼女は気づいていないのだろう。察することができれば、無謀な態度は取らなかったはずだ。


 「……ところで、そちらの方は?」

 「婚約者の雪乃です」

 「藤宮雪乃と申します」

 「…………そう、婚約中なのですね」

 「ええ、康弘やすひろ様宛に招待状が送られていると思いますよ」

 「ーーーーっ!!」


 煩わしい好意に一つもいい事はない。愛想笑いで勘違いさせては本末転倒であり、トラブルの元だと分かっているからこそ一線を引いていたが、それでも踏み込んでくる者は少なくない。顔色を変えた彼女に、雪乃の腰を引き寄せてアピールしながら去れば、それ以上の声をかけられる事はない。


 「匠、見たぞ」

 「春翔……気づいていたなら、助けてくれ」

 「……守るのは匠の務めだろ?」

 「あぁー……」


 『務め』と言われるまでもなく、彼女を守る事に異論はない。ただ面白がっている悪友に溜め息が出そうだ。腕を組む雪乃に視線を向ければ、ようやく自身のことを話していたと気づく鈍感具合だが、そこは溜め息よりも愛おしさが込み上げてくる溺愛ぶりである。


 「雪乃……なにか飲む?」

 「はい……」


 社交の場において敬語は必須だ。身内だけの集まりでさえ注意を払う彼女はさすがは藤宮家のご令嬢である。


 仲睦まじい二人に春翔が温かな視線を向ける。子供がいるとはいえ、妹の溺愛具合も健在であった。


 「お久しぶりです、雪乃さん……」

 「ご無沙汰しております。東雲しののめさま……」


 割って入る勇者に顔色を変えずに応える婚約者は賞賛に値するだろう。ただ事前に出席者を聞いていたため覚えていたに過ぎないが、そうとは知らない彼は愚かにも嬉々として話を続けた。

 微かに表情を曇らせる彼女に気づく事もなく、武勇伝を語る姿は周囲の視線に鈍感な証でもあった。彼女の側にいる二人は社交界でも有名だ。眉目秀麗という言葉は彼らのためにあるような言葉だと言われていても、けして過言ではない。


 「……雪乃、ご挨拶に行こうか」

 「はい、匠さん」

 「では、失礼します」


 颯爽と腕を組ませたまま去っていくスマートさに気を取られ、ようやく気づく。ずっと隣にいた彼の存在に。長身の彼はそれだけで目立つが、気づかない程に雪乃にご執心だったようだ。思わず素が出そうになる春翔が声をかければ、自身の失態に気づいたようだが時すでに遅しである。ただ気づいただけでもマシだろう。先ほどの彼女のようであったなら、確実に飛ばされていたはずだ。


 本音と建前の違いは幼い頃から嫌というほど見てきたからこそ、些細な表情の変化に機微になるというものだ。雪乃にご執心に見える彼の下心は筒抜けであった。大学を卒業したばかりの彼女を射止めれば、藤宮家の次期当主にはなれなくとも甘い汁を吸えるという思惑があると。


 背中に触れる手に顔を上げれば、心配そうに覗き込む瞳に吸い込まれそうだ。ドキリと胸が高鳴りながらも表情を崩すことなく微笑めば、周囲が見惚れたのはいうまでもない。


 主催者に挨拶を済ませれば、早々に立ち去りたい思いを堪え足を止める。若き起業家に挨拶をしにくる輩は後をたたず、また自身の娘と対面させたい私利私欲に塗れた輩もいるが、あくまで少数派だ。あの藤宮家を敵に回しては、事業が先立たなくなると分かっている経営者が多いからだろう。ただ一條家縁とはいえ、古くからの付き合いではない関連会社も参加していた為、知らない者もいた。

 無知の恐ろしさを再認識する雪乃がいる一方で、匠や春翔が見逃すはずがない。早々にブラックリスト入りし、入念な下調べのもとで些細なミスでも追求の手を緩めることはないと簡単に想像がつくが、それは彼女が二人の性格をよく分かっているからだ。一見穏やかで害のなさそうな顔をしながら、策略的に動くことに長けている。そうでなければ社長職に就くことはおろか、一企業としても発展しなかっただろう。


 隣にいる婚約者を見上げれば、作り笑いであると分かる。ただそれが分かるのは身内とも呼べる限られた人間だけだ。雪乃自身も身に覚えがある感覚であり、特に口にする事はなく微笑んで見せれば、周囲の視線に嫌でも気づく。


 「雪乃、行こうか……」

 「はい……」


 即座に反応した彼女は称賛に値するだろう。ただ応えただけでなく、穏やかな笑みつきだ。間近にいれば直撃であり、視線が変わったと匠も悟るくらいだが、向けられた本人に変化は見られない。ただ持ち前の勘の良さを発揮して、彼の反応で読み取ってはいた。


 「…………匠さん、グラスを」

 「あぁー、ありがとう」


 自然とウエイターが持っていたトレーに乗せ、新しい飲み物を頼む。その横顔は美しく、向けられる感情は様々だ。雪乃に向けられる視線の分だけ、匠にも向けられていた。未婚の若き社長は、その肩書だけで人気があるが、彼の場合はルックスの良さだけでなく、春翔が既婚者になった事も影響していただろう。二人が揃った姿は今も変わらずに圧巻であるが、左手の薬指で光る指輪に落胆した女性陣が数多くいた。一部の春翔推しは匠に乗り換えた程であった。


 ごく自然に促され揃って挨拶をすれば、明らかに表情を曇らせる者も多い。ただ娘や息子を雪乃たちのパートナーにと考えていた親がいる一方で、恐れ多く感じる者もいた。というのも、冒頭であれだけ見せつけられれば付け入る隙はないと嫌でも気づいたからだ。


 「お疲れ」 「お疲れさまです」


 ほとんど同時に言い合って微笑む。パーティー会場を抜けた二人は客室のソファーに腰掛けていた。作り笑いではなく、安堵した表情が並ぶ。


 「付き合ってくれて、ありがとう」

 「いえ…………」

 「どうした?」


 言葉が詰まれば至近距離で尋ねられ、心臓が跳ねる。どんなに言い寄られても少しも感情が揺れない雪乃が揺さぶられるのは、いつだって婚約者であった。


 「……やっぱり、モテますね……」

 「雪乃にだけは言われたくないけどな」


 可愛らしい嫉妬に微笑まずにはいられず抱き寄せれば、戸惑いながらも背中に手を回され愛おしさが込み上げる。涼しい顔をした匠の独占欲は強く、甘さを孕んだ眼差しが向かうのも、いつだって婚約者限定だ。


 婚約披露をしたにも関わらず、三年の月日が曖昧にしていったのだろう。そうでなければ二人に言い寄る輩は一人もいなかったはずだ。


 頬に触れた唇が離れ、瞬かせれば指先が唇に触れる。素直に瞼を閉じれば重なり、頬が染まる。

 愛おしい婚約者は相変わらずで危うく、春翔の言葉を反芻せざるを得ない匠だが、この三年の遠距離に比べれば容易い。すぐに駆けつけられない距離は、順風満帆とは言い難かったからだろう。


 漏れ出る吐息に理性をゴリゴリと削られながらも、抱きしめるに止めた。朝から結婚準備にパーティーと、気疲れした相手を気遣う大人な対応だ。


 「……匠さん…………もう少しだけ、こうしてていい?」

 「あぁー……」


 上目遣いの懇願は試されているかのようだが、彼女も噛みしめていたに過ぎない。側にいられなかった時間を埋めるようにと。

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