ーーーー 壊戦 ーーーー
「それ、ほんと……?」
私は驚愕と疑心の混じった声で、思わず聞き返した。
常連客の一人が言うには、うちの宿にずっと泊まっていたあの優男が昨夜、女連れで食事をしていた最中に他の客と揉めて逃げたという話だった。
信じられない。この約一ヶ月ほど、女の影なんて微塵も感じさせ無かったし、しかも揉めた相手は重症だと言う。とてもでは無いが、軟弱そうな彼の仕業とは思えない。
ただ……。
「あの兄ちゃん、部屋に金と置き手紙だけ残して消えちまったからなぁ……。しかも代金は二倍以上。手紙の方は、よく分かんねぇことしか書いて無かった。もっと美味い酒も飲ませてやりたかったのに、一体どこ行っちまったのかねぇ?」
一緒に常連の話を聞いていた親父が唸る。……そうなのだ。彼はその晩、多過ぎる宿代とよく意味の分からない手紙だけを残して宿から消えてしまった。
手紙に書かれていたのは、たったの一文。
『意思があれば、俺の元に来い』
これだけだ。意思と言われても何のことか分からないし、来いと言われてもどこに行けば良いのか分からない。
手がかりと言えば、書き置きの端に押されていた、見覚えの無い家名の印のみ。
「そもそも、名前違うじゃない……。『ドロス』って、誰なのよ?」
青年が宿に泊まる際に名乗った物とは、全く違う名だ。
別に偽名で泊まる客自体は珍しく無い。旅人には訳ありの者も多いし、人に言えない逢瀬をする為に宿を利用する客だって居る。だが、わざわざ最後に家名が刻まれた印を押した手紙を置いて行く客なんて、初めてだ。
「……ん? 何か、店の外が騒がしいような……」
バタバタと、外の通りから大勢の足音が聞こえ、何となく入り口へ視線を向ける。
すると、まるで狙い澄ました様なタイミングで、別の常連客が飛び込んで来た。
「た、大変だぞ!? “戦争”が始まる!!」
「え……?」
あまりに唐突で、あまりに現実味の無い話に、私は思わず能天気な顔で聞き返した。
「戦争……って、は? 冗談でしょ?」
「冗談な訳あるか! 領主様が自ら物資の徴収をしに来たんだ!!」
「そんな……」
そこまで聞いても、まだ俄には信じられなかった。
だって、このあたりは私が生まれる前からずっと平和で、戦争どころか小さな内紛すら、もう百年近く起きていないと聞いて育ったのだ。
「何でも、“『レウ・ドロス』”とか言う成り上がり者の貴族が、領地を求めて侵略しに来たんだとかで……」
「っっ!?」
その名を聞いた途端、私の背筋を冷たい何かが這う様な悪寒がした。
「ドロスって、まさか……」
「嘘、でしょ……?」
親父と私は、思わず書き置きを凝視する。
何度見返しても、そこに押された印には確かに『ドロス』と刻まれていた。
想像したことはあった。一月も宿に滞在し、安酒とは言え毎晩のようにウチや他所の店で飲み食いしていても金に困る様子の無いあの優男が、何者なのか。……けれど、こんな形で知ることになるなんて思わなかった。
「悪い事は言わねぇから、お前等、さっさと店閉めてどっか遠くへ逃げろ! どうせ此処にある食料や奴隷だって持ってかれるんだ……。下手すりゃ、リリーナだって慰安婦に駆り出されるかもしれねぇぞ!? そうなる前に、早く逃げちまった方が良い! 俺もそうする!」
必死の形相でそう捲し立てた常連の男は、そのまま店から飛び出して行った。
「店、閉めろって………んなこと、いきなり言われても、うちには病気のカミさんだって居るんだぞ……?」
「何、で……? あんなに楽しそうに、街の人達と飲んでたのに……。私の話だって、親身に聞いてくれて……」
あまりに現実感の無い話を立て続けに聞かされて、私と親父は暫く呆然と、ただただ彼が残した書き置きを見つめる事しか出来なかった。
*+++*
……ふざけるな。ふざけるなっ、ふざけるなぁぁっっ!! 女王の飼い犬の分際で、この私をコケにしおって!?
「ハイウェル伯爵! 伝令の者が戻って参りました!」
「……うむ」
私は内心の憤慨を押し隠し、鷹揚に頷く。ここで威厳を欠いては、まるであの痴れ者を恐れているかの様に、部下の目に映りかねん。
そんな事、あってはならない。絶対に。
「し、失礼致します! 戦況を報告させて頂きたく!」
「許す。申してみよ」
緊張した面持ちで跪く部下に嫌な予感を覚えつつも、勤めて落ち着いた声音で先を促す。
「せ、先遣隊は、“壊滅”! 密偵に放った者達も、そ、その……」
「なっ!? 壊滅だと!? まだ戦が始まって半日も経っておらんのだぞ!?」
どのような報告を聞いても平静を保つと心がけていたと言うに、余りに衝撃的な状況を聞かされて私は椅子を蹴倒した。
「し、信じられないのですが、生き残った兵によると、敵軍と接敵した直後に隊列が崩壊。その隙を突かれ、“異常な膂力の巨兵”がたったの数十人で部隊を蹂躙し、なす術もなく壊滅した、と……。ですが、奴らはそれ以上進軍すること無く、置き土産に“片腕の欠損した密偵達”を敗残兵に押し付けて去って行ったらしく……」
「い、意味が分からんっ!?」
全体の十分の一程度とは言え、二千人の先遣隊がこんな短時間でなす術も無く壊滅した理由も、優勢でありながら自ら引くその戦略の意味も、わざわざ見つけた密偵を殺すわけでも無く片腕をもいで返す奇行の意図も、私には分からない……。
少なくとも、私が知る兵法では理解が追いつかない。
……私は、軍事の経験に乏しい。生まれてこの方、我が領土で戦争など起こった試しが無いし、私が家督を継いでからは、貿易を隠れ蓑に隣国との癒着を強めて来たからだ。
だが、それを恥じるつもりは無い。民は血を流さず、領土は豊かになり、我がハイウェル家は栄える。皆が得をする最も賢い方法を選び続けただけだ。
それを、あの痴れ者め売国奴などと……いや、恐らく奴にそう吹き込んだのは、あの傲慢な小娘だろう。
「外交の何たるかも知らんお飾りの分際で、調子に乗りおってっっ!!」
目の前の状況に対応する事も忘れ、私は小娘の太々しい“あの表情”を思い出し、再び憤慨する。
今代の女王『アルメリア・カルマ』は戴冠式の折、我々を玉座から見下ろしながら、こう吠えた。
『先祖の栄光に甘え、脳みそを腐らせた怠惰な豚共。貴族とは名ばかりの貴様等に、最後の機会を与える。余に尽くせ。さすれば先祖を超える栄誉を与える。それすら出来ぬなら、豚らしく贄となって死ね』
政の場に立った事もない小娘に堂々とそんな戯言を吐かれ、私を含む由緒正しき血筋の貴族達は皆、腸が煮えくり返る思いだった。
一部の血迷った者達や新米の貴族共の中には、盲目的に奴を信奉する恥知らずも居るようだが、少なくとも大貴族の殆どは私と同意見の筈だ。
……ただ、決して認めたくは無いが、奴が玉座に座り我々を睥睨した、あの瞬間。
まるで始祖の王が天より帰って来たかの如き荘厳な静寂が舞い降り、我らは圧倒された。
敬意の欠片も持ち合わせず、ただただ品定めをするように我らを見下ろしたあの瞳が、今でも脳裏に焼き付いて離れない。
「レウ・ドロス……一体、奴は何者なのだ?」
我ら大貴族すら“豚”と罵ったあの女王が、自ら“猟犬”に選んだ男。
我が国の長年の悲願でありながら多くの者が諦めていた『北方半島』を、国軍に甚大な損害を与えながらも力ずくで奪い返したという正体不明の猛将。
その名高き悪名に反して議会や舞踏会には一切姿を現さず、女王以外誰もその正体を知らぬ新米の成り上がり貴族。
噂では、他国を追われた歴戦の将を女王が囲ったのだとか……。
だが、私の前に現れたあの男は、どう見積もっても二十かそこらの若造だ。とてもでは無いがそんな古兵とは思えん。
「ハ、ハイウェル伯爵、次手は如何致しましょう?」
「くっ……!」
指示を仰ぐ部下に、私は理不尽と分かっていながら憎々しい視線を向ける。
この頼りない肥え太った男には軍師の地位を与えている物の、実際は他国との裏交渉に遣わせている私的な部下のような存在だ。
今まで戦争など縁が無かった為に、軍役の地位にも私にとって使い勝手の良い者達を配して来たが、この状況ではそれが裏目に出ていた。
「……二千で駄目なら四千だ。ここで攻勢に出て来ないと言う事は、向こうは消耗出来る戦力が限られているのだろう。結果的には壊滅したが、先遣隊を相手にして奴らに何の損害も無かったとは思えん。奴らが攻勢に出る準備を整える前に、こちらから畳み掛けるぞ!」
「は、はっ! さすがは我らが辺境の守護者様! お見それ致しました!」
「世辞は良い! さっさと将校共に指示を出して来い!」
「は、はい~っ!!」
躓きそうになりながら慌てて出ていく軍師の背中を見送ると、私は蹴倒した椅子を起こし、鎧の重さに耐えかねたようにどかりと腰を下ろした。
……我ながら、苦し紛れに並べ立てた屁理屈だが、全く的外れでは無いはずだ。
“密偵共”が悉く使い物にならなかったせいで全貌は把握出来ておらんが、いくら女王のお膳立てがあるとは言え、遠方にしか領地を持たん新米貴族が大戦力を引き連れて来たとは考えられん。
隣国に支配されていた『北方半島』とは違い、こちらは国防の要たる辺境なのだ。国軍を動かす許可など議会が承認する筈も無し。そもそも、そんな真似をすれば私に何らかの知らせがあった筈。
対してこちらは、戦力と糧食には余裕がある。無用な小細工など講じずとも、数の暴力で押し切れば容易く勝利出来るだろう。
「……我が守護者の名誉を侮辱したこと、存分に後悔させてくれるっ!!」
*+++*
「とか、今頃思ってんだろうなぁ〜、あのオッサン。ま、概ねその通りなんだが」
俺はハイウェルの思考を予測しながら、天幕の下で独言た。
相手の軍勢は総数約二万。対してこちらは……、
「将軍。失礼、お休み中でしたかな?」
と、俺が改めて戦力差に溜め息を吐きたい気持ちになっていると、生真面目そうな顔をした美丈夫が天幕の布を捲り上げて入って来る。
「いや。順調なのにギリギリとか、毎回綱渡りだな~と、今更なことを考えていただけだ。それと、ウルス。俺は将軍なんて立派なもんじゃないし、お前らとは対等な契約を結んでいるつもりだ。一応『指揮官』てことにはなってるが、普通に名前で呼んでくれて良いんだぞ?」
「いいえ。戦場に於いて冷静沈着に軍を率い、大敵をも容易く打ち破るその勇姿。我らが主君は“将軍”に他なりません」
凛々しくもどこか悪戯っぽく笑いながら、その美丈夫、『ウルス』は天幕の奥までゆっくりと歩み寄って来る。
彼の上半身は引き締まった筋肉を惜しげもなく露わにし、下半身は艶やかな毛皮に覆われた立派な“四本足”で地面を踏みしめていた。
様々な特徴を持つ奴隷民族の中でも取り分け珍しい、『半人半馬』の民族だ。
外見の印象は俺より少し年上くらいだが、実年齢はかなり上と聞いている。民族柄あまり老けないらしい。
彼はこの『カロリナ地方』とはまた別の辺境で人から身を隠すように暮らしていた部族の長なのだが、色々あって女王の配下に加わり、今は俺と共に働いてくれている。
その武勇は凄まじく、『北方半島』の奪還戦でも、大いに活躍してくれた。……のだが。
「うちの連中はどうして誰も俺を名前で呼んでくれないんだ……。市井にいる時は基本偽名を使ってるし、マジで女王くらいしか呼んでくれねぇ」
俺は虚しい理不尽さを感じて、幼い頃のような粗暴な口調が微妙に顔を出す。
「はっはっはっ! と言うことは、将軍と自らを対等だと思っているのは女王殿だけ、と言う事ですな!」
何が面白いのか、無駄に爽やかな笑顔で快活に笑うウルスとは対照的に、俺の顔は青ざめていた。
「冗談でも笑えないこと言うな! 俺とお前の首なんて、あっと言う間に飛ぶぞ!?」
「主君と共に果てるは戦士の誉。光栄の至りです」
「んな下らない事で果てるな!」
「はっはっはっ!」
ウルスと彼の率いる部族は、名目上一応ドロス家の臣下、と言う事になっている……のだが、口では将軍だの主君だのと言う割に、俺の方が年下という事もあってか、こうして毎度毎度からかわれるのだ。情けないことこの上ない。
「まあ冗談はさておき、小生を含め皆、将軍のことをお慕いしているのです。故に、気安く名で呼ぶのは憚られるのでしょう」
「……え? “お慕い”って、お前………」
ウルスの言い回しに身の危険を感じた俺は、思わず後ずさる。……別に他の民族でもたまに居るし偏見は無いが、幼い頃のトラウマが思わず蘇ってしまった。
「わ、悪いが俺にそっちの趣味は無いぞ!?」
「ん? ……はっ!? ち、違っ!? そういう意味ではありませんぞ!? 悪魔で尊敬しているという事であって!」
「うわっ!? ちょっ、ムキムキの身体で迫ってくんな!?」
俺よりずっと大柄なウルスがずいっと身を寄せて来たことに本格的な危機感を覚え、天幕の端まで逃げて縋るように布を掴む。
「……男二人で、何キショいことしとんにゃ?」
「「え?」」
……と、そこへ。いつの間にか天幕の中へ入って来ていたコットが、猫耳をげんなりと伏せて白けた顔でツッコミを入れた。
「ご、誤解だ!? 断じて俺にそんな趣味は無い!」
「小生にもありませんぞ!?」
コットの虚な碧い瞳に見つめられ、俺とウルスは慌ててバッと身を離す。……良かった。今後も長く一緒に仕事をするつもりなのに、気まずい思いをするのは勘弁だ。
「ホンマかにゃ? ご主人はウチに全然手ぇ出してくれへんし、怪しいにゃ……」
「いやそれはガキに興味無いだけだから。お前の知らない所でしっかりやることはやってるから大丈夫だ。安心しろ」
今度は俺が白けた目をコットに向ける番だった。
情報収集や仕込みには、“その手の事”も付き物だからな。色恋沙汰はイマイチピンと来ないが、女と床を共にした経験が無い訳じゃない。………まあ、俺は嫌でも女に頼らざるを得ない体質だし。
「それはそれで腹立つにゃっっ!! ウチだってもう立派な大人やで!? オッパイだって大きくにゃったし!」
涙目でむんずと自分の胸を両手で掴んで主張してくるコットに、俺は呆れる事しか出来ない。
「お前そればっかだな……。別に子供でも大きくなる奴は居るし、民族によっては身体の成長が早い場合もあるだろ」
「ガーン!? う、うぅ……ご主人のイケズぅ……」
「まあまあコットよ。将軍はお前が大事で可愛くて仕方ないのだ。だからまだ、女としては見れぬだけ。そう落ち込まずとも、お前ほどの器量なら、いずれ機会が来よう」
当たり前の事を言っただけなのに、何故かこれ見よがしに落ち込んで見せるコットを、ウルスが父親の様な柔らかな微笑みを浮かべて慰める。流石は年長者であり部族の長を務める男と言うべきか。……にしても、可愛くて仕方ないは言い過ぎだが。
「うぅ………性欲お化けの種馬男に褒められても、ちっとも慰めにならへんにゃ」
「ガガーン!? くっ、コットよ、中々口が達者になった物だな。今の切れ味は凄まじかったぞ……。あと、小生以外の部族の者には絶対に言うなよ? 死ぬほど落ち込むか怒り狂う、ぞ、(バタッ)」
だが、礼どころか全く可愛げの無い罵倒で返され、ウルスパパは撃沈した。
倒れながらも最後までコットと部族の事を気遣っている辺りは流石と言いたい所だが、わざわざ気絶したフリまでするノリの良さは一周回ってジジ臭いので、プラマイゼロだろうか。
「はぁ……。そんな事より、今更だがお前ら、何か報告があって来たんだろ?」
「おっと、そうであった」
「あ、忘れてたにゃ」
ケロッと立ち直って本題を軽く扱う二人に俺はイラッとしつつも、話が進まないので黙って顎で先を促した。
「トロル達だが、やはり暫くは休ませねばなるまいな。空腹と眠気で動けぬようだ。次の戦線には、我らが出陣するべきだと考えるが、構わんか?」
『トロル』と言うのは、『北方半島』で仲間に加わった、『青肌』と呼ばれている民族の長だ。
彼らの圧倒的な巨体と怪力は戦場でとても頼りになる。……ただ、その戦闘力の代償とでも言うべきか、すぐに体力を使い切ってしまうので連戦や長期戦には向いていないのだ。ついでに、ちょっと頭も弱いので戦場では単純な指示しか聞けない。
もっとも今回は、敵軍が“勝手に崩壊”するよう別の仲間が事前に仕込みをしていたので、彼らにとっては至極簡単な命令、『蹴散らせ』の一言で済んだ。
「ああ。元々俺もそのつもりだった。ついでと言っては何だが、“寝返らせた連中”も連れて行け。こちらの被害を最小限に抑えられるよう、“使い潰せ”。どの道、娼館から帰って来たリリス達に絞り取られてあの世へ行くだけだ。占領した後に残しておくのも都合が悪い」
努めて淡々と、事務的に命令を下す。
そんな俺に、ウルスはどこか憂うような苦笑を見せた。
「相変わらず、将軍は涼しい顔で酷な命令をお出しになる……。が、付いて行くと決めた以上、悪事の片棒も担がず配下は名乗れますまい。その任、しかと引き受けた」
「命令しているのは俺だ。責任も罪も、栄光と共にこの身で背負う。余計な気負いは不要だ。お前達は、自分の仕事をやり遂げればそれで良い」
傲慢に、率直に、言うべき事を言う。今だけは強者の皮を被り、指揮官の振る舞いに徹するのだ。
「ふっ……それでこそ、我らが将軍。心得た。では、小生は支度に向かうとしよう」
ウルスは満足そうに笑い俺に一礼すると、コットの肩を軽く叩いて天幕を出て行った。
……長きに渡り部族の長を務めて来たあの美丈夫には、俺の被った薄い皮など簡単に透けて見えている事だろう。それでも付いて来ると言うのだから、こちらも遠慮なく頼らせて貰う。
「相変わらず説教臭いオッサンにゃ」
「おうふ……なんて身も蓋もない事を……」
俺がせっかく良い感じに心の中で今の男らしいやり取りに浸っていたのに、コットが一瞬にして台無しにした。酷い。
「ご主人に一番頼りにされとるのが自分やと思っとる辺りが気に食わんにゃ。ジジイはさっさと隠居すればええにゃ」
「ジジイは言い過ぎだろ……。と言うか隠居されたら俺が困る。あそこの癖強い部族を俺一人で纏めて扱う自信なんて無いからな」
いや割とマジで困る。実際頼りにもしてるし。
馬並みなんて俗な言い方をするつもりは無いが、体力で言えばウルス達部族は配下の中でも一、二を争う。直接的な戦闘力では惜しくも三番手辺りという所だが、その機動力と持久力は、戦場に於いてこの上なく頼もしい。
「ご主人が甘やかすから調子に乗るにゃ。鞭で尻叩いてこき使うくらいで丁度ええにゃ」
「ほう。なら、お前にもそうしてやろうか?」
「そういうハードなプレイは普通に抱いた後にして欲しいにゃ!」
「受け入れんなよ……。下らないこと言って無いで、さっさと報告しろ」
ほんの悪戯心で言った事を間に受けるコットにドン引きしつつ、より重要度の高い彼女の報告に耳を傾ける。
「コホン。返還した密偵の中に紛れ込ませた仲間は、無事に潜入出来たみたいにゃ。けど、その……」
続きを口ごもるコットに、俺は視線で話せと先を促す。
「……密偵の方は、物置小屋に放り込まれてたにゃ。放っといたら多分、三日と保たへん」
「ちっ……他人の事は言えないが、あっちの伯爵もやはり相当な外道だな」
表面的な感情に任せて舌打ちしたものの、俺の奥にある最も冷たい部分は、嗤っていた。
「だが、予想以上にハイウェルはこちらの思惑通り踊ってくれている。コット。聞くまでも無いだろうが、返した密偵に仕込みはきちんと済ませてあるな?」
「っっ!? にゃっ、にゃぁぁんっ……!! も、勿論にゃっ!」
俺が問いかけると、何故かコットはブルりと身を震わせ、頬を淡く染めて瞳を潤ませる。……いや今、真面目な話してるんだけど?
「ふぅっ……油断して粗相する所だったにゃ。そういう顔する時は先に言って欲しいにゃ」
「何の話だ……。まあ良い。お前は次の戦闘が終わったら、『夜行楼』を連れてハイウェルの屋敷へ行け」
「にゃ? 何でにゃん? ハイウェルならキャンプに居るで?」
「ああ。だから、お前等に任せたいのは屋敷に残っている“伯爵以外のハイウェル家全員”だ。そうそう、帰りに“手土産”を忘れるなよ? 勿論、渡す相手は俺じゃない。……意味は分かるな?」
「んんっっ!? コ、コットを子供扱いする癖に、そんにゃエグい命令をサラッと出すご主人、マジ鬼畜にゃんっ!!」
「何で嬉しそうなんだよ……」
またしても身を震わせながらあまりに今更なことを口走るコットに、俺は疲れた顔で冷めた目を向け、どかりと椅子に座り直した。
確かに俺はコットを子供扱いしているが、同時に女王の猟犬として対等な仕事仲間だと認識している。
『指揮官』という立場である以上、相手が誰であろうと適性に合った仕事を振るのは当然であり、そこに良心の呵責や偽善的な親心なんて物を介在させる余地は無い。
合理的な判断の為なら、感情と行動は徹底的に切り離す。俺が女王に拾われてから、一番最初に叩き込まれた事だ。……まあ、完璧に出来ているとは言い難いが。
「でも、大丈夫かにゃ? あの子等、もうとっくに目ぇ死んでたで?」
「構わない。使えなければそれまでだ」
淡々とそう告げると、コットはどこか悪戯っぽく、それでいて嬉しそうに微笑んだ。
「……ふふっ。嘘ばっかり」
「は?」
思わず口を開けて疑問符を顔に浮かべると、コットはより嬉しそうに微笑んで、擦り寄る様に俺の耳元に顔を近づける。
「……コットには分かってるにゃ。ご主人は“あの子等”を見捨てへん。見捨てられへん。そうじゃなきゃ、コットはここに居らんにゃ」
「買い被りだ。俺は自分の手が届く範囲の物しか守れない。お前の時はたまたまその範囲に居たから、運よく助けられただけだ」
一瞬の思考の停滞すら無く即答したつもりだが、コットはくすくすと俺の耳元で小さく笑い声を漏らし、スッと離れて正面から俺の瞳を覗き込む。
「なら、やっぱり大丈夫にゃ」
「何でそうなる?」
「この戦場は、もうご主人の“手の平の上”にゃ。届かんとこなんて、どこにもにゃい。そうやろ?」
「っ! ……手の届く範囲ってのは言葉の綾だ。揚げ足を取るな」
バツが悪くなった俺が顔を逸らすと、コットはどこまでも愉快そうに尻尾を振り、クルりと背を向ける。
「ふふんっ。ほんじゃ、ご主人がいつでも好きな場所に手ぇ伸ばせるように、コットはちゃちゃっとお仕事片付けて来るにゃ。終わったら、ご褒美にいっぱい頭撫でてにゃん」
一方的にそう言い残し、彼女は弾むような足取りで天幕から出ていった。
「……暗殺部隊の隊長が、そんな可愛い報酬欲しがるなよ。ったく」
俺は一人になった天幕の中で、もう此処には居ない彼女に、意味の無い文句を呟いた。
今話もお読み頂き、ありがとうございます。




