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ーーーー 産声 ーーーー



「ひぐっ……痛い、痛いよぉ……」


 物置小屋の中で、少女の悲痛な声が響いていた。

 その片腕は肘から先を失い、雑に布で縛られている。

 染み出した血が地面に滴り落ちる度、自分の命が擦り減って行くように感じて、時間が経つほど痛みと恐怖で思考が麻痺して行った。


「ぅぅっ……」

「……もう、殺してくれ」


 そこかしこから聞こえて来る啜り泣きや、諦観の滲む願い。

 少女と同じく片腕を失った彼らは、皆等しく薄汚れており、その容姿にはそれぞれ普通の人間とは違う特徴があった。

 それは彼らが皆、『奴隷』であることの証左だ。


 ハイウェル伯爵は正体不明の不気味な敵を偵察する為に、訓練された密偵では無く、奴隷を“消耗品”として使う事を選択した。

 自軍の情報すら碌に知らず、戦況を理解する教養も無い奴隷なら、万が一捕まって拷問されても情報漏洩する事は無いと踏んだのだ。……同時に、奴隷の人権などと言う意味不明な主張を口にしていたレウ・ドロスに対する意趣返しでもあった。


「お、お母さん、どこに居るの……?」


 朦朧とした意識の中で、少女はたった一人の肉親である母親を探す。

 軍人達に無理やりキャンプへ連れて来られた時には、確かに一緒だった。密偵として敵情視察の命令を受けた時に引き離されたのだ。

 その後、母親がどこに連れて行かれたのか、少女には見当も付かない。

 敵のキャンプに居る兵士の人数や指揮官の居場所を覚えて来いと命令され、鞭で打たれた。そして装備とも言えないような使い古されたナイフと、姿を隠す為のぼろ切れだけ渡された彼女は、訳もわからぬまま敵陣近くに放り出されたのだ。

 それでも、酒場に飼われていたこれまでがそうであったように、どれだけ母親の事が気がかりであろうと、少女には『人間』の命令に従うと言う選択しか無かった。

 ただ言われるがまま敵のキャンプへと向かい、怯えながら兵士達の声がする天幕に近づき、そして……視界が真っ暗に閉ざされ、意識を失った。

 彼女に残っている記憶は、それだけだ。

 気が付けば片腕を失い、兵が引いた戦場に転がされていた。

 泣き叫んで痛みを訴えても治療などされる筈も無く、それどころかガラクタの様に粗雑に運ばれ、物置小屋に放り込まれた。


 ……それから、どれ程の時が経ったかも分からない。何日も経ったような気もするし、ほんの数分しか経っていないような気もする。

 正常な思考力など等に失い、今はただ、死への恐怖と母の温もりを求める本能的な感情に支配されていた。


「な、何でぇ……?」


 どうして? ただ生きていたかっただけなのに、こんなに辛い思いをしなければならないのだろう?

 酒場の召使いとしての暮らしも、殴られたり蹴られたり、お母さんが酷いことされるのは辛かったけど、それでも死ぬかもしれないと思った事は無かった。

 捨てられないように必死で働いていれば、寝る時はお母さんの温もりを感じて幸せな気持ちになれた。ご主人様の機嫌が良い時は、美味しいお肉が残った骨を貰えたりもした。

 ……でも、今はただただ痛くて、怖くて、辛いだけ。お母さんも居ない。体に力も入らなくなって来た。

 こんな思いをしなくちゃいけないほど、私は悪いことをしたの? 奴隷は、ただ生きることも許されないの?


 ……そうして、少女の思考は徐々に、このあまりに理不尽な状況がもたらされた“理由”に集約していく。


 戦争が悪いの? 領主様が悪いの? 私たちを捨てたご主人様が悪いの? ……分からない。分からない。分からない! 

 私は奴隷だから。頭が悪いから。水を運んだり、お酒を整理したり、お肉を掃除したり、そんな事しか出来ない。そんな事しか、して来なかった。それだけを頑張っていれば、ご飯が食べれてお母さんも褒めてくれたから。生きていけたから……。



『お前達が本当に生きたいなら、“奴隷である自分”を、殺せ』



「はっ!?」


 突如、少女の頭の中に声が響いた。

 それはたった今聞こえた声では無く、頭の片隅にまるで刷り込まれたかのようにこびり付いていた、記憶の残滓。

 でも、誰の声か分からない。聞き覚えのある男の声と、自分と歳の変わらない少女の声が、重なって聞こえるような、そんな気がした。


「ど、奴隷である、自分を、捨てる……?」


 それぞれの単語の意味は分かる。けれど、その言葉の羅列が意味する所を、少女は理解出来ない。教養の問題だけで無く、思考する気力すら、流れ出る血と共に失いつつあるのだ。

 それでも、朦朧とする意識の中で懸命に考える。


「奴隷…自分を…捨てる……捨てる、捨てる、捨て、る……」


 と、掠れた声で何度も言葉にしながら、ほんの僅かに残った命の火を燃やし、持てる全てを思考に注ぎ込む。

 極限の集中で少女は気が付いていないが、いつの間にか周りの奴隷達も啜り泣きや絶望のうわ言を止め、彼女と同じように思考の湖に沈んでいた。


 それは、“思考を放棄してただ生きていただけの『奴隷』”が、“生きる為に思考する『人』”へと生まれ変わる……否、生まれ帰る瞬間だった。



今話もお読み頂き、ありがとうございます。

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