ーーーー 兎と道化 ーーーー
「何……? 第二陣がまだ出撃していない、だと?」
脂汗だらけの醜い顔に焦燥を浮かべた軍師の報告に、私は苛立ちよりも怪訝さの勝る声音で問い返した。
今の時刻は既に正午を過ぎており、指令を下したのは昨日の夕方だ。
一から軍備を整えていたと言うのならまだしも、第二陣は待機していた兵を出撃させるだけの筈。
仮に今日の早朝から動き出したのだとしても、十分に時間はあった。
「そ、それが……、将校の間で伝達が上手く出来ていなかったようで、その……殆どの兵が、まだ待機したままなのです」
「馬鹿な!? いくら戦慣れしていないとは言え、そのような腑抜けばかりな訳があるか!」
私以上に困惑している軍師の言葉に、今度は反射的に怒りが込み上げて来る。
確かに今まで平和だったこの辺境には、実戦を経験している兵は少ない。
だが、将校には代々我がハイウェル家に仕えて来た由緒正しい家柄の者達だけを選定しているのだ。迅速に出撃せよ、というだけの単純な命令すら伝達出来ないような無能ばかりであるものか!
「将校等を即刻集めろ! 私が直々に命令を下す!」
「は、はぃぃぃぃっ!」
抑え切れず吐き出した私の荒々しい声に震え上がった軍師が、慌ただしく天幕を出ていく。
「くっ!? 戦とは斯くも思い通りに行かんものなのか? 父上はまだしも、お爺様は何故、ご存命の内に私に教えて下さらなかったのか……」
既に宣戦布告を受けた今となっては意味の無い恨み言を、一人になった天幕の中で呟く。
先遣隊が壊滅したとは言え、まだ我が軍の損耗は一割程度。こちらが有利な状況には変わらぬ。
………だと言うのに、何だ? この足元からムカデが這い上がって来るような、怖気にも似た焦燥は。
「……私は断じて、脳みそを腐らせた豚などでは無い」
気が付けば自分に言い聞かせるように、そんな言葉が漏れ出ていた。
業腹だが、あの小娘の言うように、貴族の椅子に座っているだけの役立たず共が居るのは事実だ。だが、断じて私は違う。
『癒着』だの『密輸』だのと言えば聞こえは悪いが、私に言わせれば愚鈍な王族に代わって『外交』をしてやっているだけだ。
奴らが定めた範疇での貿易では、隣国との関係は維持出来ん。領土戦が実際に始まってしまえば、私が密輸している物品程度の消費では済まされない、甚大な損害が出る事は必定。それは、この辺境だけで済む話では無い。
そこまで深く考え、国防の要たる守護者として働いているのだ。“多少”生活が豊かになる程度の見返りを貰い受けて、何が悪いと言うのか。
「ハ、ハイウェル将軍! 至急ご報告したき事がございます!」
「今度は何だっ!?」
天幕の外から掛けられた伝令の焦った声音に、私は更なる嫌な予感を覚えて声を荒げる。
「そ、それが、補給部隊からの知らせで、街で暴動が起こり、物資の運搬が遅れていると!」
「ぼっ、暴動だとぉ!?」
余りに予想だにしなかった事態に仰天し、私は思わず天幕を乱暴に開け、外で跪いていた伝令を睨みつける。
信じられん。財政の安定した我が領地でそのようなこと、少なくとも私が家督を継いでこの数十年、起こった試しが無い。
しかも、よりにもよって開戦して間も無いこの時に、何故……。
「……原因は、分かっているのか?」
不安を押し殺した声でそう尋ねると、伝令はどこか怯えるように頷き、声を震わせて答えを口にした。
「その……じ、事実無根の噂話に過ぎないとは思うのですが、『ハイウェル伯爵が隣国への賄賂に、領地の生産品を横流しすることで懐を潤している』……と、領民達は主張しているらしく。農夫や鉱山労働者を中心に、生産職の者達が決起したようです。更に、彼らの商品を卸して生計を立てている者達も暴動に加わり、衛兵だけでは収拾が付かないようで……」
「なん、だと………」
項垂れるように俯いたまま伝令が口にした報告を聞き、私は青ざめた。……まるで、つい今し方まで私が考えていた事を神が見透かしたのかと、寒気を覚える。
我が領地に於いて、『生産職とそれに紐ずく商いをしている者達』とは、兵士や役所仕事の公職以外、『ほぼ全ての領民』を意味する。
街だけならまだ暴動と言える程度の範疇かもしれないが、もし領地全体で同じことが起これば、それはもう、“革命”だ。
そんな事実が議会に知れれば、我がハイウェル家の権威は地に落ち、辺境伯の身分も剥奪され………っ!? まさかっ!?
「あの男は、そこまで見越して仕組んでいたと言うのか? 本気で、この地を我が物とする為に……?」
レウ・ドロス。奴の口ぶりから、私と隣国の癒着を知っている事は明白だった。
そして、去り際に吐いた、あの捨て台詞。
『あっという間にこの土地も、俺の物になるぞ?』
あれが只の虚勢では無く、確信を持って口にした言葉だとすれば……?
『北方半島』は実質的に隣国の領地となっていた。王族は奪還を目指すと口では言っていたが、議会は弱腰で、遠征の目処すら立っていなかったのが実情だ。
……だが女王は、自らの采配で軍を編成し、その旗頭にあのレウ・ドロスと言う出自不明の男を選び、議会を通さず奪還作戦を強行した。
当時は貴族の間だけで無く、国中で騒ぎとなり、無謀な作戦に兵と国庫を投入した愚かな王だと誰もが思っていた。けれど……。
「……あの男は、やり遂げて見せた。多大な犠牲と引き換えにはしたものの、王族の、国の悲願を叶えたっ」
為政者達にとって国軍の損害は無視出来る物では無かったが、その莫大な成果を前に、真っ向から女王を糾弾出来る者は居なかった。
それどころか、民衆だけで無く貴族の中にも盲目的な信者を増やし、お飾りでしか無かった筈の小娘は、議会が無視出来ない権威を得た。
「私は一体、“何”を敵に回したのだ……?」
女王の猟犬だと、あの男は自ら名乗った。
だが、たかが飼い犬一匹に、本当にそんな芸当が可能なのか?
「ハ、ハイウェル伯爵〜! ゼェ、ゼェ……しょ、将校等を、集めて、参りましたっ!」
「あ、ああ……」
暴動の件で頭の中が支配されていた私は、息を切らせる軍師の声に思わず生返事しか出来ない。
……いかん。全てが仮にあの男の仕業だったとしても、ここで動揺していては、それこそ奴の術中だ。
気を取り直し、威厳ある表情を心掛け、私は軍師の後ろに控える将校等を一瞥する。
「……ん? 人数が足りないようだが? 確か、カオール家の長男にも隊長を命じていただろう」
「「「っ!? ………」」」
違和感を覚えた私が率直に疑問を口にすると、将校達がどこか猜疑心を伺わせる視線を交わし出す。
「な、何だ? 何か言いたい事があるのなら申してみよ!」
部下であるはずの彼らから漂う不穏な空気に妙な焦りを感じ、私は気付けばそう口にしていた。
「………失礼ながら、申し上げます。カオール家の長男リーチは、先遣隊の隊長として奮戦しましたが、敢えなく戦死致しました」
「っ………そ、そうであったな」
前に進み出た将校は、睨んでいると言っても過言では無い鋭い眼差しで私を射抜きながら、余りに今更な報告を口にした。
今更だと言うのに、自ら命じておきながらその末路も把握していなかった私は、不敬なその態度を咎める事も出来ず、逃れるように視線を逸らす。
そんな私に構わず、将校はこの場で本来不要なことまで報告して来る。
「リーチの遺体は頭を半分潰され、腹に抉るような穴を開けられた、無惨な姿でした。伯爵は、ご覧になられましたか?」
「い、いや、死者を悼むのは戦を終えてからと決めている故、まだ見てはおらん。……優秀な将校を失った事は、私も残念に思う。敵は我々の予想以上に狡猾で残忍なようだ。だが、案ずることは無い! 数に於いても地の利に於いても、我々の優位は揺るがぬ!」
「「「………」」」
それらしい言葉を並べ立て指揮官として鼓舞しようと声を張り上げても、将校達の瞳に宿った猜疑は晴れるどころか、より暗さを増すばかりだ。……本来であれば、そのような視線をこの私に向けるだけでも不敬罪で罰する所だが、今はそうもいかん。
この状況で隊長格の将校等を罰すれば、出撃前の兵士達の士気が著しく下がるという事くらい、私にも分かる。
この者達の態度は腹立たしいが、自ら愚を犯して自滅など、何よりあってはならない。
「次に投入するのは先遣隊の倍、四千……いや、ここで確実に勝負を決する為、更にその倍である八千だ! 貴殿等はその兵を率い、今度こそあの侵略者共を撃滅せよ!」
「「「……っっ!! はっ!」」」
八千の兵を率いろと命じられ火が付いたのか、将校等は目の色を猜疑から闘争心の色に変え、恭しく頭を下げた。
……当初の予定とは違うが、問題は無い。八千の兵を差し向けても、こちらには一万の軍勢が残るのだ。
どんな小細工を弄して来ようと、我らは余力を残し、兵力の差で圧殺してくれる。
*+++*
「大将ぉ〜。報告ぅ〜」
「だから大将とかじゃ……いや、もう良いか。はぁ……」
ハイウェルの陣地から帰って来た密偵を、俺は溜息と共に迎え入れた。
濡れ羽色の長い黒髪と、美術品のように均整の取れた体躯を持つ少女だ。
仕事を終えてわざわざ着替えて来たのか、控えめにフリルがあしらわれた白いワンピースを纏っているその姿は、黙っていればどこぞの貴族令嬢のようで、戦場で泥臭い仕事をしているようにはとても見えない。
「んんぅ? 大将ぉ、お疲れぇ?」
「ははっ……いいや、俺は別に何もしてないからな。この通りピンピンしてるよ」
密偵という命懸けの仕事をしているとは思えない、彼女のゆる〜い話し方に、俺は毒気を抜かれてガックリと肩を落とす。
「お前こそ、お疲れ様。クロリ」
「っ! んん〜っ」
労いながら軽く頭を撫でてやれば、艶やかな黒髪に普段は隠されている“長い耳” が、ピコンと勢いよく立ち上がる。
コットと同じく彼女もまた、『獣人族』の元奴隷だ。
兎のような長くもふもふしとた耳は彼女のチャームポイントでもあるが、当然他人に見られれば奴隷民族だとバレてしまう。情報収集だけでなく、潜入工作も行う密偵としては致命的だ。
当の本人は呑気に喉を鳴らしているが……ついつい、お節介が俺の口を突いて出る。
「おいおい……。そんな調子で密偵の仕事は大丈夫なのか?」
「んんぅ〜? 大将ぉ以外に触られても気持ち良く無いしぃ、そもそもぉ、触らせないから大丈夫ぅ〜」
「ア、ソウ」
微妙に言及するのが憚られる言い回しで上目遣いに答えたクロリから、俺はスイっと目を逸らして撫でるのを止め、椅子に座り直した。
「えぇ〜? もう終わりぃ?」
「わっ、ちょっ!? どうしてお前等はそうスキンシップ過剰なんだ!?」
不満げな声を漏らしたクロリは大胆にも俺の太腿に跨るようにして乗り、首に腕を回す。
ワンピースでは分かり難いが、細身な身体の割にボリュームのある尻の感触にドギマギしつつも、近づいて来るつぶらな瞳を遠ざけるようにして、俺はなんとか彼女の肩を押し戻した。
「最近はぁ、コットばっかり構ってたんでしょぉ? クロリのこともぉ、もっと相手してくれなきゃダメぇ〜」
「くっ……!?」
悩ましい声を出しながら、腰を前後に揺らし股を俺の太腿に擦り付けるようにして迫って来るクロリ。
コットと歳は変わらない筈だが、一足早く成熟している身体も相まって異様に大人びている彼女に迫られるのは、中々に忍耐力を問われる。
……だからと言って、手を出すつもりなど毛頭無いが。
「良いから、どけ!」
「ふきゅっ!?」
俺はクロリの身体が浮く程度に容赦無く膝を突き上げ、彼女が驚いて立ち上がった隙に脚を抜く。
「もうぅ、いきなり激しいのはダメぇ! い〜っぱい甘やかしてくれた後なら良いけどぉ〜」
「思考回路がどっかの馬鹿猫と同じだぞ。言っとくが、コットには肉を奢っただけだからな。それ以上は何もしてない。仕事が終わったら、お前にもたらふく食わせてやる」
ブーブー文句を言う馬鹿兎に白けた目を向け、誤解の無いよう念のため訂正しておく。
俺がコットに手を出したなんて言いふらされたら、他の連中に何を言われるか分かった物では無い。何だかんだコットを可愛がっている女王の耳にでも入ったら、最悪殺されるかもしれんし……。
「お肉よりぃ、クロリは大将ぉと同じベットでぇ……きゃっ♪」
「何一人で盛り上がってんだ……。そんな事より、首尾はどうだ?」
頬に手を添えて身を捩りながら、自分で言ったくせに勝手に恥じらっているクロリをガン無視して、俺は真剣な声音で問いかける。
「むぅぅ……大将ぉの予想通りだよぉ。ハイウェルに街で暴動が起きてるって言ったらぁ、コロっと騙されて動揺しまくりぃ。将校の人達もぉ、第一陣でお友達ぃ? が、死んじゃったっぽくてぇ、ちょぉっと揺さぶってあげたらぁ、簡単にハイウェルのこと嫌いになっちゃったぁ」
「上出来だ」
俺はニヤリと口角を歪め、クロリの仕事ぶりを褒める。
おっとりしているように見えて、彼女は変装、潜入のエキスパートだ。
第一陣で変換した密偵……いや、奴隷達に紛れ込ませて向こうのキャンプに潜入させていたのだが、早くも成果を上げて来た。
密偵としての仕事ぶりもそうだが、彼女は天然なお嬢様然とした雰囲気に似合わぬ健脚の持ち主でもある。向こうの陣地からこちらの陣地まで、普通の人間が仮に全力疾走したとして三日は掛かる距離だが、彼女は半日も掛けずに走破して戻って来たのだ。
「でもぉ、大丈夫ぅ? ハイウェルの奴ぅ、焦って八千も兵を出して来たよぉ? 多分ぅ、そろそろ前線に着くんじゃ無いかなぁ?」
「寧ろそれが狙いだ。今回は『北方半島』の時とは違って、“殺し過ぎない方が良い”からな。半分で済むなら上々。小出しに戦力を投入されて戦が長引けば、こちらが不利になるのは明白だ。どの道多少無理をしてでも、大戦力とぶつかるのは必然だった。……それに、コット達『夜行楼』が、そろそろ仕事に取り掛かってる頃だ。タイミング的にも悪くない」
「あぁ〜そう言えばぁ、またあのネコちゃん達にぃ、悪ぅいコト、させてるんだっけぇ? ふむふむぅ。じゃぁ、向こうに返した奴隷の子達もぉ、そろそろ使い時ぃ?」
「そうだな。仕込みは効いてたか?」
「うぅ〜ん、どうだろう? クロリが出てくる時にはぁ、まだ考え中って感じだったけどぉ? 取り敢えずぅ、『道具』は置いて来てあげたよぉ」
「十分だ。そこからどう動くかは、彼らの問題だ。たとえ役に立たなかったとしても、俺達はやるべき事をやる。それだけだ」
「ふぅ〜ん?」
「な、何だよ……」
何故か悪戯っぽく笑いながら意味深な流し目を送って来るクロリに、俺は少したじろいだ。 ……だが、彼女はそれ以上何も言わない。
その無言に、俺は無性に居た堪れなさを感じつつも、「コホンッ」と一つ咳払いをして気を取り直すと、改めて告げた。
「次の第二陣で、終わらせるぞ」
今話もお読み頂き、ありがとうございます。




