ーーーー 紅の月 ーーーー
「全隊! 止まれ!」
ハイウェル軍の第二陣、八千の兵が将校等に率いられ前線に到着したのは、夕暮れが沈む黄昏時だった。
薄暗い戦場には、無惨に散った第一陣の兵士達の多くが、ただの肉袋と成り果ててそこら中に転がっている。将校以外の遺体を持ち帰る余裕が無かった証拠だ。
……それに引き換え、ドロス軍の者と思われる遺体は一切無く、軍旗の切れ端すら落ちていない。
不気味なほど正反対な戦場の有様に、先頭で馬に乗って兵を率いていた将校達と側近の兵達は、松明に照らされた顔を凍り付かせた。
「先遣隊とは言え、二千も居たんだぞ……? どうしてこんな事に……」
思わず一人の将校が息を呑みながらそう口にすると、兵の間に戦慄がじわじわと広がって行く。
「っ!? 何だあれは!?」
と、その時。最前列に居た将校の一人が声を上げ、すぐ正面の崖の上を指差した。
天に向かって鋭く伸びたその崖は、梯子を使ったとしても到底“人間”が登る事など不可能な切り立った断崖絶壁となっている………筈だった。
「……? ぐああああああっ!? なっ……ぜっ……?」
目を凝らして見上げていた兵の一人が断末魔を上げるまで、彼らには想像も出来なかった。
切り立った崖の上に、敵の『弓兵』が居る事など。
「があああっ!?」
「何故っ!? あんな場所に弓兵の情報なんてっ!? う、うわああああああっ!?」
「た、退避っ、いや、盾を構えろおおおっ!?」
その存在を認めた時には、既に豪雨の如く矢が降り注ぎ、無防備だった頭上からの急襲に、前列に居た兵達は成す術も無く蹂躙される。
「くっ!? 慌てるなっ! 崖の上に居る弓兵の数などたかが知れている! 盾で防ぎながら射程外まで退避すれば、どうという事は……っっっ!?」
馬に乗っていた事が功を奏し、速やかに射程外まで退避した将校が戦況を立て直そうと声を張り上げるが、最後まで言い切る事が出来なかった。
……何故なら、恐怖の絶叫が響いて来たのは、前方だけでは無かったからだ。
「な、何だコイツら!? 速っ、がっ!?」
「く、来るなぁっ!? うあああああああああっっ!?」
「馬鹿っ!? 陣形を崩すなっ!? 攻め込まれるぞっ!?」
左舷からは、何かに追い立てられるような焦燥に溢れた声が……。
「こ、この化物っっ!? あがっっ!?」
「か、囲めええええっ!? 一対一じゃ絶対に無理だぁぁっ!?」
「こ、こんな奴に、人間が勝てるのか!?」
右舷からは、まるで人外の化物に襲われているかのような悲鳴が。
「お、お前ら何でっ!?」
「ああ〜ん? そんなもん、リリスちゃん達と愛し合う為に決まってんらろう〜!」
「あんら可憐な子達と争おうなんてぇ、お前らの方がろうかしてるんじゃ無いかぁっ!?」
「何を言っているんだ!?」
後方からは、兵達の激しい困惑と、酩酊しているかの様な呂律の怪しい叫び声が。
「何が、起こっているのだ……?」
指示を出そうとした将校は、混乱と恐慌に支配された自軍の兵達を見渡し、呆然とそう呟く事した出来なかった。
*+++*
「畳み掛けろっ!! 敵が混乱している間に、一人でも多く狩り尽くすのだ!!」
「「「おおおおおおっっっ!!!」」」
蹄で先頭の兵を蹴倒し声を張り上げたウルスに続いて、彼と同じく『半人半馬』の騎乗兵ならぬ“騎馬兵”達が、槍や双剣を振り翳して次々とハイウェル軍の兵達を狩り殺して行く。
「ひぃっ!? ぐああああっ!?」
「このっ!? 何で当たらないんだっ!?」
「二本しか脚を持たぬ貴様等が、我らに追い付けると思おうてか!」
「「「ぐあああああああっっっ!!??」」」
比喩では無く、文字通りの人馬一体である彼らは、その圧倒的な機動力でもって戦場を駆け巡り、愚鈍な敵兵の反撃など一切許さず蹂躙する。
騎馬兵達の数は百にも満たないが、個々の実力は正に一騎当千。一桁程度の数の差など物ともしない。
剣は持てども盾など構えず、最低限の鎧しか身に付けないその姿は、百戦錬磨の“豪脚”を持つ誇りを表しているようだ。
「やはり練度が低い……。八千と聞いた時は多少構えたが、将軍の仰った通り、陣形さえ崩してしまえば戦力差などあって無い様な物だな。この程度なら、我々とレヴェルト達だけでも事足りたかも知れんが……ふっ。冷徹を装う割に、つくづく身内に甘いお方だ。おまけに無自覚なせいで、コットやクロリの様な若い娘達はすっかり骨抜きなのだから、タチが悪いことこの上無い……いや、若い娘には限らん、か」
同志達の勇猛な闘いぶりを眺めながら、ウルスはそんな風に余裕の呟きを漏らし、豪雨の如く矢を放っている断崖の方へ視線を向ける。
「おいコラ!? 見えてんぞ馬オヤジっ! サボってねぇで、さっさとそっち片付けろや!」
……すると、反対の右舷の奥から乱暴で野太い大砲声が轟き、数千の兵達の絶叫すら押しのけてウルスの耳を直撃した。
「レヴェルト……。まったく、五月蝿い“暴れ牛”め。この乱戦の中、よくもまあ気付く物だ。それにしても、図体の割に狭量と言うか、女々しいと言うか……」
「テメェ! 今絶対俺の悪口言いやがったろっ!? そこで待ってろ! 今すぐ轢き殺して馬刺しにしてやるからなぁっ!! オラオラオラオラオラオラァッッッ!!!」
「「「ぎゃああああああああああああああああっっ!?」」」
視線に気付いただけならともかく、この乱戦の中で小さな呟きなど聞こえる筈も無いのだが、ウルスが言う所の『暴れ牛』こと『レヴェルト』は、野生の本能で察知したようだ。
荒々しい雄叫びが近付いて来ると共に、夥しい数の兵士達の悲鳴が木霊して行く。
「馬鹿者っ!? 持ち場を守れといつも言っているだろう!?」
「あ゛あ゛っ!? 馬はテメェだろうが!! 心配しなくても、テメェをぶっ殺した後に他の奴らも纏めて皆殺しにしたらぁっ!!」
注意している間にもすぐそこまで迫って来ているレヴェルトのあまりに粗野な物言いに、普段なら爽やかな笑顔で若者の戯言くらい聞き流しているウルスも、ため息と共にガックリと肩を落とした。
「はぁ……女王殿は何故、あのような可愛げのカケラも無い脳筋の野良牛まで拾われたのか。……いや、そう言えば女王殿も筋金入りの脳筋であったな。将軍も普段は温厚だが、頭に血が昇るとアレ以上に手が付けられぬし。……やはり、ここは小生が大人になるべき、なのであろうな」
迫り来る暴れ牛の軌跡を追う様に宙を舞う敵兵の肉塊や鎧の残骸を諦観の目で眺めなら、ウルスはコクりと自分の言葉に頷いて、再び駆け出した。
「そんなに小生を殺したくば、鈍重なその脚で追い付いてみよ! 追いつける物ならな!」
「んだとゴラァッ!? 上等だこの野郎ぉっ!! ブルルルルァァァアッッ!!」
ウルスの挑発が聞こえたレヴェルトは敵兵を蹴散らしながら飛び出し、雄々しい“二本の角”を振り乱して息巻く。
常人よりも二回りは巨大な筋骨隆々の肉体には、一本一本が硬質そうな輝きを帯びた緋色の毛皮が生え揃っていた。特徴が肉体に顕著に出る『獣人族』の中でも取り分け珍しい、顔まで“牛”に酷似したその容貌は、猛々しさと共にどこか神聖さも纏っている。
……もっとも、神聖さの方は本人の性格のせいで台無しだが。
「こちらだ暴れ牛! 少しでも主君の恩義に報いたくば、その有り余った剛力で幾千万の敵を討ち滅ぼしてみせよ!」
「難しい言葉使って誤魔化すなやぁ!? 俺が今一番ぶっ殺したいのはテメェだっつってんだろぉ!! 他の連中はついでだぁっ!! オラオラオラァッッ!!」
「「「ぐあああああああああああっっっ!!??」」」
ウルスは敵兵の群れに突っ込んでいく様に斬り込みながら、上手く自分を追うレヴェルトをコントロールし、まるでドミノ倒しの様に敵兵の数を減らして行く。
「ふん。何だかんだ言いつつも、しっかり働いているでは無いか。………さて、物のついでだ。気が乗らん“掃除”は、このまま小生と暴れ牛で終わらせてしまおう」
ウルスは中央に巨大な空白地帯が出来るほど一通り暴れ回る(主にレヴェルトが)と、まだ殆ど敵兵の数が減っていない……と言うより、『本来の味方』は一人も居ない、後方の敵陣に舵を切る。
*+++*
「何を遊んでいるんだ……獣共め」
切り立った崖の上から、その麗人は呆れた眼差しを戦場に向けていた。
騒々しい戦地にありながら静謐な空気を纏う彼女は、その手に携えた立派な新緑の弓を引き、標的をその翡翠の双眼に収める。
そして、側で見ているとゾッとするほどの凄まじい集中力で、正確無比に将校と思われる馬に跨った敵兵の頭を射抜いた。
「お見事。流石の腕前ですね。“姫君”」
「来ていたのか、小僧。世辞は構わんが、次に姫と呼んだら貴様もあの雑兵どもと同じ末路を辿らせるぞ」
いきなり後ろから声を掛けたレウに驚くでも無く、彼女は暗闇にあっても光り輝く黄金の髪を優雅に揺らして振り返った。
老獪なその口調とは裏腹に顔立ちは少女のようにあどけなく、白磁の肌は薄暗い黄昏時にあっても瑞々しい輝きを放っている。
レウは経験則から、口で言うほど彼女が怒っていない事は分かっているのだが、普通の人間と酷似した容姿の種族でありながら、あまりに“整い過ぎて”結果的に人間離れしているその美貌は、無表情でも迫力があり、つい気圧されてしまう。
特有の鋭く長い耳も笑っていれば愛らしいのだが、今はツンツンとした雰囲気を助長していた。
「ス、スンマセン……。ただあの、そろそろ良い歳なんで、小僧は勘弁して貰えないすか?」
「それは長命種である我らに、喧嘩を売っているのか? 姫などと嘯きがら、内心ではババアと罵っていると?」
ただでさえ切れ長な翡翠の双眼を細める麗人の圧を受け、指揮官であるはずの青年は思わず崖から転げ落ちそうになる。
「滅相もありません! 小僧が生意気言ってスンマセンでした!! もう一生小僧で良いです!! ……まあ、『ご主人』とか『将軍』とかよりは気安くて全然マシだし」
「む? 何の話だ?」
麗人の表情は相変わらずだが、コテンと小首を傾げる仕草はその美貌とギャップがあり、非常に愛らしい。実年齢とはかけ離れたあどけない顔立ちも相まって、大抵の男どころか女でも一撃でやられてしまうだろう。
「いや、こっちの話。それより悪かったな、レイラ。誇り高い『森の民』に、不意打ちみたいな真似させて」
「ふん……貴様は謝ってばかりだな。女の前で年齢の話を持ち出す無作法は改めるべきだが、そのような些事は気にせずとも良い。貴様は仮にも、我が『真名』を呼ぶことを許した男だ。それ即ち、我らが“王”たる証。配下である我が、戦の差配に文句を付ける道理など無い」
どこまでも尊大な態度でありながら、透き通る翡翠の瞳がレウに向ける眼差しには、嘘偽りない敬意が宿っていた。
「お、王って……。一応俺たちの主人は女王アルメリアなんだけど」
「我ら『森の民』が里を捨てる決意をしたのは、貴様に付いて行くと決めたからだ。愚民どもの中でどう認識されようと構わんが、我が従うのは、小僧、貴様だけだ。……それに、我はあの娘が好かん。幼子の身で我ら長命種に匹敵する知性を備えていると言うのに、抱く理想は酷く傲慢で独善的。その上、品性など無価値と言わんばかりの傍若無人ぶりだ。民族は違えど、あのような者が我と同じ王族だとは認められん。ましてや、主人と仰ぐなど論外だ」
「ははっ……手厳しいな。まあ、大体同意するけど」
レウは麗人……『レイラ』の辛辣な物言いに顔を引き攣らせながらも、基本姿勢が言いたい放題やりたい放題な主人の有様を思い起こすと、否定する気にはなれなかった。
「ふむ。残りは約半数、と言った所か。存外あの獣共も、遊んでいるように見えてそれなりに仕事はしているな。どうする、小僧? こちらの被害はほぼ皆無だ。敵兵がこのまま何の手も打って来なければ、当初の予定通り殲滅するが?」
同胞が放つ矢の豪雨と、ウルスやレヴェルト達地上部隊の活躍によって蹂躙される敵軍を見下ろしながら、レイラは事もな気にそう問いかける。
「わざわざお伺いを立てるって事は、何かアイデアがあるのか?」
「そんな大層な話では無い。と言うより、貴様が既にやった事を、もう一度やるか確認したかっただけだ」
「俺が?」
キョトンとするレウを、レイラの方もキョトンと見返して、すぐに綺麗な眉間に皺を寄せる。
「この程度、貴様ならすぐに察せると思ったが……。第一陣の密偵にやった事を、もう一度やるかと聞いているのだ」
「ああ、何だ。そう言うことか」
不機嫌な声音で告げられた答えに、レウは納得顔で頷いてから、すぐに首を横に振った。
「その必要は無いよ。あれは戦略と言うより、上手く行けば儲け物くらいの思い付きに過ぎない。それに、長期戦なら負傷兵を抱えさせるのは定番の嫌がらせだけど、今回は短期決戦だ。今の段階ではあまり意味が無いだろう。この第二陣で、事実上の決着は着く」
「だが、相手は一万の兵を残しているのだろう? 貴様がどこまで視えているのか知らないが、保険は掛けなくて良いのか?」
「ああ。保険なら別口で掛けてあるし、ハイウェルの器が俺の想定を上回って来なければ、もう詰んでる。それに敵兵は見ての通り、練度が低く経験も浅い雑兵の集まりだ。万が一、不確定要素で盤面がひっくり返って一万の兵に逆襲されても、お前達なら叩き潰せるさ」
「………」
奢るでも見栄を張るでも無く、ただ淡々と事実を述べるようにこの先の勝利へと続く戦局を語るレウを、レイラは翡翠の瞳に僅かな憂いを浮かべ、じっと見定める。
「貴様がそう言うのなら、勝利は揺るぎないのだろう。……だが、その“業”を、一人で背負う必要は無いのだぞ?」
「ははっ、それこそ大袈裟だなぁ。俺は別に、そんな大層なもん背負ってないぞ?」
自然に笑ってそうはぐらかす青年の顔を見ながら、「芝居がいくら上手くなっても、心根は変わらんだろうに……」と、レイラは声に出さず呟く。
「貴様は我らの王だが、我らとは違う。己が同胞だけでなく、奴らも……人間も、愛しているのだろう? そうでなければ、人の群れの中に溶け込む事など出来はしない」
「………はぁ。お前と言いウルスと言い、長く生きてる賢人には敵わないな」
レウは翡翠の瞳から逃れるように視線を逸らし、肩を竦める。その道化じみた仕草もまた強がりなのだと、レイラは容易に悟った。
「否定はしない。奴隷民族も、そうでないこの国の人間も、等しく同じ作りの頭で考え、同じ形の心を持っていると、俺は思っている。……この十年、国中を見て回って、人間の中にも恩義を感じる相手や、好感を持てる連中は沢山居たからな」
ポツポツと本音を吐露する青年を、レイラは痛ましそうに見つめる。……が、その瞳はすぐに見開かれる事となった。
「それでも、俺は人間を許さない」
真っ直ぐに自身を捉えた青年の瞳に、レイラは釘付けになる。
背筋が凍る程の寒気に襲われていると言うのに、胸の内は心臓が張り裂けたかと錯覚するほど、熱く脈打っている。
「考える頭があって、情に溢れた心があるのに、奴らは当然のように俺たち奴隷の尊厳を踏み躙り、陵辱する。自分達がどれほど傲慢で、醜い生き物なのか、カケラも自覚せずに。……そんな奴らが、“俺の世界”を支配しているなんて、許せないだろ?」
虚な声が木霊すると共に、光を失った灰色の瞳が、その魂を燃やす憎悪の業火を現すかの如き深紅に染まる。
奇しくも、青年の背後に登る月もまた、黄昏の紅い輝きを放っていた。
「だから俺は、覇道を行く。俺たちに弱者の枷を嵌めた人間を、この世界を、否定する為に」
今この時、レイラの瞳に映っていたのは冴えない旅人でも、忠実な女王の飼い犬でも、況してや道化を演じる小僧でも無い。
森の姫君がその真名と敬愛を捧げる、紛れも無い“王”だった。
「どれだけの罪咎を背負おうと、どれだけ多くの物を失おうと、歩みを止めるつもりは毛頭無い。……『森の民』が長、レイラ。お前が俺を王と仰ぐのなら、躊躇うな」
王は姫君に背を向け、一際冷酷な声音で命じる。
「皆殺しだ」
彼女の返事を待たず、王……レウは、崖の上から飛び降り、暗闇に呑み込まれて行った。
「……本当に、どこまでも愚かで、憐れで、そして……愛おしい男だな。貴様は」
青年の姿など当に消えていると言うのに、暗闇を見つめ続ける翡翠の瞳には、憐憫や情愛などと言う言葉だけでは言い表せない、複雑な想いが宿っていた。
……だが、一度瞼を閉じれば、その瞳にはもう王の背を追う姫君の眼差しは無く、一人の長として、そして配下としての誇りが燃え盛る。
「勅命だ! 同胞達よ! 我らが王の敵を、一人残らず討ち滅ぼせ!!」
気高い声音でその号令が放たれた直後、敵兵に降り注いでいた矢の豪雨は、逃げ場の無い激流へと姿を変えた。
今話もお読み頂き、ありがとうございました。




