ーーーー ご主人 ーーーー
「ま、まさか、こんな形で街を出ることになるとは……」
俺はゼェゼェと息を切らせながら、街からほど近い山の上にへたり込んだ。
「この程度でだらしないにゃ~? ご主人、なまっとるんとちゃう?」
「誰のせいだと思ってんだ! この馬鹿猫っ!」
「ぎにゃっ!? い、痛いにゃぁ~……」
俺はそこそこ力を込めて、つい今し方まで荷物と化していたこの残念な猫娘の頭をシバく。
涙目でこちらを恨めしそうに見て来るが、もう甘やかしはしない。
「あの街にはもう用が無いから良かったものの、一歩間違えれば全部台無しになる所だったんだぞ? 分かってるのか?」
「で、でも、アイツがご主人のこと、もやしってぇ……」
「だから何だ? 俺が小物に侮られた程度で心を乱すとでも? お前の方こそ、俺のことを舐めてるんじゃないのか?」
「ち、違っ!? ウ、ウチは、そんなつもりじゃ……っ。うぅっ、ひぐっ……」
俺が本気で怒っていると悟ったコットは堪らず嗚咽を漏らし、涙を溢れさせる。その姿に心が痛むが、ここで甘さを見せる訳にはいかない。
俺たちが生きている世界は、これから進もうとしている道は、たった一つの間違いで全てを失いかねないのだから。
「あんな目立つ場所で騒ぎを起こして、もし情報収集や仕込みがまだ不十分だったら、どうするつもりだった?」
「それ、は……ウ、ウチが頑張って、何とかっ!」
涙を無理やり拭い、掠れた声で希望的観測を口にするコットを、俺は冷め切った声で突き放す。
「殺しぐらいしか脳の無いお前に、何が出来る?」
「っっ………うぅ……」
「お前が目の前の敵を一人殺している間に、知らない場所で仲間が十人殺されたらどうする? お前が一人で十人分働いても、相手が百倍以上の戦力だったら?」
「っ………何も、出来ない。……ごめんなさい」
俺から目を逸らしたままだが、コットは素直に自分の非を認める。
彼女とて、頭では分かっているのだ。感情が先走ってしまうだけで。
「コット。何度も教えた事だが、もう一度頭と心に刻め。俺たちは、“常に圧倒的不利”なんだ。頼れるのは数少ない仲間達と、自分自身だけ。だからこそ、戦う前に打てる手は全て打つ。お前たち『夜行楼』の仕事が暗殺という“切り札”なら、俺の役目は謀略と言う名の“イカサマ”だ。だから、カードを配るのは常に俺でなくてはならない」
「……うん。ウチが初めてご主人と会った時も、そうやった。でも、それはご主人が、出来ること全部やって、準備しとったから」
「そうだ。ゲームが始まってから参加するんじゃなく、ゲームが始まる前に場を掌握し、支配する。……そこまでやっても、圧倒的不利を覆せるかは分からない。だからこそ先手を打てなければ、その時点で俺たちは負けが確定する。思いつく限りの手を尽くし、常に万全の状態で戦いを始めなければならない。言いたい事は分かるな?」
俺がそう念を押すとコットは深く頷き、目の端からポロポロと涙を溢す。
「ごめん、なさいっ……。ご、ご主人の、邪魔、して、ごめんなさいっ。ウチっ、ウチは、仲間の誰にも、死んで欲しく、ないよぉっ……うわぁぁぁんっっ!!!!」
自分が何をしたのか、しっかりと理解出来たのだろう。彼女は幼子のように声を上げて泣きじゃくり始めた。……汚れ仕事には慣れていても、中身はまだ子供なんだよな。
「分かったなら良い。俺のために怒ってくれるのは嬉しいが、今後はもう少し自重してくれよ? おっと……」
説教はもう十分だろうと俺が表情を緩めれば、コットは我慢の限界と言わんばかりに抱き付いて俺の胸に顔を埋める。
「うっ、うっ、うん……もう、しないっ! こ、今度から、誰にも、バレない所で、やるからぁっ! うあああああああんっっ!」
「いや、そういう問題じゃ………まぁ、一応これも一歩成長、なのか? ………はぁ」
俺は彼女の頭を撫でて宥めながら、「結局最後は甘やかしてしまうんだよなぁ」と、心中で呟き、自嘲のため息を吐いた。
*+++*
ご主人の腕の中で泣き疲れたウチは、いつの間にか眠っていた。
興奮して熱くなった身体を包み込む、ご主人のひんやりとした肌の感触が心地良い。
だからきっと、あの頃の夢を見たのだ。
ご主人が、まだウチのご主人じゃなくて、伯爵でもなかった、二年前。
“ただのレウ・ドロス”が、『北方半島』を戦火で焼いた、あの時を。
『な、なんっ……で………?』
白兵戦で致命傷を受けた『人間』の兵士が、血と土埃で汚れた体を引き摺るように、地べたを這いずっていた。
自らの死を悟って絶望に染まる瞳が見上げていたのは、絶えず吹き荒れる血風の中で悠然と佇む、漆黒の軍服を纏った一人の青年。
兵士は、縋るように彼の軍靴に手を伸ばす。
青年は無表情のまま、その手を踏み付けた。
『っっ!?』
『………』
ゴリッ、ベキッ……と、ゆっくりと音を立てて、青年は兵士の手の骨を硬い靴底で踏み折る。
『ぁっ、あ゛あ゛ああああっっ!?』
『“なんで?”、だと?』
まるで兵士の絶叫など聞こえていないかのように、青年は静かに、けれど熱い吐息と共に問い返した。
『俺はお前等と同じ事をしているだけだぞ? 人間』
ベキッ、ボキッ。
『あ゛あ゛ああっ!? なっ、何のっ、事だ!? うっ、うぅっ………わ、我々は、お前をっ、女王をっ、信じ、て………』
『そうだな……答えは、お前が酒宴の席で、“俺の本当の仲間”に言った事だ』
折る骨が無くなった兵士の手から軍靴を上げ、青年は一度瞑目した。
そして、もう一度その瞼を開くと、荒野の様に灰色だった瞳が、暁月を思わせる紅に染まっていた。
『お前等は、馬鹿だから使い潰されるんだよ』
兵士の顔が蒼白になったのは、致死量の血を垂れ流したからか、或いは自身の愚かさを悟ったからか。
何れにしても、その答えを知る術はもう無い。兵士は目を見開き、絶望と苦痛に顔を歪めたまま事切れていた。
青年は、自身の瞳を覆うように片手で顔を押さえると、肩を振るわせる。
『……くはっ、ははっ、ははっ、あはははははははははははははははははははっっ!!』
やがて声を上げて笑い出し、戦場の真ん中で天を仰いだ。
『っっっっっっっっ!!』
戦場の片隅で瓦礫の影に隠れていたウチは、その悪魔の様な笑い声を聞いて、狂った王の如き振る舞いを見て、震えが止まらなかった。
彼が恐ろしかった。今まで出会ったどんな酷い仕打ちをして来る人間よりも。
だからきっと、本能的に悟った。
この青年が、否、この“雄”が、ウチの運命を変えてくれると。
“この雄のモノになりたい”。
生まれて初めて、身体の芯から熱く焼けるような衝動が溢れ出しだ。
初恋なんて甘酸っぱくも、生易しくもない、けれどウチの一番大切な思い出。
……いつかご主人が、あの紅の瞳にウチだけを映して、ウチの全てを貪ってくれるその日を、あの日からずっと、夢に見ている。
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