ーーーー 少女の飼主 ーーーー
「ふぅ……流石に食い過ぎたな。気前が良いにしても、もう少し手加減して欲しいもんだ」
下の酒場でいつも通り安酒と食事を楽しんだ俺は、ベッドへ仰向けに転がった。
「今日は大した収穫も無かったが……まあ、今の所は順調そうで一安心、てとこかな」
風呂は酒を飲む前に済ませたし、このまま寝ても良いのだが、もはや習慣となっている収集した情報の精査を頭が勝手に始める。
この目で見た物、出来事、出会った人物達との会話などを一通り整理し、頭の中の書庫へ分類して纏めて行く作業。……その過程で、『仕事』にはあまり関係無いが、引っ掛かった言葉がある。
『“奴隷”は絶対ダメよ! アンタが出て行った後、次のお客さん入れられなくなっちゃう!』
何の悪気も無く酒場の娘が口にしたその言葉を反芻し、思わず苦笑が漏れた。
「……ふっ。我ながら少し大人気なかったな。他人から貰った教養を笠に来て、偉そうに講釈垂れるなんて」
表情や態度は変えなかったつもりだが、娘のその言葉に思わず反発してしまったのは自覚している。彼女はただ、“一般論”を口にしただけだと言うのに。
……このまま寝る気分にはなれないな。酔ってはいないが、少し夜風に当たって来るか。
身なりを軽く整え、音を立てぬよう廊下に出る。他の客は寝静まっているのか、物音は殆どしない。僅かにギシギシと、家鳴りのような音がする程度だ。気にするのも無粋という物だろう。
酒場に降りる階段とは別に、宿の客が出入りする為の裏口へ続く階段がある。俺はそちらをこそこそと降りて外に出た。
「夜中でも、まだそこまで寒くは無い、か……」
この『カロリナ地方』は、一年を通して暖かい気候の季節が長く続く。冬と呼べるほど気温が下がる時期は無く、七割が春、二割が夏、一割が秋と言った具合だ。
故に、他の地域に比べ森や畑は多くの実りを与え、狩や牧畜も盛んに行われている。食糧難とは無縁の土地柄もあって、住人も温厚で気の良い者達が多い。
「……だから、少しだけ期待していたんだがな」
我知らず、そんな独り言が漏れる。一応周囲に人の気配が無いことを確認しているとは言え、少し気が緩み過ぎているのかも知れない。それくらい、この街の平和な空気に当てられているのだろう。
そうして自嘲しながら、静まり返った街の中を、俺はゆっくりと歩き出す。夜中と言うこともあって、窓から灯りが漏れている建物は殆ど無い。
「……ん?」
暫く歩いていると、小さな人影が見通しの悪い路地裏を横切った気がした。子供が一人で出歩くような時間では無いが……。
俺は気になって、人影が見えたあたりまで一先ず向かう。
温暖な気候故の湿度の高さは狭い路地に足を踏み入れた途端、ジメジメとした不快感に変わる。眉を顰め、気分を害しながらも早足に奥へと進むと、そこには月明かりに照らされた小さな井戸があった。
「んっしょ……んっしょ……っと!? ……ふぅ」
水がいっぱいに入った重い桶を、危なっかしい手付きで必死に引き上げていたのは、まだ幼い子供だった。
ボロ切れのようなダボダボのシャツを一枚だけ纏い、伸びっぱなしの髪を汚い紐で纏めた、見窄らしい少女。
「……」
この国では珍しく無い、見慣れた光景だ。この数年、国中を旅して回っているが、似たような子供は数え切れないほど目にして来た。……それでも、湧き出すこの怒りと、押し付けがましい同情を、俺は捨て去る事が出来ない。
「こんばんは。こんな夜中に大変だな」
俺はそんな心中をおくびにも出さず、少女に笑いかけた。
「へっ!? わっ、わっ、も、申し訳、ありません!?」
「おいおい、いきなり話し掛けたのは俺の方だぞ? 君が謝ることなんて何も無いさ」
彼女がどうして謝ったのか。
分かり切っているくせに、俺は素知らぬ顔で空っぽな慰めを口にする。
「い、いえっ! こ、こんな汚い、姿を、見せてしまい、も、申し訳、ありませんっ! ご、ご主人様に、ほ、他の方の、お、お目汚しに、なるから、外に出る、仕事は、夜中にやれ、と、言われて、いる、ものでっ」
嗚呼、そうだろうな……と、俺は口の中に広がる苦味を堪えながら、心中で呟いた。
酒場の娘の言葉では無いが、一目見れば分かる。彼女は、“奴隷”だ。
薄汚れた身なりに、一般人が寝静まった後に強制される労働。そう言った状況だけでも奴隷だと考えるには十分だが、俺はもう少し踏み込んだ観点からも、そう判断する。
奴隷と呼ばれる者達には、その外見に普通の“人間”とは異なる特徴がある。
身体のどこかに、普通の人間には無い器官、又は同じ器官でも形状の異なる物が存在する。
これが“人間のなり損ない”と言われる、最も大きな所以だ。
そして彼女の場合は恐らく……『耳』だろう。
「こんな夜中にブラブラしていた俺が悪い。仕事の邪魔をした詫びに良かったら、その桶を運ぶのを手伝わせてくれないか?」
「っっ!? ………い、いえ、そんな施しを、頂く、訳には……。わ、私が、悪いのでっ。ほ、本当に……」
俺は親切な男の仮面を被って、彼女を観察する。
纏めた髪の中に上手く隠しているが、俺が手を差し出した瞬間、ビクりと頭頂部の左右が震えた。
……やはり『獣人種』か。
今の反応で、彼女がこれまでどんな仕打ちを受けて来たのか大体予想が付いた。
人の手に怯えるのは、日常的に暴力を受けている可能性を示唆している。そして、手伝おうと言った俺の申し出を聞いた瞬間、警戒感が増して猜疑心が瞳に浮かんだ。
奴隷に親切にする人間は、圧倒的少数派だが全く居ない訳でも無い。
ただ、その圧倒的少数派の中でも、『本当に親切心を持っている人間』は、更に稀だ。
では、親切心以外の動機で手を差し伸べる人間とは? ………簡単だ。
“奴隷を買う金も無い貧乏人で、性欲を持て余している者”、だ。
そういう人間は、彼女のように主人の元を離れて働いている奴隷に声を掛け、甘言を吐き、断り辛い状況を作って陵辱する。
他人の奴隷を一方的に強姦すれば当然罪に問われるが、同意、或いは奴隷から誘われたという事に出来れば、奴隷が主人に罰されて終わる。
実際に犯された経験があるのかは分からないが、彼女の反応を見るに、以前それに近しい状況を体験したのは明白だ。
「そうか。仕事の邪魔をしてしまったな。俺はもう行くよ。……あ、君のご主人様の名前を聞いといて良いかい? もし俺のせいで水を持って帰るのが遅れて、迷惑を掛けることになったら一応謝りたいからさ」
「そ、そんな……。謝ること、なんて、無いと、思います、が……え、えっと、『エリオ・クレバス』様、です」
「っ! ……分かった。俺は暫くこの街にいるから、何かあったら声を掛けてくれ。飯くらいは奢るよ。それじゃ」
「あっ……」
俺は彼女の返事を待たず、路地の暗がりへと戻る。
予想していた事とは言え、どうしても落胆してしまう。
奴隷に対する扱いは人それぞれ。とは言え、基本的にこの国の慣習では家畜以下のそれだ。
故に、そこには個人の人間性よりも、それが当たり前だからという集団心理が強く働く。
……何が言いたいのかと言えば、“人間同士”で接している時は善良な者だったとしても、奴隷に対してそうとは限らない、と言う事だ。
少女の奴隷が口にした、『エリオ・クレバス』と言う人物。
彼は、俺が宿を借りている、酒場の気の良い親父だった。
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