フェルネスの成長
※本作は『皇女の帰還―約束の耳飾り―』の前日譚にあたる外伝です。
※本編をお読みになってからの閲覧をおすすめいたします。
※本編よりも重い描写やつらい場面が含まれる場合があります。該当する話には、前書きにて個別に注意書きを記載いたします。
フェルネスは三歳になった。
見た目は七歳ほどの大柄な子供で、姉によく似た顔立ちをしていた。
しかし、動きは三歳児とは思えぬほど素早い。
乳母では対応しきれず、ロザーリアがほとんど一人で面倒を見るようになっていた。
クラウスは騎士見習いとして城に通い、剣の腕を磨いていた。
いや、磨いていたというより、すでに騎士たちの師範のような立場になっていた。
最初こそ「黒髪」と敬遠されていたが、その圧倒的な強さから、いつしか「黒髪の魔獣」と呼ばれるようになっていた。
背もますます伸びていた。
ロザーリアはフェルネスの育児に没頭し、
アルフレッドは城の図書室に入り浸って研究に明け暮れていた。
あれから、ルドルフとレオニスは話し合い、フェルネスをルドルフの実子として扱うことにした。
「あれは、自分の息子の名前すら知ろうとしない……」
ルドルフは、深くため息をついた。
ある日、フェルネスはクラウスと散歩をしていた。
木の枝に止まっている鳥を見つけると、ふいに人差し指を向けた。
次の瞬間、その鳥が木から落ちた。
「……すごい命中率だな。末が恐ろしい」
クラウスは驚きと感嘆の息を漏らす。
「これからは、私がそなたに魔法と剣を教えよう」
こうして、クラウスによる遊びを交えた魔法と剣の稽古が始まった。
そしてもう一人、アルフレッドもまた、フェルネスに文字や計算を教え込んでいた。
「面白いように覚えていくぞ。これは頼もしい」
二人に導かれ、フェルネスはどんどん成長していった。
五歳を過ぎる頃には、すでに十歳ほどの背丈になっていた。
知力も、剣技も、魔力の扱いも、見た目に劣らぬほど伸びていた。
だが――
「ロザーリア姉上」
フェルネスは、相変わらずロザーリアにべったりだった。
「体は大きいが、中身は五歳だなあ……」
クラウスが笑う。
「だって、姉上が大好きなんだもん」
フェルネスは頬を膨らませた。
「仕方がないわよね……」
ロザーリアはやれやれという顔をしながらも、その表情は優しかった。
その間にも、ロザーリアの背は伸び続けていた。
すでにサマンサを抜き、男性としては小柄なアルフレッドの背も越えている。
クラウスも成長期に入り背が伸び始めていたが、それでもまだロザーリアの方が高かった。
「フェルネス、アルフレッドと勉強の時間だ。私はロザーリアと剣の稽古をする」
クラウスが言うと、フェルネスはすぐに首を横に振った。
「いやだ! 僕も一緒にする!」
結局、クラウスはロザーリアとフェルネス、二人を同時に相手することになった。
もちろん、圧倒的にクラウスの方が強い。
「いつか、クラウス兄上に勝ちまする!」
フェルネスはそのたびに悔しそうな顔をした。
「早くその日が来るとよいな」
クラウスは笑った。
フェルネスが七歳に近づく頃、アルフレッドは「修行に出る」と言い、屋敷を出ていった。
「アルフレッド兄上は、いつ帰ってくるの?」
最初の頃、フェルネスは何度も尋ねていた。
だが、やがて何も言わなくなった。
第一王子だったレオニスは十六歳で成人し、王太子に立太子していた。
多忙な合間を縫っては、フェルネスの顔を見に来ていた。
ロザーリアも兄を助けるため、王女として表舞台に立つようになった。
騎士としても活動していた。
クラウスも城の護衛として忙しくなり、フェルネスは寂しい思いをするようになった。
やがて彼は一人で屋敷の周りの森に入り、魔獣を狩ったり、魔石を探して拾ったりするようになっていった。
雨の日には、アルフレッドが残していった本を読み漁った。
「今日の成果だよ」
フェルネスは魔獣と魔石を執事のハンスに見せる。
「サマンサ叔母上は?」
サマンサは病の床にあった。
もともと、あまり体が丈夫ではなかったのだ。
「叔母上」
フェルネスが病床のサマンサを見舞うと、サマンサは起き上がり、そっと彼の手を握った。
「今日は何をしていましたか?」
優しい目で問いかける。
「四つ足の、これくらいの魔獣を狩りました」
フェルネスは両手を広げて、その大きさを示してみせた。
「まあ、すごいこと。さすがは王子です」
サマンサは目を細めた。
「僕は王子じゃないよ。叔父上と叔母上の子供です」
その言葉に、サマンサは嬉しそうな、そして少し寂しそうな目をした。
「いいえ。必ず、王子として認められる日が来ます。その日のために、鍛錬を怠ってはなりませんよ」
後日、サマンサは静かに息を引き取った。
王弟の妻とはいえ、内縁であり、平民出身でもあったサマンサの葬儀は、知らせを聞いて駆けつけたアルフレッド、クラウス、ロザーリア、フェルネス
、そして執事をはじめとした屋敷の者たちだけで執り行われた。
葬儀を終えると、ルドルフはますます国に戻らなくなった。
ハンスも年齢を理由に隠居し、故郷へ帰っていった。
屋敷は、少しずつ静かになっていった。
それでもフェルネスは、元気いっぱいだった。
一人で森を歩き回り、魔獣を慣らそうとしたり、魔石を探したりして過ごした。
一人でいる時間は、少しずつ増えていった。
それでもロザーリアは、必ず夜には帰ってきた。
「今日もいい子だったわね」
そう言って抱きしめられるひとときが、フェルネスにとって何より幸せだった。
クラウスも時間を見つけては、剣の稽古をつけ、魔法を教えた。
――いつか、必ず王子として認められる。
そう言ってくれたサマンサの言葉を胸に、フェルネスは鍛錬に励んだ。
そんなフェルネスが、クラウスには愛しかった。
――フェルネス九歳の頃――
エルドリア王国を挙げての剣技大会が開催された。
出場資格は十六歳以上。
フェルネスはまだ九歳のため出場できず、侍女に連れられて観客席に座っていた。
「あ、姉上と兄上だ」
フェルネスは貴賓席を指さした。
そこにはロザーリアとレオニスが座っている。
「フェルネス様、ここではその呼び方はいけません」
侍女がそっと人差し指を唇に当てる。
フェルネスはこくりとうなずき、競技場へ視線を戻した。
――その中に、ひときわ目立つ姿があった。
長身のクラウス。
金や茶の髪が多い中、青みを帯びた黒髪は際立っていた。
そして――
次々と相手を打ち倒していく。
「……すごい」
フェルネスは思わず息を呑んだ。
「本当に見事でございますね」
侍女も感嘆の声を漏らす。
やがて決勝戦。
クラウスは難なく相手を下し、優勝を決めた。
「兄上が……」
フェルネスの目が輝く。
国王が立ち上がり、クラウスに優勝者の冠を授ける。
「さすがだ。我が甥として誇らしい」
そして続けて言った。
「褒美を与えよう。望みは何だ?」
クラウスは顔を上げ、一歩前に出た。
「――失礼いたします」
そう言って向かった先は――
ロザーリアの前だった。
その場にひざまずく。
「ロザーリア王女を、我が妻とする事をお許しいただきたく存じます」
観客席がどよめく。
ロザーリアの顔が真っ赤に染まる。
(フェルネスは望遠の魔術で、それをしっかり見ていた)
国王はうなずいた。
「よかろう。あれは背も高く、体つきも普通の女とは違う。
嫁の貰い手に困るであろう。そなたが引き取るなら願ってもない」
歓声が一気に湧き上がった。
こうして――
ロザーリアとクラウスの婚約は、その場で決まった。
「本国に報告せねばならぬ。日程を整えよ」
国王が配下に命じる。
「……本国が絡むと、急に真面目になるのですよね」
レオニスが小さくぼやいた。
「外面だけは立派ですわ」
ロザーリアもうんざりした顔をする。
「本当の目的は、アストリアの王女だ。現王太子の妹だ……たいそう溺愛されているらしい」
「その方を、お兄様のお嫁さんに?」
ロザーリアが目を輝かせる。
「違う。自分の妃にしようとしている」
レオニスは肩をすくめた。
「そのための口実だ。今回の婚約報告などはな」
「じゃあ……クラウスの求婚も、その延長?」
ロザーリアの顔が曇る。
「本気にしてしまったじゃない……」
そのとき――
「何の話だ?」
クラウスが近づいてきた。
「婚約おめでとう」
レオニスが笑って言う。
「ありがとうございます。これで兄上とお呼びできますな。アルフレッド兄上がどう反応するか……」
ふとロザーリアを見る。
「……なぜ怒っている?」
「私との結婚が嫌なのか?」
クラウスの顔が曇る。
「事前に許可は取っていたが……そなたの気持ちも同じだと思っていた」
顔が青ざめていく。
ロザーリアは視線を逸らした。
「……私なんかでいいの? 全然女らしくないし、ドレスも似合わない。案山子みたいな女よ」
クラウスは一歩踏み出す。
「そなたでなければならぬ」
はっきりと言った。
「フェルネスを我が子のように慈しむその心。強さと優しさ……そのすべてに惹かれた」
「外見も含めて、すべてだ」
「国王に言われたからではない。最初に会ったときから――そなたが好きだ」
ロザーリアは目を見開いた。
「……ロザーリア。素直になりなさい」
レオニスが優しく言う。
そのとき――
「クラウスは、本当の兄上になるの?」
フェルネスが駆け寄ってきた。
瞳は、期待と喜びでいっぱいだった。
「ああ」
クラウスは笑う。
「そなたの兄になる。……認めてくれるか?」
「やったあ!」
フェルネスは飛びついた。
「ずっと一緒にいてくれるの?」
その声は、どこか必死だった。
サマンサを失い、ハンスも去り――
ずっと一人で耐えてきた時間があった。
ロザーリアがそっと言う。
「前のように……にぎやかな家に戻しましょう」
クラウスは問い返す。
「それは――受け入れてくれるという意味でよいのか?」
ロザーリアは小さくうなずいた。
「はい。よろしくお願いいたします」
フェルネスの顔に、満面の笑みが広がった。
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