生きてさえいれば(最終回)
※本編の前日譚にあたる外伝、最終話です。
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「おかえりなさい。あら、エリアスも一緒なの? ずいぶん遅かったのね」
ロザーリアが、屋敷の前で待ち構えていた。
その姿に、フェルネスとエリアスは顔を見合わせた。
体全体がふっくらとし、腹が膨らんでいたのだ。
「ロザーリア、そなた……」
エリアスの言葉は、そこで止まった。
フェルネスも目を見開き、固まっていた。
「あは……実はね、身ごもっていたの。
ずっとわからなかったのだけれど、最近お腹が目立ってきたわ。
あと二か月くらいで生まれるみたい」
ロザーリアは、愛しそうに腹をなでる。
「あの人が帰ってきたら驚かそうと思っているのよ。
クラウスはどうしたの?」
笑顔で問いかけられ、フェルネスは一瞬息を詰めた。
「まだ、あちらでの後始末に追われていて……。
私は未成年だったので、先に帰していただきました……」
とっさにそう答える。
「そうなのね。仕方ないわね。
生まれるまでに帰ってきてくれるかしら。
とにかく二人とも、中に入ってちょうだい」
ロザーリアは先に屋敷の中へ入っていった。
残された二人は、顔を見合わせる。
「あと二か月……」
フェルネスの脳裏に、亡くなった赤子を抱いて涙を流していた少年の姿がよぎった。
「ショックで死産など……ありませんよね?」
フェルネスはエリアスを見る。
「わからない。だが、今は黙っているしかあるまい……」
二人は互いにうなずき、屋敷の中へ入っていった。
それから数週間が過ぎた。
エリアスは一度戻り、そして再び訪ねてきていた。
「あとひと月だ。国王陛下にも、ロザーリアの耳に入らぬよう手配していただいた。
レオニス殿の耳にも入れておいた。
しばらく伏せてくれるそうだ。
かなりショックを受けておられたが、ロザーリアのことを心配していた」
「ありがたく存じます」
ひとまず安心したフェルネスは、自室に戻った。
椅子に座り、懐に手を入れる。
そして、クラウスの指輪を取り出した。
じっと見つめる。
その時、部屋の扉がノックされた。
フェルネスは慌てて指輪を懐に戻そうとした。
だが指輪は手を離れ、床に落ちる。
そして、まるで意志を持つかのように、扉の方へ転がっていった。
「入るわよ」
ロザーリアが扉を開けたのと同時に、指輪がその足元に当たった。
「……?」
ロザーリアがしゃがみ込み、それを拾おうとする。
フェルネスは慌てて取り上げようとしたが、遅かった。
ロザーリアは一瞬で指輪を拾い上げ、まじまじと見つめた。
「これは……」
その顔色が変わる。
「これは、あの人がいつも付けていた指輪。
なぜ今、ここにあるのです?」
フェルネスは必死に口を動かした。
「行った先で、兄上から、少し預かったのでございます。
大事な物だから持っていてほしいと……」
ロザーリアとフェルネスの間に、重い沈黙が落ちた。
「嘘ね」
ロザーリアの声が低くなる。
「この指輪を外すのは、自分が死ぬ時だと前に言っていたわ。
あなたもその場にいたでしょう。本当のことを言いなさい」
その目には、怒りに近い光が宿っていた。
フェルネスは必死に首を横に振る。
「本当に、ただ預かっただけでございます。本当です」
「あなたも未成年とはいえ騎士でしょう!
本当のことをおっしゃい!」
ロザーリアの声が響いた。
扉が開いていたため、その声は屋敷中に届いてしまった。
屋敷の者たち、そしてエリアスが駆けつけてくる。
「ロザーリア、フェルネスを責めるのはやめてくれ。
私が口止めしたのだ。そなたの身を案じた」
「義兄上!」
フェルネスが叫ぶ。
エリアスは静かに首を振った。
「私が間違っていた。申し訳ない」
そして、ロザーリアへ向き直る。
「クラウスは、国王陛下の妹殿下と甥殿を守り抜き、任務を立派に果たした」
フェルネスは涙を流しながら膝をついた。
「その指輪は、姉上に渡してほしいと、死の間際に私へ託されたものです」
声が震える。
「そして……『帰りたかった』という言葉を残して、逝かれました」
しばらく、奇妙な静けさがその場に漂った。
ロザーリアは指輪を握りしめ、遠くを見るような目をした。
「そうだったのね」
小さくつぶやく。
「――約束を、果たそうとしてくれていたのね」
それから、ゆっくり顔を上げた。
「この指輪は、私が預かるわ」
そして、エリアスとフェルネスを見る。
「二人とも、私のことを心配して、今まで黙っていてくれたのね。ありがとう」
かすかに微笑む。
「でも、私は大丈夫。覚悟はできていたから」
ロザーリアは体を翻した。
「少し部屋で休むわ。大丈夫だから、心配しないで」
そうして数歩歩き出したところで――
「うっ……」
小さなうめき声とともに、その場にしゃがみ込んでしまった。
「姉上!」
「ロザーリア!」
「奥様!」
その場にいた者たちが、慌てて駆け寄る。
「産気づかれたのかもしれません。早く医師を!」
年嵩の侍女が叫んだ。
フェルネスはロザーリアを抱きかかえ、部屋へ運んだ。
「姉上、大丈夫でございます。兄上が守ってくださいます」
フェルネスは力強く言った。
「さあ、男性方は出て行ってちょうだい。これからは女たちの闘いです。男は邪魔!」
フェルネスとエリアスは部屋から追い出されてしまった。
ほどなくして医師が駆けつけ、扉の向こうからロザーリアのうめき声が聞こえてくる。
そこへ、五歳になったばかりのカイレスが侍従に連れられて現れた。
「父上、叔父上、どうしたのですか?母上は?」
「急にお産が始まってしまった」
「生まれるのは来月ではなかったのですか?」
幼いカイレスがきょとんとした顔をする。
「早まってしまったのだ」
エリアスはカイレスを抱き上げた。
数時間が経過した。
カイレスは「生まれるのを待つ」と頑張っていたが、
やがて眠ってしまい、侍従に連れられて部屋へ戻っていった。
フェルネスは組んだ両手を握りしめ、祈っていた。
「兄上……姉上を守ってください」
夜になり、辺りが闇に包まれる。
その時だった。
「ほぎゃー」
柔らかな産声が、静まり返った廊下に響いた。
部屋から侍女が飛び出してくる。
「生まれました。少し小さめですが、元気でございます。女の子です」
フェルネスの目に涙が浮かんだ。
「無事に……生まれた……」
「よかった……」
エリアスも全身の力が抜けたように、その場に手をついた。
「ただいま、後の処置をしております。もう少しお待ちください。母子ともに健康です」
それからしばらくして――
フェルネスとエリアス、そして起こされたカイレスの三人が、部屋へ案内された。
疲れた顔をしているが、優しい微笑みを浮かべたロザーリア。
その横には、小さな赤ん坊が寝かされていた。
黒い髪。
そして、深い緑の瞳。
「髪の色と瞳の色がクラウスと同じだ!」
エリアスに抱かれたカイレスが声を上げた。
「妹なのに、僕と違う色なんだね」
「そういうこともあるのだよ。だが、そなたの妹だ。かわいがるのだぞ」
エリアスが静かに言う。
フェルネスは赤ん坊の顔をじっと見つめていた。
その小さな命に、何か懐かしいものを感じる。
そして――
「また会えました……兄上」
ぽつりと、そう言った。
ロザーリアの瞳から涙がこぼれる。
「そうね……帰ってきてくれたのね」
フェルネスは深く頭を下げた。
「姉上、ご出産おめでとうございます」
その時、ふと、クラウスが妹殿下に語った言葉が脳裏によみがえる。
――生きていれば、生きてさえいれば必ず会える
フェルネスはゆっくりと窓の外を見つめた。
「本当に……そうですね……兄上」
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赤ん坊は、亡き王妃の名を受け継ぎ――
「ターシャ」と名付けられた。
小柄ながらも、しっかりとした生命の力を宿し、すくすくと育っていく。
失われた命。
守りきれなかった想い。
それでもなお、残された者たちは歩み続ける。
――生きていれば、生きてさえいれば、必ず会える。
その言葉の意味を、誰もが胸に刻みながら。
小さな命は、確かにこの世界に息づいていた。
そして、やがて――
新たな物語が、ここから始まる。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
この物語は、ここから本編へと繋がっていきます。
引き続き、「エピローグ」もお読みいただけますと幸いです




