新しい居場所
※本作は『皇女の帰還―約束の耳飾り―』の前日譚にあたる外伝です。
※本編をお読みになってからの閲覧をおすすめいたします。
※本編よりも重い描写やつらい場面が含まれる場合があります。該当する話には、前書きにて個別に注意書きを記載いたします。
旅人の屋敷
「ここが我が屋だ」
古びてはいるが、塔を備えた――小さな城のような屋敷だった。
「旦那様、おかえりなさいませ。そのお方は?」
執事らしき男が、玄関で一礼する。
「背は高いが、まだ少年だ。誰かと重なってな……見捨てられず、つい拾ってきてしまったわい」
そう言いながらも、その目は細められ、少年を静かに値踏みしていた。
旅人は、かっかっと高らかに笑う。
「またですか……。まあ、旦那様が認めた方であれば、間違いはございませんでしょう」
執事はため息をつきながらも、どこか慣れた様子だった。
「さあ、中に入るがよい。家族を紹介しよう」
少年は促されるまま、屋敷の中へと足を踏み入れる。
そこには、自分より少し背の高い少女が、幼児を抱いて立っていた。
二人はよく似た顔立ちをしている。
――親子だろうか?
そう思うには、少女はあまりにも若い。
薄い金髪に、水色の瞳が印象的だった。
「叔父様、おかえりなさいませ。今回はずいぶんお早いお戻りですね」
少女はにこりと微笑む。
「ほーら、叔父様のお帰りですよ。ご挨拶なさい、フェルネス」
抱かれている幼児に、優しく声をかけた。
「おじちゃま……おかえりなちゃい」
たどたどしく、しかし懸命に言葉を紡ぐ。
四歳ほどに見えるが――言葉が拙い。
「姪のロザーリアと、甥のフェルネスだ。八歳と一歳半」
「……八歳と一歳半?」
少年は思わず声を上げた。
「生まれた時は普通だったのだがな。成長が異様に早くてのう」
旅人は愉快そうに笑う。
「まだ子供なのに、大人に見られてしまう。それで人目を避け、ここで育てている。母親はすでに亡くなっている」
「旦那様、お召し替えを。……そちらのお方、お名前は?」
執事が静かに問う。
少年は視線を落とした。
――名乗れば、皇后の手がここにまで及ぶかもしれない。
「無理に名乗る必要はない」
旅人が口を開く。
その声音には、有無を言わせぬ力があった。
しばし考え――
「……そうだな。クラウスというのはどうだ? 私の祖父の名だ」
少年は一瞬だけ迷い、やがて小さくうなずいた。
「……クラウスです」
「じゃあ、クラウス。よろしくね」
ロザーリアが明るく笑う。
「何歳なの?」
「十歳です……」
「え? 私より年上なのね」
くすりと笑う。
「ということは、これからぐんと背が伸びるわね。男の子は十五歳くらいから一気に伸びるっていうもの。私はそろそろ止まってほしいんだけど……」
ロザーリアは小さくため息をついた。
「この子、フェルネス。弟なの」
腕の中の幼児を見下ろす。
「……まあ、見ればわかると思うけど、ちょっと変わってるのよ」
「……あの方は?」
クラウスは旅人の背をちらりと見て、そっと尋ねた。
「叔父様~~、ご自分の紹介がまだではありませんか?」
ロザーリアが声を張り上げる。
「あとでまとめて話す。夕食の準備を頼む」
旅人は軽く手を振った。
「とりあえず、クラウスは客室へ案内してやってくれ。疲れておるだろう」
「かしこまりました」
侍女が現れ、クラウスを案内する。
通されたのは、立派な客室だった。
かつて自分が暮らしていた屋敷の部屋と、ほとんど遜色ない。
「……ここは……」
クラウスは目を見開いた。
想像していたものとは、まるで違う。
「クラウス様は、お二人目でございます」
侍女が、どこか楽しげに微笑む。
「夕食時に屋敷の者が揃いますので、詳しいことはその際に」
衣服を差し出す。
「こちらにお召し替えください。来客が多い屋敷ですので、さまざまなサイズをご用意しております。こ
ちらが浴室でございます」
「数日中に、クラウス様専用のお部屋も整えますので、それまではごゆっくりお過ごしください」
一礼し、侍女は部屋を下がった。
クラウスは、自分の頬をつねる。
「……夢、ではないのか」
じん、とした痛み。
「現実……なのだな……」
服を脱ぎ、浴室へ入る。
蛇口をひねると、湯が流れ出した。
――魔法ではない、本物の湯だ。
バスタブまで備えられた浴室に、思わず息を呑む。
体の汚れを、魔法ではなく湯で落とすのは――何日ぶりだろう。
「もう、命を狙われることはないのか……」
ふと、不安がよぎる。
「……いや。何か裏があるかもしれぬ」
疑念は消えない。
だが――
「……この数日、ろくな物を食べていない」
空腹が、現実を引き戻す。
――今は、信じてみよう。
そう思ったはずなのに。
胸の奥では、まだ警戒が消えない。
それでも――
この温もりを、手放したくはなかった。
――旅人の正体
クラウスは風呂で体の汚れを落とし、用意されていた新しい服に着替えた。
上質なシャツとパンツ。ブーツもまるで誂えたかのように足に合う。
下着に至るまで、すべてが整えられていた。
――ここまでされる理由が、わからない。
戸がノックされる。
「お着替えはお済みのようですね」
先ほどの侍女が顔をのぞかせた。
「今までのお洋服はどうなさいますか? 必要であれば洗濯いたしますが……かなり擦り切れておりますので、処分をおすすめいたします」
差し出された視線の先には、脱ぎ捨てた衣服。
数日、森を逃げ回っていたため、あちこちが裂け、泥と血に汚れていた。
「……処分を頼んでいいか?」
「かしこまりました」
侍女は手際よく服をまとめ、持参していた袋に収める。
「……なぜ、ここまでよくしてくれるのだ?」
クラウスは思わず問いかけた。
侍女はわずかに微笑む。
「旦那様がお連れになった方ですから」
それだけ言い残し、茶の支度を整えると、静かに部屋を出ていった。
「……本当に、何が何だかわからない……」
クラウスは小さくつぶやいた。
やがて日が暮れ、侍女に案内されて食堂へと向かう。
大きなテーブルには、すでに十人以上が席についていた。
上座には、あの「旦那様」と呼ばれていた男が座っている。
「この屋敷では、皆で食事をとる。慣れてくれ」
男はゆったりと告げる。
「皆の者。この少年が、新たに我が家に加わったクラウスだ。背はあるが、まだ十歳だ。気にかけてやってくれ」
執事がクラウスを導き、ロザーリアと、子ども用の椅子に座らされたフェルネスの隣へ案内する。
椅子を引かれ、自然と席に着かされた。
「年の近い者同士の方がよかろう。そこに座りなさい」
「……はい」
クラウスは素直に従った。
「それでは、私は年寄り扱いということですか?」
向かいの席の少年が声を上げる。
小柄だが、聡明そうな茶髪の少年だった。
「十歳か……大きいな。うらやましいぞ。私はアルフレッドだ。今日からそなたの兄になる。兄上と呼んでくれ」
気さくに近づき、手を差し出してくる。
――兄。
その言葉に、クラウスは一瞬だけ息を詰めた。
母国に残してきた、ただ一人の味方。
アルベルトの姿が脳裏によぎる。
「……よろしくお願いします。兄上」
そっと手を握り返した。
「おいおい、順番を抜かすでない」
上座の男が笑う。
「まずは我が妻の紹介が先だろう」
「失礼いたしました。義父上、義母上」
アルフレッドが頭を下げる。
「いいのですよ、アルフレッド」
上座の女性が穏やかに微笑んだ。
「私は内縁ではありますが、この方の妻――サマンサと申します。義母上と呼んでいただけたら嬉しいわ」
クラウスは息をのむ。
美しい――それだけでは足りない。
黒い髪に、薄いエメラルドグリーンの瞳。
――どこか、自分と似た気配を感じた。
「そなたに雰囲気が似ておるしな。背が高いところもロザーリアやフェルネスと同じだ」
男は愉快そうに笑う。
「気づけば、連れて帰っておった」
「我ら夫婦には子ができぬ。ゆえに、まずアルフレッドを養子に迎えた。……そなたが二人目というわけだ」
「数日中に、兄のもとへ正式な挨拶に行くことになる。気は重いが……そなたなら認められるであろう」
「叔父様、まだ自己紹介が終わっていませんよ。フェルネスがお腹をすかせてしまっています」
ロザーリアがフェルネスをあやしながら言う。
「そうだな。まずは食事にしよう。クラウス、座りなさい」
全員で短く祈りの言葉を捧げると、一斉に食事が始まった。
「……美味しい」
クラウスは思わずつぶやく。
毒を疑う必要のない、温かい食事。
それを口にするのは、いつ以来だろうか。
その様子を、サマンサが静かに見つめていた。
「……あの方、ただの貴族ではありませんね。本当にここでお育てになるおつもりですか?」
小さな声で問う。
「わしはもう決めた」
男は即答した。
「あの子も、今さら国には戻れぬ。……これも縁だ」
「……かしこまりました。旦那様のお考えのままに」
再び、食卓に賑やかな声が戻る。
アルフレッドとロザーリアが、代わる代わる話しかけてくる。
「あちらが執事のハンスでね、あの侍女はアンナ」
ロザーリアはフェルネスに食事を与えながら、自分も器用に食事を進めていた。
「……すみません」
クラウスはロザーリアに小声で尋ねる。
「まだ、この館の主のお名前やご身分を伺っておりません」
「ああ、そうだったわね」
ロザーリアはあっさりと言った。
「叔父様の名前はルドルフ。この国――エルドリア王国の現国王の弟よ」
その瞬間。
――ただの貴族ではないとは思っていたが。
クラウスの手から、フォークが滑り落ちかけた。
お読みくださりありがとうございます




