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エルドリア国物語 ― 帰れなかった騎士と、託された命 ―  (皇女の帰還ー約束の耳飾りー 外伝)  作者: 鶴見 日向子


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拾われた少年

※本作は『皇女の帰還―約束の耳飾り―』の前日譚にあたる外伝です。

※本編をお読みになってからの閲覧をおすすめいたします。


※本編よりも重い描写やつらい場面が含まれる場合があります。該当する話には、前書きにて個別に注意書きを記載いたします。


初話ですが、いきなり残酷な場面があります。ご注意ください

黒い髪の少年は、森の中を必死に駆けていた。


背後では、枝を踏み折る音が途切れない。


追手は、すぐそこまで迫っていた。


「ちくしょう……!」


少年は覚悟を決め、足を止める。


ゆっくりと振り返った瞬間、騎士たちが周囲を取り囲んだ。五人――逃げ場はない。


「やめてくれないか? そなたたちにも家族がいるだろう?」


少年は静かに言った。


「お許しください、アルノルト様。これは皇帝陛下からの命令なのです」


「皇帝陛下ではなく、皇后陛下からの間違いではないのか?」


「問答無用でございます!」


一人の騎士が斬りかかった。



その刃が届くより早く、少年はわずかに人差し指を振る。


次の瞬間――


騎士の体が、見えない力に弾かれたように吹き飛んだ。


「これでもやめぬか? そなたたちでは、私は倒せぬ」


残った騎士たちは顔を見合わせる。


その手は震えていた。


「このまま帰っても、どちらにしても処罰されます」


「頼む。これ以上、無駄な戦いはしたくない。私はこの国を出る。それでよかろう。死んだと報告すればいい」


少年は上着を脱ぎ、倒れた騎士へと投げてかぶせた。


「それを持ち帰るがよい。それでごまかせないか?」


「……失礼いたします」


次の瞬間、騎士たちは一斉に斬りかかった。


少年はその場で高く跳ぶ。


空中で体勢を整え、そのまま魔力を放った。


見えない圧が、騎士たちを地に叩き伏せる。


彼らはその場に崩れ落ち、動かなくなった。


「なぜ、無駄な戦いを選ぶのだ……」


少年は木の枝へと降り立ち、下を見下ろした。


ここは隣国との国境に近い、深い山の中。


こんな場所まで追ってくるとは――


「……しつこいな」


小さく息を吐いた、そのときだった。


森の奥から、不穏な気配が広がる。


大型の魔獣――そして野獣たちが、血の匂いに引き寄せられて現れた。


倒れている騎士たちへと、容赦なく襲いかかる。


気絶していた騎士は、咥えられて連れ去られ、


ある者はその場で食いちぎられた。


意識を取り戻した騎士の悲鳴が、森に響き渡る。


血の匂いが、風に乗って立ち上る。


少年は目を逸らさず、その光景を見下ろしていた。


――素直に帰っていればよかったものを。


そう思いながら。


「助けてくれーーー!!」


別の方向から、必死な叫び声が響いた。


少年がそちらへ視線を向けると、旅人らしき男が大型魔獣に襲われかけていた。


少年は枝から枝へと飛び移る。


そして次の瞬間、魔法で魔獣の頭部に穴を穿った。


巨体が崩れ落ちる。


少年は地面に降り立ち、男に声をかけた。


「大丈夫ですか?」


金髪の中年の男だった。がっしりとした体格で、ただの旅人には見えない。


「ふむ……心根は大変よいな」


男は倒れた魔獣を一瞥し、軽く笑う。


「あの騎士たちは、気絶で済んでいたのに場所が悪かったな。……それにしても、そなた。攻撃魔法が恐ろしく上手い」


少年は目を見開いた。


「見ていたのですか?」


「ああ、たまたまな。必要なら助けに入ろうと思っていたが……出る幕はなかった」


男の口元には余裕の笑みが浮かんでいた。


この森にいる者のそれではない。


「では、この魔獣は……?」


「そなたの力を試してみただけだ。わざと引き寄せた。これくらい倒せねば、この森は歩けん」


男は少年をじっと見つめる。


「この国を出たいのか?」


「……はい。事情がありまして。もう、この国に私の居場所はありません」


少年は静かに答えた。


男はうなずく。


「よかろう。ついてまいれ。私が面倒を見よう」


「見ず知らずの私を……?」


「『拾う』のではない。引き取るのだよ」


男は少しだけ目を細めた。


「そなた、いくつだ?」


「……十歳です」


男の眉がわずかに動く。


「十歳の子を、騎士五人がここまで追うか……事情は深そうだな。だが、もう聞かぬ」


男は背を向けた。


「ついてくるがいい」


迷いのない足取りで歩き出す。


少年はその背を見つめ――


そして、静かに後を追った。


――少年の母国にて


「国境付近で発見されました」


血にまみれた少年の上着が、捜索隊の手によってアルベルトとその両親の前に差し出された。


「アルノルトは!?」


少年の兄、アルベルトが叫ぶ。


両親は何も言わず、ただ――


破れ、血に染まった上着を見つめていた。


「残念ながら……この品が発見された区域は大型魔獣が非常に多く、これを持ち帰るだけで精一杯でした。

周囲には騎士たちの遺体の一部も散乱しており……」


「もうよい。ご苦労だった」


父は低く言い放つ。


「アルノルトは死んだ。皇帝陛下には、そのように報告する」


それだけ告げると、踵を返し、部屋を出ていった。


母は上着に一瞥をくれると、


「……さっさと片づけてちょうだい」


それだけ言い残し、部屋に引きこもってしまった。


静寂が落ちる。


「そんなはずがない……」


アルベルトは歯を食いしばる。


「あれが、魔獣ごときに負けるものか……!」


拳を握りしめる。


「私に力があれば……こんなことには……」


悔しさが、胸の奥から込み上げる。


アルベルトは小柄だった。


数年前、大病を患い、一命は取り留めたものの、それ以降、身長はほとんど伸びていない。


魔力は強く、皇族としては認められている。


だが騎士にはなれず、無害な存在として扱われていた。


――だが、弟は違った。


アルノルトは、将来を嘱望された少年だった。


十歳にして騎士に並ぶ力を持つ――それだけで十分すぎた。


その力ゆえに。


義理の伯母である現皇后は、彼を恐れていた。


現皇太子の地位を脅かす存在として。


現皇太子に、皇帝としての器がないことは――


誰の目にも明らかだった。


だからこそ、皇后はアルノルトを露骨に敵視するようになった。


皇帝も、両親も、それを見て見ぬふりをしていた。


耐えきれなくなったアルベルトは、弟にある提案をする。


――アストリア王国へ留学しないか、と。


せめて、手の届く場所から遠ざけるために。


守るために。


そして一週間前。


アルノルトは供を連れ、国を発った。


その翌日には「国境付近で行方不明」との報が入り、捜索隊が派遣された。


アストリア王国からも騎士が派遣され、捜索は続けられた。


――そして、結果がこれだ。


目の前の、血に染まった上着。


「……なんで……」


アルベルトの目から涙がこぼれ落ちる。


「なんでなんだ……!」


そばにいた女性騎士見習いが、そっと背中に手を置いた。


「遺体が見つかったわけではございません。あの方のことです。きっと、うまく逃げ延びておられます」


「……そうだろうか……」


その言葉に、すがりたくなる。


「私は見習いですが、騎士として断言できます。アルノルト様は、必ず生きておられます」


ジュリアンヌは、まっすぐに言い切った。


その確信が、どこから来るのか――アルベルトにはわからない。


だが、その言葉だけが、今は救いだった。


――それが真実だと知るまで、二十年近くの歳月を要することを。


この時の二人は、まだ知らない。


皇女の帰還ー約束の耳飾ーの外伝の始まりです


お読みいただきありがとうございます

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