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エルドリア国物語 ― 帰れなかった騎士と、託された命 ―  (皇女の帰還ー約束の耳飾りー 外伝)  作者: 鶴見 日向子


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仮初の安らぎ

※心身ともに重い描写を含みます※

本話は、つらい出来事の中で過ごす、束の間の時間を描いています。


※本作は『皇女の帰還―約束の耳飾り―』の前日譚にあたる外伝です。

※本編をお読みになってからの閲覧をおすすめいたします。

※本編よりも重い描写やつらい場面が含まれる場合があります。該当する話には、前書きにて個別に注意書きを記載いたします。

「おはようございます。今日はいいお天気ですよ」


フェルネスは毎朝、カトリーナの部屋を訪れるのが日課になっていた。


カトリーナは、ゆっくりとフェルネスに抱きつく。


「……おはようございます」


そのまま、そっと額を寄せた。


フェルネスは驚くことなく、やさしく微笑む。


「今日の気分はどうですか?」


「はい……だんな様が来てくださると、安心します」


「それなら、よかった」


――その呼び方も、もう訂正しなかった。


あれから数か月が経ち、カトリーナの腹はわずかに膨らみ始めていた。


つわりも落ち着き、身体の傷はほとんど癒えている。


だが――


心の傷は、別の形で現れていた。


「フェルネス様の子でございます」

そう言い出したのだ。


アルフレッドは静かに言った。

「現実から目を逸らすための、心の防衛だ。気にするな」


だがフェルネスは首を振る。

「……私でよければ」


まっすぐに言った。

「それでカトリーナ殿が安心できるなら、それで構いません」


フェルネスは、男女の仕組みについては知識として理解していた。


だが、それはあくまで“知識”であり、現実としての意味はまだよくわかっていなかった。


ただ――


カトリーナが、どれほど傷ついたのかだけは、ぼんやりと理解していた。


そして、元々抱いていた淡い想いもあって――


拒む理由が見つからなかった。

________________________________________


フェルネスは、時折訪れる王太子妃アンドレアに尋ねた。


「妊婦には、どう接すればよいのでしょうか」


必死だった。


「ロザーリア姉上に聞いても『わからない』と言われますし、クラウスもエリアス義兄上も逃げてしまいます。医師は『関わらなくてよい』と……」


「誰も教えてくれないのです」


アンドレアは、やさしく微笑んだ。

「正解はありません」


静かに言う。

「相手が何を望むかは、その人にしかわからないのです」


「ですが――」

少しだけ声を和らげる。


「大切にしたい、というお気持ちがあるのでしょう?」


フェルネスは強くうなずいた。


「それだけで、十分です」


アンドレアの瞳はやわらかかった。

「無理に大人になろうとしなくていいのですよ。

フェルネス様は、まだ十歳なのですから」

「できることと、できないこと。

その見極めだけは忘れないでください」


フェルネスは、少し考えてからうなずいた。

「……はい。ありがとうございます」


その理解が、どこまで届いているのかはわからなかったが――


その言葉は、確かに彼の中に残った。

________________________________________


カトリーナの腹は、少しずつ大きくなっていく。


「……今、動きました」


「ほお……中で動くのか」


フェルネスはそっと手を当てる。

「……本当だ。不思議だな」


二人は並んで座り、静かな時間を過ごす。


その姿だけ見れば――

穏やかな夫婦のようだった。


だが実際には、まだ幼い少女と、十歳の少年である。


「無事に生まれてくるといいですね」

フェルネスが言う。


「どちらでしょうか」

カトリーナは微笑む。


「フェルネス様に似た男の子がいいです」

「いや、そなたに似た女の子がいい」

そんな会話を、何度も繰り返した。


昼は散歩をし、


本を読み、


侍女から育児の話を聞く。


夜は「おやすみなさい」と言って別室へ戻る。


その穏やかな時間を――


周囲の大人たちは、複雑な思いで見つめていた。

________________________________________


「……生まれてくる子の瞳の色と髪の色は決まっている。

王家の血筋だからな」


エリアスが低く言った。

拳を握りしめている。


ロザーリアが口を開く。

「……他の子と入れ替える、というのは……」

だが、すぐに首を振った。


現実的ではない。


「……本国は何と?」

クラウスが問う。


「カトリーナ次第、だそうだ」

エリアスが答えた


「婚約は正式に認められた。でも……子供は別の者が育てるしかない」


「この二人には、まだ早すぎる」

沈黙が落ちる。


「……本当にフェルネス様の子であれば」

アンドレアが小さく言った。


「私たちが引き取れたのに……」

王太子夫妻には、まだ子がいなかった。


「……元国王の血だ」

エリアスが言う。


「軽々しく扱えるものではない」

「……今は、見守るしかないわね」


ロザーリアの声も沈んでいた。

________________________________________


やがて――


カトリーナに陣痛が始まった。


ロザーリアが付き添い、手を握る。


クラウスは、フェルネスを遠くの討伐へ連れ出した。


――見せないために。


エリアスは飛行魔獣で駆けつける。


公爵夫人も同行していた。


産室には医師が集まり、緊張が走る。


この子の存在は、決して外に漏れてはならない。


「……フェルネス様……」


時折、カトリーナの声が漏れる。


エリアスは目を閉じた。


長い、長い時間だった。


苦しみの声が途切れるたびに、誰もが息を詰める。


そして――


二日後。


小さな産声が、ようやく響いた。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


この時間が、彼らにとってどれほど大切なものだったのか――

次話で描かれていきます。

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