第7話:迷子の子ねずみ
迷ったのは、帰り道ではなく、声のほうだった。
こねずみは、最初、自分が迷っているとは思っていなかった。
いつもの森だ。
いつもの匂い。
いつもの夜。
木の根につまずいて、転びそうになったときも、ただ、今日は暗いな、と思っただけだった。
でも。
立ち止まって、耳をすませたとき、それに気づいた。
音が、少なすぎる。
風はある。
葉も揺れている。
それなのに、「誰かがいる感じ」だけが、抜け落ちている。
──あれ?
胸の奥が、すっと冷える。
こねずみは、声を出そうとした。
「……」
喉が鳴る前に、言葉が、どこかへ落ちた。
呼べない。
呼び方が、わからない。
名前は知っている。
家も知っている。
帰り道だって、昨日までは、ちゃんとあった。
それなのに、今、呼ぶ声だけが見つからない。
足元の小石を、ぎゅっと握る。
冷たい。
それで、自分がここにいることだけは、はっきりする。
「……こわい?」
自分の声が、遅れて聞こえる。
返事は、ない。
でも。
胸の奥に、ほんの一瞬、あたたかさが落ちた。
音ではない。
匂いでもない。
それでも、だいじょうぶ、という感触。
こねずみは、顔を上げる。
暗闇の中に、小さな、まるい光がある。
動かない。
呼ばない。
ただ、そこにある。
近づくと、光は、少しだけ、遠ざかる。
追いかけると、逃げる。
でも、見失わない。
──ついてきて、ってこと?
誰かの声が、そう言った気がした。
でも、声ではない。
こねずみは、一歩、踏み出す。
足音が、半拍、遅れて鳴る。
森が、こちらの動きを、確認しているみたいだった。
しばらく歩くと、匂いが、変わる。
土の匂いではない。
葉の匂いでもない。
あたたかい匂い。
スープみたいな、毛布みたいな、眠くなる匂い。
こねずみの足が、止まる。
そこに、あった。
木の幹に、小さな、まあるい扉。
知っている。
でも、見たことは、ない。
手を伸ばすと、胸の奥が、きゅっとする。
怖い。
でも、戻りたい、とも、言えない。
背後から、羽音が、ひとつ。
振り向かなくても、わかった。
見上げなくても、知っていた。
ふくろうが、そこにいる。
「……」
ふくろうは、何も言わない。
言わないまま、夜が、少しだけ、やわらぐ。
こねずみは、扉の前に立つ。
帰り道は、もう、考えられなかった。
代わりに、胸の奥に、小さな声がある。
声ではない声。
ここにいてもいい。
こねずみは、扉に、触れた。
その瞬間、夜が、一段、深くなった。




