第16話:戻らない声
呼び声は、返事をしないことで、強くなる。
夜は、静かだった。
静かすぎて、音の居場所が、なくなるほど。
こねずみは、歩いている。
どこへ、という目的は、ない。
ただ、歩けることを、確かめるように。
床は、少しずつ、硬さを、取り戻している。
足の裏に、重さが、返ってくる。
その重さが、うれしい。
でも、同時に、不安も、運んでくる。
夜の奥で、声が、した。
はっきりとした、言葉ではない。
音程も、意味も、定まらない。
それでも、呼ばれているという感覚だけが、胸に、残る。
こねずみは、立ち止まる。
耳を、すませる。
声は、もう一度、届く。
遠い。
でも、確実に、自分に向けられている。
──戻っておいで。
そう聞こえた、気がした。
でも、誰の声かは、わからない。
ふくろうでは、ない。
夜のともだちでも、ない。
もっと、外側。
もっと、古い。
胸の奥が、ぎゅっと、縮む。
こねずみは、口を、開きかける。
返事を、しそうになる。
名前を、呼び返して、しまいそうになる。
でも、声は、喉で、止まる。
返事をすると、道が、一気に、固まってしまう。
戻る道。
戻らない道。
どちらかに、決めなければ、ならなくなる。
夜は、まだ、それを、許している。
こねずみは、口を、閉じる。
声は、返さない。
返さないまま、聞く。
聞くだけで、胸が、熱くなる。
涙が、出そうになる。
でも、出ない。
涙は、境界を、越えるものだ。
今は、越えない。
声は、少し、弱くなる。
弱くなるけれど、消えない。
それが、やさしさか、残酷さかは、わからない。
こねずみは、その場に、座る。
床に、体を、預ける。
冷たさが、背中に、伝わる。
生きている、という感覚。
声は、それ以上、近づかない。
遠ざかりも、しない。
ただ、そこにある。
もどらない声は、責めない。
急かさない。
ただ、覚えている、ということだけを、伝えてくる。
こねずみは、目を、閉じる。
声を、胸に、しまう。
返事は、しない。
今は、しない。
それで、いい。
夜は、返事のない声を、追い出さない。
追い出さないから、声は、道にならない。
まだ。
こねずみは、ゆっくり、立ち上がる。
声の方向を、見ない。
見ないまま、歩き出す。
歩ける、ということは、留まっていない、ということだ。
もどらない声は、背中で、息をする。
その気配を、感じながら、こねずみは、夜の中へ、さらに、深く、進んでいった。
夜は、何も、決めさせない。
ただ、返事をしないという選択を、静かに、受け止めていた。




