第3話 公証人の仕事
待つほどなく、突き返された書類と筆記用具を受け取って、内容を確認したアレックスは、ミミズののたくったような署名に目を落とし、小馬鹿にしたように軽く鼻を鳴らす。
「……ジュリア・マクブライブ……か?」
「ジュリアン・マクブライドだバカ野郎! ちゃんと読め!」
「失礼、あまりに下手糞な殴り書きだったものでね。『賄賂好きのジュリアちゃん』と書かれているのかと思ったよ」
言い得て妙な皮肉に、コニーが思わず「ぷっ」と吹き出した。
「な……手前っ、バ、バ、バカにしやがって!」
気色ばむジュリアンを無視して、アレックスはポケットから公章を取り出して、手早く公印を捺す。
「ほらよ。これをもって法的にも婚約破棄は正式に認められた。正式な書類は俺が管理するとして、写しが欲しいなら追加で銀貨1枚だ。――おっと、ぼったくりとは言うなよ。西部開拓地じゃ、リネンも貴重なんでね」
「道理ね。はい、私の分の写しを希望するわ。銀貨1枚……これで今月のお小遣いは半分近くがパーだわ。ま、ジュリアンとの縁が切れるなら安いものだけど」
再度、銀貨を弾くコニーと、それを難なく空中でキャッチするアレックス。
「おいっ、俺様を無視するな!!!」
もはや眼中にないとばかり、さらさらと『婚約破棄証明書(写)』を複製するアレックスと、興味深げにその様子を覗き込んでいるコニーたちに食ってかかろうとしたジュリアンだが、その気配を察したコニーの一角獣が前脚を地面でかき鳴らし、剥き出しの敵意とともに淡く輝く角の先端をそちらに向ける。
「――ひ……っ!」
馬車に潰されたヒキガエルのような呻き声を発して、ジュリアンは腰が抜けたかのように後ずさった。
通常の魔物――新大陸であれば、タテガミ狼や六脚熊といった魔獣――が、速度や筋力などわかりやすい強化をするのに対して、霊獣や幻獣と呼ばれる高い知能を持ったモノたちが一線を画すのは、魔力を攻撃手段などに転用できるところにある。
特に『最強の獣』と名高い一角獣の光術は、一発で巨大な直立竜の胴体部分を貫通するほどの威力を誇ることで名高い。ジュリアンが腰砕けになるのも当然と言えば当然であった。
「……ジュリアン坊ちゃん。取りあえずサイラスの旦那に今日の顛末を説明するためにも、『婚約破棄証明書』の写しを買っておいた方がいいですぜ」
頽れそうなジュリアンを背後から支えつつ、チンピラの一人がそう入れ知恵をする。
「そ、そうだな……お、おい、エレノア。俺の懐に財布があるので、代わりに写しを受け取ってくれ」
ジュリアンの情けない姿に、しら~~と鼻白んだ面持ちで佇んでいたエレノア嬢だが、その言葉にふと抜け目ない笑みを一瞬だけ浮かべ……すぐにしおらしい表情を浮かべて、いそいそとジュリアンの懐をまさぐり、上着の内ポケットから二つ折りになった分厚い革製の財布を取り出した。
「えーと、手数料と写しの代金で銀貨2枚……2ドルクよね…?」
そう言いつつ素早く財布から数枚のドルク紙幣を取り出して、胸元へ仕舞うエレノア嬢。
そのまま何食わぬ顔でアレックスに2ドルク渡す。
「紙幣か……。西部では硬貨以外だと、使える店がなかなかねえんだよなあ」
「でも、東部からのカタログ通販だと、注文書と一緒に紙幣か郵便為替を手紙に同封しないといけないので、紙幣もそれなりに便利よ」
ぼやくアレックスに対して、まあまあ……といった風情でとりなすコニー。
ちなみに東部においては中央銀行が発行する紙幣が流通しているが、辺境に行くにしたがって紙幣の価値は、「そんな絵葉書信用できるか!」と暴落するため、市井ではいまだに銅貨、銀貨、金貨が幅を利かせているのが現状であった。
ちなみに1銅貨=1セルト。1銀貨=1ドルク(=100セルト)。1金貨=10ドルクとなる。
「それにしても、こんなところに一角獣がいるとは思わなかったわ~。どう、こんな色気のない田舎娘から、あたしに乗り換え――」
ついでとばかり一角獣に手を伸ばしたところ、躊躇なく噛みつかれ……かけて、寸前のところで「――ひっ!?」とエレノア嬢は手を引っ込め、しばし青い顔でわなわなと震えてから逆切れした。
「なによ、この駄馬! 神話の一角獣なら、清い乙女に懐くもんじゃないの?!」
「「「「「……あ~~~~~……」」」」」
喚くエレノア嬢を見据え、絶対に清くないだろう。筋が通ってる、と言いたげに納得するジュリアンと乾分のチンピラ連中。
その間に、さらさらと2枚目の『婚約破棄証明書(写)』を書き上げ、ガシャンと公印を捺したアレックスが、
「ほらよ。受け取れ」
それを心底面倒くさそうにエレノア嬢に手渡した。
「――ふんっ。こんな牛の糞臭い場所にいつまでもいられないわ。さっさと町のホテルへ戻りましょう、ジュリアン!」
ろくすっぽ内容も確認せずに、四つ折りにした『婚約破棄証明書(写)』と財布をジュリアンに渡したエレノア嬢は不機嫌な表情も露わに、そのまま真っ直ぐに箱馬車へと向かう。
「……だそうよ。用事が終わったんだったらさっさと出て行ってくれない? 私も仕事で忙しいのよ」
次に何をすればいいのか判断がつかずに呆然としているジュリアンを、コニーは野良犬でも追い払うかのように、シッシッと手を振って帰るように促す。
「わ、わかってる! 用件は済んだ、帰るぞお前ら。――それと、コニーッ。あとから婚約破棄を取り消せとか、泣きついても遅いからな!! せいぜい後悔するこった!」
「(負け犬の遠吠えって奴よね)いや……後悔とかないから。むしろ人生で一番スッキリしているわ。――ああ、それと慰謝料の金貨300枚はバックレないで、きっちり期限内に払ってね」
歯噛みしながら捨て台詞を吐くジュリアンに対して、心底晴れ晴れとした表情のコニーが、ごく自然に追い討ちをかけた。
「~~~~~~っ!!!」
顔を真っ赤にして地団太を踏むジュリアンに向かって、とどめとばかりコニーは粗末な婚約指輪を外して、
「あと、これいらないから返すわ」
思いっきり弾き飛ばした指輪が、もろにジュリアンの額の中心に――アレックスとは違って反応すらできずに――命中して、その衝撃で「――ガッ!?」と白目を剥いて気絶する。
「坊ちゃん!?!」
「て、手前。この‟じゃじゃ馬”が。よくも坊ちゃんを!」
「やめろ! いいから、いまのうちにさっさと坊ちゃんを馬車に運び込め」
これ以上の面倒はごめんだとばかり、チンピラ連中が気絶したままのジュリアンを半ば担ぐようにして馬車へ放り込み(婚約指輪は一応拾っていった)、そのまま各々の馬に乗って(一人は御者役で御者席に座り)、慌ただしくこの場を後にして走り去って行った。
「――やれやれ。成り行きとはいえ、行き掛けの駄賃で商売することになるとはな」
同様に荷物を仕舞ったアレックスが立ち去る気配を察して、
「ちょっと待ってよ! この炎天下にその馬連れてカム・ストックの町まで行くつもり? バテバテじゃないの……! 4マイルよっ。下手したら死んじゃうわよ。ウチの厩舎で鞍を外して休ませなさい! 水と飼い葉くらいなら分けてあげるから」
畳んだ『婚約破棄証明書(写)』をポケットに押し込んで、コニーが慌てて待ったをかける。
「……『私有地につき立ち入り禁止』じゃなかったのか?」
分岐路に書いてあった看板を諳んじるアレックスに対して、コニーが至極当然という口調で言い返した。
「こんな状態の馬を見捨てたら、‟牧場の娘”として、寝覚めが悪いじゃない」
なるほどもっともな話で、これから町まで4マイルの距離を思えば渡りに舟であるが……。
「それは……正直助かるが。いいのか? 俺みたいなどこの馬の骨とも知れん、流れ者をそう簡単に受け入れて?」
なおも躊躇するアレックスに背中を向け、愛馬――一角獣――の鼻づらを撫でながら、コニーはあっけらかんと言い放った。
「名前・アレックス・グレイヴス。職業・フリーの公証人。馬鹿息子との婚約破棄を荒事なしに収めてくれた意外とヤリ手。あとは……身長6フィート。年齢30歳ってところかしら? これだけわかれば十分よ。あと、ホーニーも貴方のこと警戒してないみたいだから、悪い人じゃないと思うし」
「‟ツノちゃん”って、その一角獣の名前か? そのまんまだな」
「可愛くていいじゃない。それに分かりやすいでしょう?」
荘厳さや神聖さの欠片もないネーミングセンスに、脱力するアレックスに口を尖らせて反論するコニー。どうやら彼女が名付け親らしい。
「じゃあ行きましょう。お爺様と皆に、いまあったことを話さないといけないから、アレックスさんはちょうどいい証人だわ」
「まだ残業をさせる気なのか。報酬は払ってもらえるんだろうな?」
「う~~ん……そうね。その馬の世話と上等な飼い葉。アレックスさんには、清潔な寝床と美味しいご飯。ああ、あと、アシュフォード牧場の搾りたてミルクで作ったバターがたっぷり入った、絶品の‟アップル・ダンプリング”も付けるわ」
「承知した」
ついでのように付け加えられたデザートに、間髪入れずにアレックスが即答した。
「――え? あ…ああ……そう……」
その勢いの良さに逆にコニーが呆気にとられる。
「できればよく冷えた生乳も思いっきり飲めれば最高なのだが」
「……え、まあ、お安い御用だけど……普通、西部の男って、コーヒーばっかり飲んでミルクとか馬鹿にするもんじゃないの?」
牧場なので何頭か乳牛を飼ってはいるが、実際に牛乳を消費しているのは食が細くなった祖父とコニー、そしてシチューなどの料理に欠かさず使うマーサくらいなもので、牧場に雇われている五人のカウボーイたちは、一貫してコーヒーを飲むことを日課にしていたし、町の男たちも似たようなものである。
しかしながら――。
「もう薄いコーヒーは飽き飽きだ。キンキンに冷えた生乳を思いっきり飲めるなら、それこそ値千金ってもんだ」
掛け値なしのアレックスの本音に、コニーは「あははははっ」と天真爛漫に笑う。
「わかったわ。こっちよ、アレックスさん」
先導するコニーと、その隣を並んで歩く一角獣の後を、馬の手綱を引きながら付いて行くアレックス。
「ああ、わかった。それと――俺の年齢は24だ」
ぼそりと付け加えられた言葉に、コニーは踏み出しかけた足をつんのめらせかけ……たたらを踏んで、猛然と振り返った。
「嘘っ! 若い!? 見えない!!」
素っ頓狂な叫びが静かな牧草地に響き渡る。
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【カム・ストック】は荒野のただなかにある開拓村であった。
当初は最寄り駅まで馬で半日~一日という絶妙な距離を生かして、旅人が最後の補給もしくは休憩、宿場として‟村”から‟町”へと発展した経緯がある。
とはいえせいぜい800人規模の宿場町だった【カム・ストック】に一大転機が訪れたのは今から30年ほど前。近くの山から希少金属である『ミスリル』が発見されたことによる、ゴールドラッシュならぬミスリルラッシュによって、一山当てようという山師たちによって、最盛期には一万人を越える周辺でも有数の大都市と化したが、比較的表層に近い大鉱床は掘りつくされ、より深い層の末端鉱床を危険と隣り合わせで採掘しなければいけない現在は、最盛期の6割か7割程度で人口は落ち着いている。
その【カム・ストック】で父の代から、村人や旅人に水、乾物、馬の藁、弾薬を売る『万事屋』を営んでいたサイラス・マクブライドは、良くも悪くも商才があり、機を見て敏な商売人であった。
ミスリル鉱床が発見され、山師たちが大量に町に溢れかえるようになった時にも、
「儲けようと思うなら、ミスリルを掘り当てる山師になるのではなく、シャベルやバーボン、宿や娼館を提供して連中の金を搾り取るほうが確実だ」
という先見の明のもと、マクブライド信託商会の名で【カム・ストック】の街中と周辺の土地を買い集め、借金をしてまで山師用の宿屋・下宿、銀行、商店、馬小屋、両替商。さらには賭場、酒場、保安官事務所といった施設を建て、これらを傘下に置くことで実質的に町の権力を握ることに成功したのだ。
『金の為なら何でもする。血も涙もない悪徳商人』
それが【カム・ストック】の住人が抱いているサイラス・マクブライドに対する評価であり、実際、その通りの人物ではあるのだったが――。
「あの、バカ息子が……!」
目抜き通りでもひと際目につく重厚なレンガ造りの建物。
マクブライド信託商会事務所の二階――商会長室――で、サイラスは忌々し気に半分以上残っている、高価なカルバナ産の葉巻を、八つ当たり気味に大理石製の灰皿に押し付けた。




