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宴の支度.1

今、読みやすくするために全話修正しています。

 




「ほほっ。今年の山の神は特別に荒ぶっておるのう。楽しませてくれる」



 未だ朝日も昇らぬ暗い辺りに、年老いた男の声が響いた。



「このくらいのレヴェルであれば、お(ぬし)に憑依する必要もなかろう。

 ワシは少し、ここで休ませてもらうぞ。

 ――しかし、老体に連戦は堪えるわい。まだ見ぬ朝日が、

 これほど待ち遠しいものとはな」



 声の主はそう言って、ふわふわと宙に舞い上がると、

 近くの細い木の枝に腰を降ろす。


 姿はとても小さい。

 彼は……〈式神〉だ。



「のう、“キョウカ”」

 



 その黒い着物は血に塗れている。

 手にしているのは、ぽつりぽつりと血の滴る日本刀。

 足袋もやはり、まるで廃液のような、生温かい黒液の海に沈んでいる。






 伏している異形のモノを冷たく見下ろしながら、

 狭霧家十八代当主――“狭霧キョウカ”が、遂にその姿を現した!



「これは、こちらの神々ではない」





 眉間に深い皺を寄せ、狭霧キョウカは言い放つ。


「ほう。なればこいつらは何者ぞ?」

悪魔(デビル)よ。西洋の外法より生み出された、哀れな徘徊者だ」

「そうかヨォロッパ。あそこは大陸で広いでのう。

 様々な〈秘術〉があるそうな。その“魔界”とやらから、こちらに

 デヴィルを連れて来るのであろう? お主に連れられてヨォロッパには

 一度行ったな。さて、確かあれは……?」



 すると狭霧キョウカは間髪入れず、

 「独逸(ドイツ)だ」と短く指摘した。




 次第に空が白み始める。

 東の空からは、二人が待ち望んでいた太陽の光がこぼれていた。



「これでようやく一休み出来る。なあキョウカよ。毎年のこの日は、

 いつも新鮮な心持ちで一日を迎えられるのう」


「まだ今宵の本祭(ほんさい)が残っているぞ。忙しくなるのはこれからだ」



「……カタい、毎年変わらずカタいぞ、お主は! 歳を取れば、

 誰だって角が取れるものよ。その年になって、お主はまだ丸くならんか。

 家の長がこれでは、周りの者が苦労する」


 ツマラン、ツマランと言って彼は、

 細い木の枝の上でゴロリと横になる。狭霧家の現当主の〈式神〉は、

 実に飄々としている。

 生真面目な主とは似ても似つかない。



「……街の方はどうなっておるかの。

 ここの血なまぐさい祭りと違って、さぞかし盛り上がるだろう。

 そう言えば、まだ街の衆はやっておるかのう? はて……あれは確か、

 なんと言ったか。シラシラ――」



 すると狭霧キョウカは間髪入れず、

 「〈ミハシラ取り〉だ」と訂正した。



「そう、それじゃ! いやあ懐かしいのう。

 あれは島中の男どもが西へ東へと入り乱れて、なかなか迫力があるぞ。

 若かった十五代目とは、よく祭りを観覧したものだが、

 お主はさっぱり連れて行ってくれん。

 狭霧の当主たるもの、下々の生活を知らんでどう心得る。

 ――ようしキョウカよ、ワシは決めたぞ! 今年は街の祭りを観に行く!」


「ふ。“狭霧の義務”を放り出して、か?」



 それを聞いた〈式神〉は、ぐぬうと唸る。






 狭霧キョウカの眼前には、

 まるで吸い込まれそうな大穴が広がっている――





 決して人の立ち入りを許さない断崖絶壁の地。

 竪穴は果てしなく深く、底は暗くてよく見えない。



 たとえそれが、どんな猛者であろうとも、これを前にした者は

 恐怖のあまり心臓が縮み上がることだろう。

 彼らが見守る〈神域〉とは、気の遠くなるような長い年月を経て、

 偉大なる大自然が創り上げた、巨大な窪地だった……。



「賭けをしようではないか」

「またか。ムリな頼みは聞けないぞ」

「そう言うな。これが毎年の楽しみよ。ほっほっ。

 ちなみにワシは、“海の神”が勝つ方に賭けるぞ。よってお主は

 自動的に、“山の神”が勝つ方に今年も賭けるのじゃ。よいじゃろ?」


「お前はいつもそれだ」


 したり顔の〈式神〉は、すっかり木の枝から身を乗り出して、

 下に居るキョウカの表情を窺っている。

 どうやら、はしゃいでいるようだ。心底これを楽しみにしているらしい。



「ニンゲンと違い、我らは色々と制約があるからのう。

 特にお主のようなカタブツを相手にしておると、

 余計にストレェスが溜まるのよ。

 『勝った方は約束をなんでも一つ』、じゃからな。言っておくが、

 これからのワシの士気に関わる重要な問題であるので、破るでないぞ」



 狭霧キョウカは、刀に付いた血を払い、流麗な手付きで鞘に収めた。


 なんと、口元に笑みを浮かべている。


「……なにか、おかしいところはあるか?」

「いや、果たして今年は、その思惑通りに運ぶかな。

 十年振りに〈山風〉が吹くやも知れぬ」



 すると〈式神〉は、驚いたように飛び起きた。

「もう、そんな年になるか!」



 そして下に居る狭霧キョウカを見、すっかり眼を細める。


「ほほっ。あの傲岸不遜の若造も、道理でシワが出来るワケじゃ。

 ――“十年”か。ワシらにとっては瞬く間の出来事じゃが、

 お主らにとっては決して短くない時間じゃろ。

 ニンゲンは……十年あれば死んでしまうからのう」


 その〈式神〉は、そこに以前の主人を()ているのかもしれない。

 永遠を生きる彼にとって狭霧キョウカと過ごす時間は、その言葉通りの

 ほんの一瞬の出来事に過ぎないのだろう。



「するとお主は、ワシとの賭けに本気で勝つつもりか?」



 狭霧キョウカは答えない。



「さすが希代の勝負師よ。よォ、それでこそ十八代目ッ!

 天を衝く、その心意気は見事なり! しかし吹くとは決まっておらぬ。

 〈山風〉は気まぐれよ。十年――いや、“二十年に一度の奇跡”は、

 海の恵みに暮らす者たちにとって、この上ない凶事であるからのう。

 海を生業(なりわい)とする彼らのため、ワシも吹かぬことを祈ろうぞ」



 〈式神〉はそう言って、明るくなり始めた東の空に向かい、

 やがて昇ってくる神々しい朝日に(うやうや)しく手を合わせた。



「……さて、今年はお主になにを頼もうかのう」



 二人のやり取りは続いている。




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