白きオオカミを追いかけて.12
こちらは切羽詰まっている。
もはや……一刻の猶予もないように見えた。
「で、本当に“行く”のか?」
「しつこい。押さないと始まらないでしょ。グズグズしていると、全部沈んじゃう」
石の蓋を外した台座には、丸い像を映し出す水晶の周りに“四つのボタン”が存在した。
東西南北、“四方”にだ。
ちゃぷちゃぷと、台座は既に浸かり始めている。
「いーい? いち、にの、さんで押す。いち、にぃの――」
「ああッ待ったあ! やっぱり、待った待ったあ!!!!」
「なんなのよ、バカトラ!」
ヤストラは、次々に展開される唐突な話の流れに、心底うんざりしているようだ。
「俺はこの遺跡のお陰で、すっかり“スイッチ恐怖症”になっちまった。なにが起こるか分かんねーからコエー! だって、巨大な鉄球が天井から落ちてきたらどうするッ!」
「私だって恐い、あんただけじゃないッ! 男なら覚悟を決めろッ!」
「……よし、じゃあ言うぞ。俺は、草守レイトが好きなんだって、最近は自分に言い聞かせてきたけど」
「なッ、ちょ、ちょっとッ! それってなんの話! こんな時にやめてよ、ヤストラ!」
「俺は本当は、ずっと昔からお前のことが……」
「バカッ!」
ミーナは瞬時に真っ赤になって、自分の側にある台座のスイッチを力いっぱい押した。
……なにも起こらない。
「ど、どういうこと? じゃあ、こっちのボタンは?」
今度は別のスイッチを押してみる。
「こっちもダメなの? もしかして壊れているんじゃ――」
「おい見ろ、ミーナ! あそこ、天井の水!」
先ほどと違い、部屋へと流れ込む水量が明らかに減っている。
「ミーナ、ヤストラ!」
ここでキョウスケの声がようやく届いた。
「私、台座にあるボタンを押したの! そしたら止まったの! もう大丈夫、安全よ! 私たち、助かった!」
「よかったよお、ミーナちゃん、ヤストラくん。ふたりとも、怪我はなーい?」
ミーナは、すっかり濡れている服を、恐る恐る嗅いでみる。
「ヤダ、すっごいクサイ! 信じられない! これって、なんの水なのよ、このオオカミッ! 恐い病気になったらどうしてくれるのッ!」
「……あのゴ様子でハ、オふたりとも大丈夫そうデスネ、キョウスケ様」
主の元へと戻ったスクナは、キョウスケの表情を見て、はっとする。
キョウスケは視線を壁の向こうへ移したまま、それから微動だにしない。
「キョウスケ様?」
「オイ、〈式神〉のネーチャン。マダ喜ぶのはハエー。“アレ”見てみロ」
勢いは格段に弱まったものの、
部屋へと流れ込む水は完全に止まっていないのだ――
「……正解じゃない? じゃあ、残りのボタンのどっち!?」
「待ってクダサイ。それは“四ツ”ありますカ?」
「あるあるッ! 四角の面に、ひとつずつ付いてるぜ!」
「デハ、もしかするとそれハ、それぞれの“壁面に描かれている月”と関係があるかもしれませヌ」
「分かった、早く来てスクナ。もう、台座が水の中に沈んじゃう」
するとスクナはまたフヨフヨと、ミーナとヤストラの元へと向かう。
ふたりの身体は、既に水の中にある。息をするのも苦しそうだ。
「さっき私が押したのは、このボタン」
「オふたりとも、これをゴ覧クダサイ」
丸い像が映っていたはずの水晶の塊には、現在では半円が浮かんでいる。
「“半分”になってる……」
「そうか、“半月”だよ! あの流れ込む水は、“潮”だ。最初に映っていたのは“満月”だった。“満月”の日は、大潮だ!」
「じゃあ、“なくしちゃえば”いいんだ!」
「なんでだよッ! それでも網元の娘か? ――いいか、大潮ってのは、“満月”と“新月”の日だ。潮がイチバン引くのは、“半月”の日だ」
太陽と月の位置が重なる時、潮位の変動が最も大きくなる。
引力が強いからだ。
「……まあ、なんとなく分かったけど、つまり私が押したボタンは、“正解”だったワケよね? それなのに、どうして水が止まらないの?」
「止まらねーんだよ、太陽と月がなくならない限り。満潮と干潮の差があるだけで、“なくなる”ってことはねえ。だから、海の常識をそのままここに持ってきたとしたら、この水はずっと流れ続ける」
「ずっと……? じゃあ、いつかはこの部屋いっぱいに溜まるってこと?」
導き出した解答は、彼らにとって絶望的なものだった。
「ここで……終わり?」
チョロチョロと、天井から注ぎ込まれる水が“死へのカウントダウン”のように聞こえた……。
「まだ諦めるのは早いよ。ヤストラ、満月のボタンを押してくれ」
「キョウスケ!」
「バ、バカなこと言うなよ! だって、そんなことしたら――」
「もしかして、どこかに出口を見つけたの、キョウスケくん?」
キョウスケは前を見つめている。
「一度、“部屋を満水”にする。ずっと考えていたんだ。確実な方法じゃないけど、今はそれしかないと思う」
「だからよォ、キョウスケェェェェ! それからどうするんだよォ!」
「出口なら、“あそこ”にある」
そう言って彼は、水が注ぎ込まれる天井の左隅を見上げた。




