蒼月、沖天に坐す。十二
「僕が先に式神になっているのだ。そちらこそわきまえたまえ!」
「なにが天后ちゃんだババア!」
ヒスイと騰蛇が口々に言います。
「細かい男は嫌われるぞよ。だがまあ、妾は出来た女ゆえに先輩は立てねばな。たとえ怨敵の式であったとて敬ってみせようぞヒスイ殿」
「む……」
天后ちゃん……はヒスイにそう言います。ちょっと棘のある言い方に思えました。安倍晴明の式神と蘆屋道満の式神では仕方ないのかもしれませんが……。
次いで彼女は騰蛇を見上げました。
「なるほど、確かにちゃんづけは少々急に馴れ馴れしかったかもしれぬな、そこは反省しよう」
しおらしげにそう言います。
どうやらちゃんづけはしないで良さそうです。
「お、おう……」
「だがババア呼ばわりは許さぬ」
……ババア。天后は外見からすれば美しき二十代ほどの女性にしか見えません。実年齢で言えば900歳を超えているのでしょうけども、ただそれは騰蛇だって、あるいはヒスイだって同じなはず。失礼な話です。
天后は妖力を解放しました。いえ、違う。これは神力。周囲の空気が重く、重く。ですが清浄な気に圧されていきます。
「てめぇ癸……!」
彼女のそばにいるだけの私ですら圧を感じるのです。それを正面から受けている騰蛇はいかほどか。彼は苦しげに呻き声をあげて天后を睨みつけます。
彼女は涼しげな表情で言いました。
「五行の理において、同格であれば火では水に勝てぬ。その上で丁よ、汝がずっと活動していた間、妾はずっと力を蓄えていたのじゃぞ」
そして私の肩に手をやって前に押し出しました。
「そして主の力もよ。力を取り戻した今、茉莉はすでに歴代の晴明様のご子孫の中でもかなり上位の霊力よ。そなたの主も悪くはないが格が違うというもの」
「クソっ、ずりぃぞ……!」
「ほほほ、愉悦」
仲が悪いんでしょうかね、この二柱。同じ晴明様の式神のはずなのですが。
「主よ……。主、聞いておるかや? 茉莉」
「ああっ、はい。茉莉です」
初めてお会いした女性に主と呼ばれるのは慣れませんで、反応が遅れました。いや海栗の姿では一緒にいたのかもしれませんけどもね。
「どうもぼうっとしておるな。そたたが妾の主なのだぞ」
「はいっ!」
「さ、妾に命じるがいい。なんでもしてみせようぞ」
私は頷くと、宙に浮かぶ大蛇に指を突きつけました。
「では、天后。騰蛇を倒してください。他に被害は出さないように」
「お優しいことよの。御意」
「くそっ」
騰蛇は舌打ちを響かせ、再び灼熱の吐息をこちらに吐いてきます。
天后は私の示す方向に沿うように腕を伸ばし、歌うように言いました。
「海原に抱かれるがよい」
天后がそう言った瞬間、視界が暗くなったように感じました。
……何をしたのです。いや、まずわかるのは私の霊力が急に大量に使われたことによる眩暈。ですがそれだけではありません。
私の目の前を、魚影がよぎりました。
「え」
世界が海に沈んだのです。
道場だった杉の床は岩の海底に。空気は海水に。
ですが息苦しくもありません。海水の向こう、ヒスイたちも驚愕に身を固くしていますが、無事であるようです。
ですが私の眼前では、黒い炎が一瞬海水を沸き立たせ泡を生みましたが、それもすぐに圧倒的な水量にかき消えます。そして宙に浮いていた蛇の巨体が、押し潰されるように沈んでいったのです。鱗の黒い炎も鎮められ、そうして姿を消してしまいました。
天后がころころと笑って言います。
「あやつは妾と主の前で頭が高いからの」
「いなくなってしまいました」
「力が枯渇して顕現できなくなったのよ。あれも式神であるから滅したわけではない」
天を見上げれば一面の青。揺蕩う光と水の向こう。海の色に染まりし蒼月が沖天に坐すのが瞳に映りました。
なんと静謐で強大な権能なのでしょう。
天后は蒼に染まった笑みを私に向けます。
「これからよろしくの」
「はい」
「ではまたいずれ。これは妾も流石に疲れるのでな」
そう言うと、幻のように海は消え去りました。彼女の姿も消え、ころり、と私の足下に海栗が転がります。
桐花ちゃんはヒスイのそば、床に横たえられていました。式神の騰蛇が力を使い果たしたのです。桐花ちゃんもまた霊力がほぼ枯渇して意識を失ったのでしょう。
「あっ」
私も脚に力が入りません。
くらりと倒れ込み……。
「茉莉っ!」
ヒスイさんに抱き止められました。
「無理をする。肝が冷えたぞ」
「えへへ」
「えへへではない」
ヒスイさんはしかめっ面で睨みます。残念ながら顔が良いので怖くありません。
それよりもヒスイさんが私を心配してくれるのが嬉しいくて。だからつい笑みがこぼれてしまうのです。
「うまくやれたかな?」
「うまくやり過ぎだよ」
ヒスイさんは私を抱き上げると、お父さまお母さまがいる方に向けて歩き出したのでした。
ξ˚⊿˚)ξ決着ー。




