蒼月、沖天に坐す。九
茉莉の影に潜んだ僕は、しばしそこで気配を隠す。
僕の妖力は残り少ない。
まあ、そもそも精力を吸う妖が、死のうと思って精気を吸わぬ生活を長く続けていたんだ。
茉莉と過ごすようになって生きる気は取り戻したが、なんとなくそのまま精気を吸わない生活を続けていた。茉莉という少女が眩しかったのかもしれない。悪妖であるという過去をできるだけ長く知られたくなかったのかもしれぬ。ただ、彼女はそれを知っても気にせぬ様子ではあったが。
そして今もそうだし、何度か茉莉に妖力を分けている。騰蛇の足止めに分身の術も使った。
「これが終わったら、しばらくは月光浴で回復につとめないとなあ」
金華猫の性質として、月光からも妖力は吸収できるのだ。
ともあれ、今の僕はたいして何かできるほどの妖力が残っているでもないが、それでも桐花なる女に負ける気はない。
僕は影から影へと渡り、桐花の影へたどり着くと、そこで影から外に出て彼女の前に立つ。
「やあ、いい夜だな」
「お前っ……!」
いつの間にか目の前にいた男に驚愕した様子だ。
言葉と共に手が出てきた。僕の頬でも張ろうとする動きだが、それを受けるほど間抜けでもない。半歩引いて避けて手首を掴む。
「お前さえいなければ!」
桐花はそれを振り払おうとしてかなわず、僕を酷い形相で睨んでくる。茉莉に似て整った顔も、怒りで台無しだ。
僕は首を傾げた。
「いなければ?」
「お前がお姉ちゃんに入れ知恵しているんでしょう!」
などと言い出す。
「どうだろう。僕がいたことで君たちの目論見が崩れるのが早まったのは確かだろうけど、結局のところ結末は変わらないんじゃないかな」
「何を根拠に……」
「梅婆様だって初めから気づいていたってことさ。君たちのお父さんだって、術士ではないけど勘づいていたんじゃないかな」
「お父様が……?」
「だから茉莉を家から離そうとしてたんじゃないか」
桐花の視線が僕から外れ、両親の方、そして茉莉の方へと向けられた。
背後ではごうっと炎が上がり、茉莉が呪を唱える声が響く。
炎に照らされながら、桐花は考えている様子だった。
「お姉ちゃんは凄い霊力を持っていたわ」
「そうだね」
「そして天才だった」
今だって、本性を出した騰蛇の化身と人間がやりあっているのだ。それもまだ十五の若さで。これを天才と言わずして何を言おうというのか。
僕は頷く。
「それを羨んでなにが悪いというの!」
「羨むことは悪くない。だが、それを無断で奪うってのはどう考えても良くないだろ」
まあ、と僕は自嘲の笑みを浮かべた。京の都で精気を吸い、病を流行らせた僕が言うべきことではないが。
僕は桐花の手を離してやる。一歩引いた彼女は懐から符を取り出して構えた。
「まともに術を使う霊力もあるまい」
彼女もまた騰蛇にごっそりと霊力が持っていかれているためだ。普通なら式が制御を外れて暴走するところである。先日、学校にやってきた時のように。
だが今日、騰蛇が彼女に従っているのは、あいつもまた茉莉に執心しているからだ。つまり、目的が一致しているからと言える。
「あんたを退かして、お姉ちゃんから霊力を貰えばいい」
「それをさせぬために僕がここにいるんだ」
そう、茉莉が敗北する可能性の中で一番嫌なのがそれだ。
茉莉の霊力を桐花が奪い、それで騰蛇の化身を維持するのに使われること。
「急々如律令! 悪しき霊よ妖よ! この場より退け!」
桐花は汎用的な悪霊退散の術を行使した。術の威力を向上させるための印も結ばずに。
光が僕に迫る。術の速度だけは速いが、それでは僕には届かぬ。
左手だけを鉤爪に変化させ、僕は術を切り裂いた。
「うむ」
しかしそれはどうやら目眩しであったらしい。
桐花は僕の正面に屈みこむように低い体勢で踏み込むと、僕に手を伸ばしてきたのだ。
僕の右手首を彼女が掴む。
「取った!」
桐花の唇が笑みに歪む。
彼女は吸精の能力を持っている。そして彼女はいつも茉莉に手で触れることで精気を吸っていた。
僕の手首のあたりで妖力が動いていく感覚がある。だが……。
「すまんね」
精を吸えていないことに気づいたのだろう。桐花は悲鳴のような声をあげた。
「ええっ!」
「僕も精気を吸う悪妖だからさ」
「なっ」
「精を吸う能力において、君の方が僕より格上かもしれない。君は同性からも異性からも妖からも力を奪えるからな。僕は異性からしか吸えないんだ」
「じゃあなんで!」
格上と言ったのに僕から奪えないのが気に食わないのだろう。
「そりゃ僕はこれで九百年生きてる悪妖なんだ。十五の娘に遅れは取らないよ」
騰蛇と僕が知り合いであるのは見ていただろう。そこであいつに僕の正体について調べなかったのが、対策を練らないのが運の尽きだ。いや、僕は思い直す。それだけ彼女は未熟なのだ。単純にまだ若いし、彼女には導き手もいなかったのだな。
僕は彼女を後ろ手に拘束すると、茉莉の方を向けさせた。彼女は荒れ狂う焔の中、毅然と立っている。
「さあ、茉莉が、君の姉がどれだけの覚悟でこの場にいるか。それを見届けるがいい」




